小学生の英語

 日本人は英語が苦手だそうだ。だから小学校から英語を教える。中学校からは英語の授業は英語でやる!事になった。本当に日本人は英語に致命的欠陥を持っているか。実際に英語を使う必要のある人たちからは、英語で苦労した話をあまり聞いたことがない。当然最初は大変だ。それなりの努力も必要だ。しかし海外に滞在する人、留学する人はちゃんとやっているではないか。日本の街角でいきなり英語で話しかけられて何も言えなかった。これはいくらでもある。我々が日本で暮らしている限り、日常生活で英語を使う必要はない。会話が上達しないのは当たり前だ。 私の友人の中にも留学し英語圏で長く暮らした者が何人かいる。高校までの学校英語をそれなりに身につけた者が、多少のトレーニングを積めば実際のコミュニケーションで必要な英語は必ず身に付く。高校生ですら、半年も英語圏に留学すれば少なくとも日常生活に必要な英語力はちゃんと身につけて帰ってくる。「やがて哀しき外国語」で村上春樹が述べているとおりだと思う。本当に必要なら語学は身に付く。必要のない語学は身に付かない。
更にかんがえてみると、日本は、鎖国以前には中国や朝鮮と密接な交流を行っており多くの人物が交流していた。民間の交易も随分行われていたようである。朝鮮語、中国語に苦労したという話を聞かない。明治初期大量の留学生が西欧に送り込まれた。東京大学は明治十年設立である。彼ら留学生は大変な速度でで西欧の学問を日本に伝えた。彼らに語学を学ぶ時間などごく限られていたはずだ。それも、そもそも本来日本語になかった概念を言葉を作りながら日本に移植した。
 ジャレド・ダイアモンドの著作によれば、ニューギニア人は全く文法構造のちがう(つまり方言と呼べない)言語を少なくとも数個操れて当たり前、多い者は十を超す言語を身につけるという。「昨日までの世界」下P214 。文字はない。口頭学習だけで多数の言語を獲得できるのだ。
 これらのことからも、言語はそもそも身に付けやすいようにできている、とかんがえるのが自然だろう。もし身に付かないとすれば、修得の方法を間違えている。島国で元々他民族との交流が少なかった上に、二百年を超える鎖国で、日本が言語習得の方法を文化として失ってしまったためであろう。
生徒の日本語力の方がよほど気になる。高校では進学希望者は英語に関して語彙の獲得にむけかなりハードなトレーニングを課す。しかし、日本語の語彙力については、学校教育は比較的無関心だ。少なくとも私は、指導している生徒たちについて語彙力調査の結果を聞いたことがない。しかし、たまに教科書を音読させてみると結果はひどい事が多い。(数学で。本当はもっとたくさんやりたいのだけれど時間がない。)音読できないのは熟語の読み方を知らないからで、したがってその言葉を知らないからだ。英単語を覚えるのに、日本語の意味を同時に覚えなければならない場合が沢山でてくる。
 十代前半に日本にやって来た生徒、十代前半を米国で過ごした生徒を何人か担当したことがある。確かに英語はできる。しかし、、高校の数学、社会、理科などで要求される抽象的思考能力で大きく後れを取る。彼らは、母語を通してより抽象度の高い語彙や概念を獲得するべき時間を、生き延びるための日常生活に関する外国語習得に費やしてしまったのだ。これが子供の学習能力を大きく規定する。
高校生と大学進学の相談をするとき、私はまず国語の実力テストの結果と、これまでの読書体験について尋ねる。現代文のできが良く、それなりの読書体験を持つ子供は、他の教科の成績が悪くても指導が楽だ。方法を的確に教えれば、英語の成績を上げるのは実に簡単だし他の教科もトレーニングに比例して必ず伸びる。逆に努力の結果英語はある種の水準に達しているが、国語を苦手とする子供の受験勉強は大変だ。残り時間が僅かなら、とにかく暗記と小手先の技術の習得で何とか凌ぐ以外方法がない。
 言語を母語として獲得できるのは、およそ三才までと聞く。英語で言えばRとL、BとVなど日本語の音素にない音を違う音素として自然に聞き分けられるようになる期間のことだ。それ以降の言語習得は所詮外国語。とすれば、まず日本語を通じて概念の獲得、思考力表現力の育成につとめるべきだろう。十分な日本語力のある者が、合理的なトレーニングをすれば、外国語の獲得はたやすい。
先頃、英語教育に関してのルポが朝日新聞に連載された。観点は面白かったが、きちっと踏み込むことなく終わってしまった。その最初に掲載されたのが、高校生のディベートについてだった。日本で最優秀のグループが世界大会で歯が立たない。これは英語力の問題ではなくて、論理的な表現力の問題ではないか、と記者は述べていた。文部科学省も、国際的な交渉力のある人材育成というが、表現力は語学力の問題ではないはずだ。
 英語教育の早期実施よりも、日本語力の鍛錬、表現力の鍛錬を。合理的効率的な外国語習得の方法論を。
小さいときからテレビを見、ゲームのボタンを押し、学校や塾で大人の話を一方的に聞かされて育った子供に、表現力がつくはずがない。