そもそも高橋源一郎氏の朝日・論壇時評(15.03.26)がきっかけでこの書物を手にした。高橋氏の文章が面白く、この本にも期待した。アンソロジーでそれぞれ興味深く読むのだが、どうも食い足りない。隔靴掻痒。その感じを書く。
余所でも書いたが教員を30余年しながら感じることは、徐々にではあるけれど高校生が「知性的」であることに魅力を感じなくなったことだ。大きく区切るなら1990年あたり、世界史的にはベルリンの壁崩壊以降あたりおからだろうか。私が中学・高校生であった頃、朝日ジャーナルを手にした友人がいてそれがすごくかっこよく見えた。(今振り返れば当人もカッコつけのためだけに持っていたのではないかと思う。)本屋の文庫本コーナーには、銀色カバーのカミュが必ず並んでいた。そういう気配が失われた。何故なのだろうとかんがえてきたのだけれど、どうもまだ納得がいかない。
ある企業で自社製品が売れなくなって、ライバルの他社製品が売り上げを伸ばしたら、まず最初に何をするか。他社製品とそれを買う消費者を分析する前に、自社製品が何故売れないか省みるところから始めるべきではないか。それは一般に言われる大学の先生その他の「知識人」と呼ばれる方の大きな責任であるはずだ。興味ある事柄について、外国語を含む多量の文献に目を通し、同じ分野に興味を持つ人と必要とあれば海外まで出かけて討論を重ね・・。こんな事は他に仕事を持った普通の人間には出来ない。このような事を専業の仕事とする人たちが、近年どんな成果を上げてきたのか。自然科学はともかく、人文科学の分野で。ある種のいらだちを抱えて我々庶民は暮らしてきた。そのために税金を払い、子供の大学学費だってある種の献金のつもりで払ってきた。
1970年から45年。テクノロジーの進歩は目覚ましい。70年代各大学に設置されていた大型コンピュータ(計算機センターに鎮座していた)を遥かに凌ぐ性能の電子計算機を各個人が胸ポケットに入れている時代が来た。その間に人文科学でどれだけの成果が出ただろう。海外の流行を追い、日本に紹介し、身内でその知識量の多寡を競う、いわゆる「××オタク」以上の仕事をした者がどれだけいるか。西欧の人文科学を日本に紹介するのが主な課題だったのは、明治時代だ。いつまでそのしっぽを引きずっているのか。大体、全共闘運動の後始末をきちっとつけた人間がどれだけいるか。(団塊の世代は近年国立大学定年を迎えた。)「知性的」であることが魅力を失っても当然ではないか。全共闘運動以降の知識人の在り方について、振り返ることから、「反知性主義」の考察を始めるべきではないのか。
もう一点、「反知性主義」としてあらわれている言動で主なテーマとなるのが、民族・宗教という、そもそも「知性」が最も苦手とする分野であることだ。「領土が他国に取られる」と言われると、むずむずと血が騒ぐ。福島県で自らの過失で広大な土地を失っても割と平気。心の中で受け止める場所が異なる。ナショナリズムの問題を切開しないと「反知性主義」を語ることは出来ない、少なくともナショナリズムについて「知性的」に語ることの困難さを分析することから始めるべきではないだろうか。
ベルリンの壁崩壊以降世界的に噴出した民族問題は、有効な解決手段を見いだせないまま、頻度を増している。グローバリズムに対応して西欧社会が打ち出した「多文化主義」の理念は、極右勢力の台頭とテロルの前に力を失ってはいないか。21世紀に入り「知性」がその無力をさらけ出してしまった。その無力さについて、もっと書いてほしかった。
取り敢えずの感想。