河合隼雄

 著作集の刊行が始まったのが今調べてみると94年。ふとしたきっかけでこれを手にしてから、既刊を読みあさり、未刊の発行を待っていたからこの書物に出会ったのは95年くらいだろうか。教員として15年の経験を経た頃であった。学生時代ユング心理学を少々学んだがさっぱりわからなかった。教員の経験を経て年令も40代になってみると、これが良くわかるのだ。
 我々教員特に高等学校教員は必要な教科の単位を揃え簡単な教科教育法の授業を受け、短期間の教育実習さえすれば免許を得る事ができた。現在は少し違う様だが。特に生徒指導については殆ど学ぶ事がなかった。実際に教員となって四苦八苦するのだが、それこそ自分のわずかな人生経験と先輩の助言による出たとこ勝負。現場で学ぶ以外方法がなかった。生徒を犠牲にして技量を貯えていくことになった。そこで河合隼雄に出会う。人の心を理解するにあたって新しい視点、多くの具体的知識を得る事ができた。心から感謝いている。クラス担任としての仕事、生徒の理解にそれまでにはなかったある種の幅を得る事ができたと思っている。当時、過去の事例を思い出して、もう少し早く学んでおけばよかったと悔やんだものだ。
 そうでなくても、中年になって読むと面白い。日本文学の理解、世界の児童文学の理解もその独特の視点が面白く引き込まれる。自分自身の「中年、老年」を受け入れる意味でも大いに助けになったし、文学の紹介本としても読書の幅を拡げてる事ができた。子供に読み聞かせ、与える本についてもお世話になった。
河合隼雄は劇薬である。物事を体系的に説明しようとする優れた書物、マルクスとかフロイトが極端にそうであるように、彼の著作も強烈な吸引力がある。程よい距離をおいて理性的に読み解くのがむつかしい。臨床心理にかぶれた教員が全国に現れる。彼の仕事について、絶賛する人と全面的に否定する人に極端に似分解してしまうのもそのせいではないかと思う。彼と個人的に面識のあった人間を何人か知っているが、人物評価もまた極端に二分解する。西欧的な自立心を身につけ、その上大変に賢い人だから人生でも自分の思う様に生きたようだ。周囲が彼の繰り出す論理に正面から反論するのは大変難しかったのだろう。
90年代後半からの彼の著作を読むと「これがなかなか受け入れてもらえない」等、彼のかんがえを伝える事の難しさを語る様になる。彼が提唱し、社会的にも組織化してきた臨床心理学は彼の死後発展しているようには思えない。彼の仕事を発展させる様な人物があらわれない。本屋の棚を見ればわかる。未だに河合隼雄なのだ。悪い言い方をすれば教祖様の死んだ後の新興宗教。彼の臨床心理学は、河合隼雄という人物とセットになってはじめて成立していた、臨床心理学=河合隼雄 かもしれない。
 同僚の中にも極端にとりつかれた教員がいた。生徒の行動全てを臨床心理学の公式で理解しようとする。そうすると生徒独自の個性、特殊な状況がどんどん見落とされてしまう。まして安易に「カウンセリング」に手を出すのは大変危険。聞きかじった知識で素人が外科手術をするようなものだ。悩み事相談はする。生徒の話に耳を傾けるのは教員のたいせつな仕事のうちだ。しかしこじれた家族関係を何年もかけて解きほぐすようなことは、教員には力量としても時間的余裕としてもできはしない。ここでも、できる範囲を見極める事、手に負えないときはすぐ的確な専門家を紹介する事、これが教員に必要な技量だろう。擦り傷の手当はしても、骨折したら外科医に連れて行く以外方法がないのだ。
 彼の著作は「こんな見方もある」程度の距離をもって接するに限る。神社で引くお神籤のようなものとして扱うとちょうど良い。通常とても気付かない視点を示してくれる。これがずいぶんと助けになる。
彼の基本理論の一つが「母性原理」「父性原理」の二項対立なのだが(二項対立はユングの基本概念で、生と死、陰と陽、・・・)これが、彼自身が言う様に理解されない。「父性原理」とは西欧的な個人主義の原理を指すのだが、日本人には上手くイメージできない。言葉としては理解できても、体でわからない。彼が書いている様に、日本で小学校から留年制度・飛び級制度を導入する事はとうてい無理だ。かつて「父性原理」を口癖にする同僚がいたが、そのスローガンのもと河合隼雄が「母性的」なものの典型として扱っていた旧日本陸軍の様な「厳しい」生徒管理を目指していた。冗談の様な話である。
 具体的には子供の問題行動を抑える場面で、ひろくは画一化された教育を改善するために、彼は「父性原理」の必要を繰り返し語ってきた。日本社会はますます「母性原理」一辺倒に流れていく。このブログで私が繰り返し語ることになる「面倒見」至上主義・成果主義は、言葉を換えれば「母性原理」だ。政治の世界では、領土問題、憲法改定。(彼自身、愛国教育を基本に据えた政府刊行の道徳教育冊子の編纂をし、長く文化庁長官をつとめた。)彼の著作を学びながら、彼の限界点を越えて行かなくては「母性原理」の横行は食い止められない。

 教員は河合隼雄を読もう。ただし中毒には気をつけて。