他者の理解

 最近他人の気持ちがうまく理解できない生徒が増えているように思えてならない。というか、他者を了解する能力と表現した方がいいかもしれない。三十年位以前の生徒を今思い出すと、その当時はあまり意識しなかった特徴を上げることができる。同時に今の生徒が失ったものが見えてくる。
 二十代で教員を始めた頃、こちらも若く血気盛んで一方教員のトレーニングは足りないから生徒と随分トラブルを引き起こした。これが教員の辛い成長の過程なのだけど。その際、仲裁に入りこちらを助けてくれる生徒が随分いた。
「あいつはあんなこと入ってるけど、本当はこう思ってて、だだ上手く言い出せないだけだから、先生の方で引き際をこんな風に作ってあげたら収まる。」
みたいな助言をくれる生徒は、今では殆ど考えられない。
 また、クラス運営の相談役になってくれる生徒が結構いて、こちらが理解に苦しむ生徒について
「表向きあんな奴だけれども、実は家ではこういう苦労をしていて随分真面目にやってる。あれで先生のことわりに信頼してるから、しばらく放っておいた方がいい。」
といった助言をくれたものだ。もちろんこちらは所詮「先公」なのだから、生徒間で共有しこちらに明らかにしてはならないことは言わない。(少なくとも卒業式済むまでは。卒業後に聞く話はだから更に面白い。)細かい配慮を働かせながらこちらと接していた。こういう生徒が今なつかしい。
当時の生徒は、互いを理解する力が今と比べて格段に優れていたように思うし、他人を理解しようとする志向も今よりずっと強かった。クラスの他の構成員をどう理解するかという話題でクラスの生徒一人一人と長く話し込むことができた。教員に成り立ての頃、生徒とのこのような接触は、生徒を理解する力を付けるにあたり随分助けになった。生徒が育ててくれたと言ってもよいだろう。
 こういう会話が現在の生徒となかなか成立しない。逆に、
「そんなことをしたら、彼がどう感じると思うか。」
という様な話=説教に生徒が何を言われたのかわからずぽかんとしている。心の奥底に届くだろうとこちらがかなり確信をもって決定打として放つ言葉が、透明人間にボールを投げたように、素通りしてしまう。空振り体験が増えた。
 生徒が互いにあだ名を付けなくなった。昔は、本人の特徴を捕まえ本人もそう呼ばれて不愉快でないようなあだ名を上手く付ける生徒が必ずいた。教員にもあだ名がついた。今、生徒はお互いを名前で呼ぶことが多いが、あだ名を持った生徒はぐっと減った。教員もあだ名をもらわなくなった。これも、生徒の他者理解力と関係があるのではないかと思っている。
こちらの感情に鈍感になった。教員として、生徒の前に立つときはできるだけはっきり喜怒哀楽を表明するよう心がけているのだが、それに共振してこない。悪いことをした生徒には、思い切りこちらの怒りを表現する。それが上手くわかってもらえない。どうして良いのかわからずまごついている。かつては、殆どの生徒がこちらの怒りに共感してくれたし、なるだけ早くこちらの怒りを静めるための工夫をしたりり、逆に、「何とか笑わせてやろうか」知恵を働かせて振る舞う生徒もいた。だから今、体罰が成立しないのである。
横道にそれるが、体罰だけ取り上げてその是非を論じるのはおかしい。体罰を含めた指導全体に、適切な指導、不適切な指導、絶対してはならない指導があるだけ。体罰よりずっとひどく生徒を傷つける指導をいくらも見てきた。もうこちらが悪いことは百も承知しているし、濡れ雑巾で顔をなでるような説教を数時間食らうよりビンタで終わらせてくれ、という生徒だっていた。
 人を理解する力はどんなものか改めて考えてみるとよくわからないが、文化とか思想の問題ではなくて人間が生命活動を維持するために必要な根源的な技能であるように思う。このような技能として、まず言語、その次が他者理解の能力だと思う。人間が言語を使用できるのは、まず生物として言語活動の資質を持っている上に、幼年期に言語使用について長時間のトレーニングをするからである。他人を理解することもこれと同じだろう。遺伝子情報は変わらないのだから、あとは幼年期のトレーニングが不足しているとしか考えられない。生まれてから思春期に至るまでに他者と接触するその総量が不足している。
 家で夕食後の団欒が失われ、みんなテレビを見ている。更に、個室にこもってそれぞれ違う番組を見ていたりする。夕方、子供同士で遊ぶ変わりに、塾とお稽古事。これらについては、言語能力の意味からも改めて述べたい所だ。かつて学校は、相互に身につけた自己表現と他者理解の能力を出し合い磨く場であった。学校での生活時間は五十年前と同じだけあったとしても、そこで相互に出し合う基礎能力が落ちているから、かつてのような交流の深さ、相互の成長が得られない。
 こんな風に感じている。