生徒の変容 共同体意識の喪失

 30年余り教員を続けて感じる生徒の質的変化はまず共同体意識の喪失である。日本人の意識の根底には、農村共同体の規範が強く根付きこれが日本人の人間関係の作り方を根本で支えていると考えられる。明治の初めまで人口の9割は農民で紆余曲折を経ながらも約二千年間定住し共同作業で米を作ってきた。 ここで作られた人間関係の距離感、規範が日本人の意識、文化の根底をなしているはずだ
明治以降村落共同体は徐々に解体していく。農業人口は減少し質的にも変容していく。あくまで緩やかな連続的変化として。今でも山村に都会から移住した人の苦労としてまずあげられるのが、その土地の習慣になじむことであるように、共同体の掟に強く縛られて生きている人は数多くいる。
実体としての共同体が解体しても、意識は生き続ける。時間的なかなりのずれを持って共同体意識も変容、希薄化していく。1960年代の末、盛んであった学生運動はその意識の崩壊過程を象徴する出来事だった。ベトナム反戦運動を基軸とした世界的な現象であったと同時に、日本の学生運動はその中身としては、実体としての共同体が解体し行き場を失った意識の噴出であったと思う。新左翼諸党派の人間関係の作り方はまさに村落共同体のそれとよく似ていて、党派間の争いはヤクザのそれとほとんど変わらなかたった。実際学生運動の興隆とヤクザ映画のそれはほぼ同期していたし、当時の学生はヤクザ映画が大好きだった。学生運動への参加のモチーフ、倫理も共同体の倫理そのもので当時流行の実存哲学などに根拠を求めようとしてもそこに自分を根底から突き動かすものの実体を説明できなかっただろうと思う
あるテレビ番組で福井県のある農村に建っている庄屋さんの石像を紹介していた。農民を代表してある庄屋さんが殿様に年貢の軽減を申し出た。殿様は「おまえの首と引き替えなら認める」と答え、庄屋さんはそれを呑んで打ち首となり、殿様も約束を守った。こういう話しに日本人は弱い。60年代末の学生運動を支えていたのもこういう美学であったと思う。
経済成長が進み日本人の生活スタイルが変化すると共に、日本人の中からこの共同体意識は失われてゆく。時間が進むにつれゆっくりとその世代の若者から共同体意識が希薄化してゆく。私は30余年の教員生活を通じてそれを観察させてもらったように思う。こういう社会現象はダイヤモンド氏が「文明崩壊」で地球温暖化を例にとって述べていたように、平均的変化の量は1年あたりで見たらごく僅かであり、年による偶発的変動の幅の方が遥かに大きいのでなかなか気付かない。HR担任をしていても何人かの人材に恵まれて素晴らしい集団形成が出来る年もあれば逆の場合もある。クラスとして現れる集団の個性も実に多様である。しかし、今30年前を振り返ってみると、生徒が作る集団の質は大きく変化した。先日も私の就職当時の担任生徒と話をする機会があったのだが、彼らと話しながら現在の生徒と比較するとその違いは随分大きい。昔の生徒集団ははそれなりに組織だった共同体を形成していたものがその絆、組織性が緩やかに失われて現在に至っている。それは一斉に消えていくと言うより、壁が剥落していくようにして共同性が失われているように思う。例えば
「自分より弱いものに手を出すのは無様なことである」
「仲間は守るものであり、害を与えるものではない」
と言った説教が昔の生徒には効いた。つまり
「君の行為は、君の属している共同体の掟からも反するものである」
と指摘することが生徒指導の方法として成り立ち得たのだが、最近の生徒にこのようなことを言ってもよく理解してもらえない、何を言われたかわからずぽかんとしていると言った場合が多い。「校内暴力」が沈静化した1990年代から、年配のベテラン教師の中に自分の指導法が通用しなくなったことを訴える教師が増えたと聞く。かれらは、生徒の中にある共同体の倫理意識を教師と生徒の共通の規範とすることで生徒指導をしていた。要するに、義理人情、浪花節。その規範が生徒の側から失われ指導が宙に浮くようになってしまった。
「先生、××君が僕の傘をさして帰ってしまいました」
と教員室に苦情を言いに来た生徒に初めて遭遇した時の衝撃は忘れられない。
私たちが中学高校生だった頃はもちろん、教師として仕事し始めた頃このような生徒に出会ったことはなかったた。もしこのことが他の生徒に知れたらその瞬間からこの生徒は生徒集団の中で生きていけない。強烈な制裁措置を覚悟することになる。これが常識だった。現在この「常識」は失われたと言っていい。言いつけに来た生徒にはそのような懸念はないし、実際に制裁措置が発動することもないのでしょう。残滓が暴走することはあって、これが現在の「いじめ」をひどいものにしていると思うのだが、これは項を改めたい。
かつての生徒集団は、学校から独立した、保護者からも独立した集団として形成されていた。内部で事件があっても、学校や保護者には伝わらない。伝わらないシステムがあり配慮があった。例えば、盗難事故。学校が盗難に頻発に手を焼くようになってきたのは90年代からだろうか。しかし実際は最近になって教師が知るようになったと考えた方がよいのではないかと疑っている。
1)このようなことを被害生徒は親にも学校にも言わなかった
2)大人に知られない限度がある程度わきまえられていた
3)身内に手を出さない、他集団からの盗難には防衛機能が働いていた
良質の集団が形成されたときは確かに3)のようなことが実現していました。でもいつもどこでもそうなるかというと、「美化」し過ぎで大半は1)2)あたりなのですが。
かつての生徒は、学校や保護者からは独立した集団形成をしようとする無意識の動きを必ず持っていて、明確な理由がない限りクラスのすべての生徒はその構成員であり、内部にはそれなりの独自の規範が成立していた。その集団の質、緊密さは多様だったが、長い時間の経過から見ると、先ほど述べた「地球温暖化」のように、ゆっくりと失われていく途上に立っている。もちろん、義理人情のわかる昔気質の子もいるが、それが昔のような生徒集団を形成することはもはや稀になったと感じているが皆さんどうだろう。