アスペルガー症候群は高機能自閉症とも呼ばれいわゆる自閉症とは若干ずれた概念だが、ここでは自閉症・アスペルガーまとめて漠然とアスペルガー症候群として考えるところを書く。
自閉症、アスペルガー症候群等の言葉を仕事上の問題として意識したのは、今から15年ほど前のことだ。それ以前から言葉としての「自閉症」は知っていたしそれに関する本が数多く出ていていたが、自分の担当する生徒の中にそういう生徒がいることを知らされたのは初めてだった。
そもそもこの概念自体が新しく、日本で広く認知されるようになったのが90年代の後半か。また、その原因も特定されていない、少なくとも社会的に広く承認されているものはない。また、アスペルガー症候群はある種の「障害」と考えられ重度の場合生活するにあたっては誰かの補助を必要とするが、行政による制度的保障は遅れているのが現状だ。
確かにそのような傾向を持った子供は存在し、その指導のため教師がこの症候群の知識を持つことは非常に大切だ。生活指導の様々な局面で「通常の」生徒とは異なる配慮が是非とも必要な場合がある。ETV特集で放映された(2013年3月3日、優れたドキュメントだった)ようにいじめの標的にされやすいのも事実で、いじめの問題を考えるに際しても必須の知識だろう。
一方、その扱いは大変微妙で素人が本を数冊読んだ位である人物がアスペルガー症候群に属するかどうか識別できるものでは決してない。長く専門的に学習し訓練を積んだプロに委託しその判断を仰ぎ場合によっては共同で作業にあたる必要がある。いわゆる学校カウンセラーでもアスペルガーについて専門的トレーニングを積んだ人は現在稀で、私の場合でもカウンセラーと共同で地域の信頼できる専門家のいる公共施設(児童相談所等)と連携をとる事になった。
最近「アスペ」と言う言葉が安易に流通し、差別的言質として使われるようになりました。これは大変危険な兆候で、その意味からも本当に慎重に事を進めるべきだと思う。
医者が自分の専門範囲外で手に負えない患者に出会った場合、求められるのは適切な紹介状を書く知識と判断力だ。同様、教員が教科指導のプロであると同時にアスペルガー診断のプロであることは不可能なのだから、必要なのはプロに委託し共同作業をするノウハウを持つことだ。まず、身近に信頼できる専門家がいるかを知ること、それが学校単位で共有されていること。これはもっと全般の精神疾患の場合も同じだ。
アスペルガーを疑われる子供の診断の場合、保護者にその問題を理解してもらうことが第一の関門になる。例えば、目の不自由な子を持つ親の場合、生まれたときから親はその事実を受け入れその子と生涯を共にする覚悟をするが、アスペルガー症候群の診断を十代になって受ける場合、保護者は今まで「健常」だと思っていた子供が障害者であることを改めて受け入れる心構えをしなくてはならない。これは簡単なことではない。逆に教育に散々苦労し、やっと解決の糸口を見いだす思いで受け入れて下さる保護者もいる。いずれにせよ、アスペルガーを疑われる生徒についてその専門的な診断を受けるにはしっかりした知識と慎重な判断、保護者を含めた本人を取り巻く社会全体の了解が必要で、少なくとも一人の教師の判断では事を進められない。
重度の場合幼児期に保護者が気付きここまで保護者として処置をとってきた場合もある。私が最初にあたった事例はそうだった。しかし学校が適切な処置をとるため随分時間がかかっている。ここが今私たちが考えなければならない問題点だろう。
アスペルガーは症候群と呼ばれるある種の傾向で、脳の器質障害であろうと言われているが、あくまで傾向で、私はどうも人間のある種の資質・能力の度合いの問題であるように感じる。音楽を聴いても、初めて長大な交響曲を聴いてその構成と書き込まれたドラマを深く理解し感動する人から、何度か聴くうちにだんだん親しみを感じるようになる人、何回聴いても雑音にしか聞こえない人までその聴き方は千差万別だ。同じように、人間の感情を理解する仕方も人によってまちまち、その中で特徴的な傾向を取り上げたものの一つがこの症候群で、多次元に連続的に広がっているように思えてならない。どこからがアスペルガーでどこまでが「健常」か線を引くことはむつかしい。しかし一方で、この傾向が極端な場合、十分な理解と配慮が必要なのも事実です。生徒一人一人の個性を理解して指導する必要があると言ってしまえばそれだけなのかもしれないが。
我々教師集団の中にもこの症候群に属する者はいないか、私自身はどうか、これも考えて見る必要がある。カウンセラーがその疑いを持った教員はいたし、生徒指導が苦手でよく問題を起こす先生に素人目でもその傾向を感じることがある。この症候群が社会的に認知されたのがごく最近なのだから、社会的にも本人もその自覚を持たないながらこの症候群に属する教員は統計的に推測すれば全国に数多く存在するはず。魔女狩りや差別の危険を一方でしっかり踏まえつつも、考える必要はあると思う。
何故近年になってこの症候群が注目されるようになったか。これも大脳生理学などの研究が進行中、安易なことは言えないが、私見を少し。昔からちょっと違った子供は沢山いた。子供は大体閑で遊ぶ時間には子供集団を形成しかなりの年齢差の子供が集団をなして遊んでいた。かなり幼い子供から小学校高学年まで流動的な集団を形成しながら親が晩ご飯で呼びに来るまでいろんなことやっていた。その集団の中で、どの子も他者との接し方を訓練してきた。今ならアスペルガーと分類される子もこの遊び集団の中でそれなりに社会的振る舞い方を時間をかけて学習していたのではないか、また周囲の子もちょっと変わった子とのつきあい方を身につけてきたのではないか。子供集団の体験が薄れ、子どもたちの社会的能力の低下ががアスペルガーを問題として浮き上がらせることの一つの要因になったのではないか。
教師として仕事をしていく以上、アスペルガー症候群についてのある程度の知識と、どこに専門家がいるのか等地域社会の具体的情報を把握しておくことは必須事項である。