ものつくり

ものつくりの文化が日本から、子供達から失われている。『創るセンス工作の思考』(森博嗣著 集英社新書)は私の言いたいことを詳細に伝えてくれている。


50年以上前、秋にもなれば、ゴム動力飛行機の大会は全国至る所で行われていた。どんな田舎に行っても、細長い袋に入った飛行機材料セット(実物大設計図・竹ひご・角材・リブ・プロペラ・アルミ管・雁皮紙・ゴムなど)を手に入れることができ、何割かの小学生は飛行機を組み立てる事ができた。組み立て方、調整の仕方は年長者が教えてくれた。子供の科学、模型とラジオ、ラジオの制作、初歩のラジオ等の子供向け工作月刊誌は、田舎町の本屋で手に入った。また結構規模の大きな模型屋さんがあって、プラモデル、鉄道模型、ラジコン飛行機まで様々な工作材料がぎっしり棚を埋め、休日はいつも満員。安価なプラモデルとそれに組み込む「マブチモーター」くらいは近所の雑貨屋でも手に入った。
私自身、ふとしたきっかけから子供の科学を読み始め、それまでの模型作りから電子工作に移行。上記の雑誌を各号表紙がボロボロになるまで読んだ。さらに勉強したくてNHKラジオ技術教科書2冊に手を伸ばす。小遣いが溜まったら、時間をかけて秋葉原のパーツショップへ出かけた。総武線ガード下のパーツショップ街は、休日には子供から大人まで大混雑。


工作の世界は、子供にとって自分の力を自由に伸ばす絶好の場。誰に強制されるでもなく、自分で構想し自分で作る、完全な自己管理の世界。時間は無制限にある。じっくり時間をかけて完成にたどり着けば良い。(半田鏝切って早く寝ろとずいぶん叱られたが。)できあがった物の評価は、自分の満足感による。他者と比較されたり、序列化されることがあっても(飛行機の滞空時間を競ったりとか)それのみが目的では無い。そして制限なく難度の高い世界へ登って行ける。(最後の問題は小遣い銭!)子供向け科学雑誌は、更に難度の高い大人向け雑誌へ、更に専門書への道を開いてくれた。私自身、小学校高学年から中学生の間電子工作に明け暮れた体験が、その後の人生にどれだけ役に立ったか、はかりしれない。


プログラミングとは段取りの抽象化で、情報処理を必修科目にして共通テストに組み入れたら、日本人の情報処理能力が上がるだろうと考えるのは、それこそ小さい時から受験勉強しかしてこなかった人間の発想。手製の郵便受けを作ろうと思ってその段取りを考えたり、晩飯に酢豚を自炊しようとその構想を練ったりそういう実体験の積み重ねがアルゴリズムに強い人間を生む。


先の森氏の書物にも詳しいが、もの作りが最初から構想通りに完成する事はまずあり得ない。想定外のトラブル群に必ず遭遇する。それをとにかく一つずつ解決しなければ完成に至らない。予め用意された解決法は無く、全く新しい対処法を考えなくてはならない場合がある。どれだけ実害の少ない妥協をするか迫られる場合がある。限定された分野の、予め用意された正解に、できる限り短時間でたどり着くためのトレーニングとは根本的に違う。受験勉強とは全く異なる発想の世界が、あった。少年期にこういう体験を積んだ人々の中から、柔軟で独創的な技術者集団が育ち、科学技術の発展を支えたと思う。


現在、子供の世界での、ものつくりの退潮は驚くほど。私の少年期を振り返ると、ゴム動力飛行機やプラモデルは、程度の差こそあれ小学男子の大半が手を染めた。電子工作を趣味にする子も中学で学年に数人はいた。現在、上記の子供向け工作雑誌は、『子供の科学』以外すべて廃刊。かつてあれだけ繁盛していた故郷の模型屋は小さなプラモデル屋さんとして細々と営業している。ゴム動力飛行機の組み立てセットは、かろうじてネットで手に入るくらい。けっこうな広場に行っても、飛行機を飛ばしている子はいないし、北風が吹いても凧を揚げている子すら殆どいない。


その主要な原因として、森氏はコンピューターゲームの普及を指摘しているがそれだけではないだろう。むしろ、日本全体がものつくりの文化を喪失してゆく、その過程の象徴ではないだろうか。「経済成長」とは、生活のあらゆる領域に商品経済が浸透し、人とものとの関わりの直接性が失われていく過程だった。これについて考えなくてはならないことは他に委ねるとして、一つだけ例を挙げる。
1960年代、テレビやラジオを購入すると、「配線図」がウラに貼り付けてあった。これは今の若い世代には信じがたいことかも知れない。昔のテレビ・ラジオはよく故障したけど、多少電気の知識があれば、自分で修理できた。


これからの激動の時代、ものつくりの創造的な体験は教育にとって大切な課題だと思う。
ある意味で条件は揃っている。インターネットを通じれば、昔模型屋さんに並んでいた素材は今でも十分購入可能。むしろ豊富。電子技術は驚くべき進歩を遂げた。真空管は国内製造中止、関連部品も次々製造中止。しかし一方、ラジコン送受信機など軽量小型化した物が数十分の一まで値下がりしている。更に、コンピューター。スマホでも大学の計算機センターに鎮座していた機械を遙かに凌ぐ。高度なプログラミング言語を簡単に入手できる。コンピューター制御できるモーターが安価で手に入る。子供達が、自立型ロボットを趣味で組み立てられる時代が来た。レゴ・マインドストームなんて夢のようだ。教材にしている学習塾もある。十代で出会わなくてむしろよかった。出会ったらひどいことになったと思う・・
インターネットからは、あらゆる分野のものつくり情報が得られる。飛行機、オーディオ、ロボット・・本当に何でも。ものつくり文化を引き継ぐおじさんは、まだ沢山生き残っている。親から子へ、年長者から年少者への伝承が失われても、インターネットがその代役を務めてくれる。問題はこういうものつくりの世界へ子供達を導く回路をどう設定するかだ。(各種ロボットコンテスト、それに対応するロボコン部などは一つの役割を果たしていると言えるだろう)。


消耗な受験勉強を強制するかわりに、ものつくりに熱中する時間を子供達に与えたい。勿論、ものつくりなんて大嫌いな子、不得手な子もいる。スポーツに、音楽に熱中する子もいる。たいせつなのは子供達に自発的に活動空間を選べる自由で豊富な時間を与えること。何かに熱中する世界をひらいてあげること。
ものつくり体験を積んだ子供達が、無理な受験勉強をせずとも入学できる中堅大学に進学し、いわゆる「難関大学」出身者を凌ぐ優れた技術者・研究者が多数育つ、そのような時代が到来しないだろうか。