扶氏医戒之略(緒方洪庵訳)安政丁巳(1857年)春正月
一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。
緒方洪庵が医師の理念として、塾生に与えた有名な訓戒。ドイツ人医師の書物をオランダ語訳したものからの抄訳。江戸末期、知識人の倫理的到達地点を示す文章。
百十年後に日本で起きた学生運動は、ここから先に何歩あゆんだのだろう。更に四十年たって我々はどこに立っているのだろう。民主主義、キリスト教、マルクス主義、明治以降様々な思想・宗教・哲学が輸入されてきた。言葉としてそれらを読み、「理解」したとしても、自我の構造をどれだけ転換できているのか。 ここに述べられている自己犠牲の倫理を支えるのは、キリスト教の神ではなく、江戸時代を支えてきた村落共同体の掟、それに論理的基盤を与えてきた儒教思想なのだろう。以降、日本人はおなじようにして聖書を読み、マルクスを読んだ。
思想や哲学を「学ぶ」「理解する」とはどういう事なのだろう。またそれによって自我の構造そのものを更新する事ができるのだろうか。聖書が翻訳されたとき、 righteousness(私は英語以外の外国語を知らないので、本来は古代ギリシャ語)は「義」「正義」とされた。儒教の仁、義、礼、智、信の義とどう違うのか。言葉での説明はされるとしても、私たちは西欧のキリスト教徒と同じように「義」を捉える事ができているのだろうか。
この緒方洪庵の文章を最初に読んだとき、全共闘を体験した私より多少上の世代の語り口を思い出した。同じではないか。彼らはその倫理的基盤を求めて彷徨する事になる。実体としての農村共同体は崩壊の過程にあり、規範意識だけが宙に舞う。全共闘運動と同時に流行した「任侠」映画もまた、行き場を失った共同体意識が生み出した物のように思える。実際、当時の「左翼」「新左翼」党派の振舞いは、ヤクザのそれと酷似していた。この「左翼」の政治的な駄目さ加減はその後の教職員労働組合の盛衰とも大いに関係している。
私たちは、高校、大学で倫理・哲学・社会思想などとして、西洋哲学については多く学ぶ機会を持っている。それに比して、東洋思想、特に江戸時代幕府公認の思想として、武士から庶民まで広く普及した儒教思想について、これを対象化する作業がどれだけできているだろう。性、理、気、義、私たちが平常使っている日本語自体儒教に深く規定されてはいないか。
他でも述べたように、私が教員として勤めた三十余年は、この村落共同体の規範意識が徐々に失われていく過程であったように感じている。私たちは、失おうとしている物が何なのか、儒教思想に代わって日本人の倫理を支えるものはなにか本気で考えてみるべきだ。子供の社会に深刻ないじめが横行し、大人の社会では醜い差別が公然と行われている。真面目に正義についてかんがえなくてはいけないときだと思う。(文科省のいじめに関するパンフレット見ていてもなかなか正義と言う言葉が登場しない。)
当面教員にできる事は、他で述べたように、昭和を美化して語る事<内田樹>しかないのではないかと思う。当面は残存する生徒の儒教意識に訴える。少なくとも私は、この十年そうやって生徒の中に集団の倫理を持ち込もうとしてきた。失われつつあるのは事実だが、全てが失われたわけではない。正義感の強い生徒、義理人情に厚い生徒はいる。どの生徒も、例えば冒頭の緒方洪庵の文章に反応する何かは持っている。そこに働きかける。全く新しい家を建てる材料が無い以上、傷んで細くなった土台や柱を補修していくしか方法がない。とにかく、正義を語るのだ。その実態、根拠は語りながら考え、補填するしかない。
実際には昭和の時代の人間関係が今よりよかったわけではない。共同体は同化を強く求めた。共同体を外れるものに対するいじめや、差別は厳しかった。上下関係を無条件に承認しそれに従わなくてはならなかった。 そういう束縛から抜け出したくて新しい社会を作ってきたはずだ。
一方、「力の強い者は弱い者を守らなくてはいけない、勉強のできる者は勉強苦手な者の面倒を見るべきだ、昔の生徒はそうしてきた。」「仲間を大切にせず一人だけいい思いをする奴は、昔はみんなから見下されたものだ。」といった説教は今でも意外に通用する。昭和が過ぎ去ったからかえって嘘が通用するようになったのかも知れない。語る以上教員は自ら古典的正義を実践しなくてはならない。こちらがそれなりの筋を通せば、子供たちは素直に反応する。(それなりの筋、に実際は誠実さと細心の注意が必要なのですが)
それにくらべて難しいのは大人の社会だ。生徒同志は仲間意識を育てても、保護者は自分の子供しか見ていない。また、教員室で正義は行われているかな。