『復興文化論』(福嶋亮大)は示唆に富む面白い書物であった。日本古典、中国古典の読み込み量が、西欧文化と現代日本の書物を読み込んだ量(これが従来の「教養」だった)に加算されている。論旨よりも、文芸批評として刺激的。今後が楽しみ。その一節、現代の項に、アメリカ文化は自然否定の文化でディズニーはその象徴であり手塚治虫はそれを日本で引き継いだ、といったことが述べられている。
成る程と納得した次第。アメリカ文化は植民地の文化だ。アメリカ先住民を抹殺し、力ずくで「開拓」をした。アメリカ先住民の抹殺(具体的には5%に減少:http://ja.wikipedia.org/wiki/)は同時に先住民の文化の否定。アメリカ文化は近代文明の力で無理矢理自然をねじ伏せた(つもりになっている)文化だ。その土地に住む共同体の文化は自然との共生についての経験と知識によって成り立っている。それに失敗した文化は滅びる。そして、数千年の歴史を持つ文化は必ずその基礎として自然との共生を土台とする共同体の記憶を持っている。神話はその一つ。アメリカ文化は神話を持たない文化だ。
例えばアメリカの農業は過剰な潅漑により深刻な打撃を受けているらしい。アメリカ文化に「発展」はあっても「持続」はない。二百年何とかなってきたけれど、この先千年持続可能である保障は何所にもない。恐らく無理だ。
アメリカ文化は、原始共同体の記憶を持たない文化であり、自然との共生を否定した文化である。他項で書いたけれど、原始共同体での女性の地位を記憶として持たないアメリカ文化は極端な女性差別文化でもある。ウーマンリブはアメリカから起きた運動である。グローバリズムとは、この安直なアメリカ文化の世界的敷衍のことだ。
イスラム社会との対立は、このアメリカ文化への反感が生み出しているのではないかと思う。イスラム文化はそれこそ五千年以上の歴史を持ち、中世約千年間にわたり世界をほぼ制圧し続けた。こういう重厚な文明がアメリカ文化と親和性を持たないのは理解できる。聞きかじりでしかないが、イスラムの教えの中には、アメリカ流の個人主義を正反対にしたことが多く書かれているという(例えば「マルカムX自伝」)。そして今、ヨーロッパの若者を「イスラム国」が惹きつけてしまう。
グローバリズムへの有効な批判として、イスラムしかないのか。考え込んでしまう。さらに、日本は何故大した抵抗もなくアメリカ文化を受け入れ広大な米軍基地の存在を許してきたか。「奥様は魔女」の家庭生活に憧れて僕たちは育った。
イスラムのテロリストによる残虐な事件を見ながら。