この本が2000年に刊行されたのは驚きだ。規制緩和、ゆとり教育の問題点を的確に指摘している。ブッシュJr政権、小泉政権誕生以前であり、「格差社会」が流行語上位ランクされるのが2006年である。
ゆとり教育を決定づけた、三浦朱門・前教育課程審議会会長を取材しこんな発言を得ている。
「戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、出来る者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」
生きる力、新学力観などの美辞麗句の裏でその骨格を形成していたのはこのような極端な能力主義教育観だった。ゆとり教育が始まる以前に、教員のどれだけがこのような背景が見抜けていただろうか。私自身深く反省する次第だ。
齋藤貴男はこの本で、新自由主義の本質を「優生思想・社会ダーウィニズム」として批判している。この本に対する物足りなさ、言い換えればこれから私達がかんがえて行かなくてはならないことは、なぜ私たちがこのような社会を許してしまったのか、踏み込むことだ。彼自身が述べている。「私はジャーナリストとして取材し報告する。かんがえ行動するのは読者だ」と。
私たちは、格差と平等について正面からかんがえることをずっと怠ってきた。例えば米国は、白人・黒人・ヒスパニック・・・等、鮮明に人種の区別があり、生物学的にも外見だけでお大きな差異があり、社会的にもかなり鮮明な経済格差がある。そこには深刻な差別も存在する。どうしても教育における平等の理念と正面から正面から立ち向かわざるを得ない。苅谷剛彦は『教育の世紀』で米国の教育政策について次のような報告をしている。人種間に経済資産、文化資産に格差は存在するが、各階層・各人種について能力の分散に差はない。従って教育における平等とは、経済資産・文化的資産の格差を補い教育機会の均等を保障することである。たとえば大学入試における Affirmative action (積極的格差是正)は有名である。
日本では、部落解放運動の中で取り組まれた格差是正措置がほぼ唯一ではないだろうか。幼児保育から、高校教育まで被差別地域の行政による子供たちへの学習支援策がとられてきた。そしてこれらの施策は高校・大学進学率の一般地域との格差を是正するにあたり一定の成果を上げてきたように思う。しかしこれらの施策は、更に広く社会全体での格差是正策に一般化されることなく、格差の実際の縮小と時限立法である特別措置法の期限切れと共に後退してしまった。
(部落解放運動と教育支援策については、取り組みの歴史と成果についてもっと調べてみる必要がありそうですね。)
なぜ平等について真剣に考えずにここまで来てしまったのか。大きな理由は、例に挙げた米国などと比べ日本が人種的に均質な国だったことによると思う。縄文系・弥生系など人種的にある程度の差はあるが、髪の毛の色、肌の色といった極端な外見上の差異はみあたらない。生まれてくる子がどんな瞳の色をしているか日本人は気にすることがない。遺伝子の差異と平等について向き合わされることがなかった。また集約農業を基本とする農村共同体が日本人の土台を作ってきた。田んぼにはどの株も均質な稲が同じ背丈で同じ穂を付けて広がっている。人間もまた同じように均質な存在と見なしてきた。実際大陸にあり異人種の交流が数千年続けられた国と比べ、日本人の遺伝子上の差異は、少ないのだそうだ。(目を見張るような天才が少ないのはそのせいだと言う人がある。)そこから「能力の平等」の仮定が生まれ、戦後民主教育の土台を作ってきた。ややこしいことをかんがえないですむ、都合の良いたてまえであり続けた。
私たちは「優生思想」に対して無垢だ。大変危険な思想として封印し、遺伝的な多様性と平等について深く考えることを避けてきた。しかし、学校で教えていればすぐわかることだが、資質の差は実際には歴然と存在する。社会が行き詰まり、打開策として競争が煽られる時代が来た。教祖を校訂する根拠として、最初に引用した三浦朱門のように、いい加減で大変荒い「能力差」肯定の論理が出てきたとき、その批判が「優生思想」とレッテルを貼るだけでは、この流れを押し止めることはできないだろう。
「能力」の多様性と向き合った上で、本当の意味で教育の平等についてかんがえる時が来ている。
『みんなで一緒に「貧しく」なろう』齋藤貴夫対談集もおもしろかった。この本のタイトルになっているスローガンを私は全面的に支持する。ネオリベラリズムの発想はちょうどこの逆、「自分一人で豊かになろう」。