保護者が自営業

 30余年の教員生活で気付いたことの一つだが、保護者が小売店や農業、町工場といった自営業を営んでいる生徒は、人間的に安定している場合が多い。もしくは精神的成熟が早く大人として信頼でき、教員から見ても魅力的な生徒が多い。特に親子関係が安定している。友人関係の起点となる場合が多く、家がたまり場になる。保護者が他の生徒の面倒までよく見てくれる。 どうもそういう気がする。 印象深い生徒を思い出すと、親が自営業であったことに思い当たる。勿論これは傾向であって、親が自営で未熟な子もいたし、典型的なサラリーマン家庭の生徒の中にだって素敵な生徒はいくらでもいるのだけれど。
 例えば、両親で商店街の小さな小売店を営んでいたある生徒の場合、周囲の生徒たちが、「あんな親子関係になりたい」とうらやましがるような円満な家庭で、実際多くの生徒がお世話になった。本人、よく遊ぶけどしっかり勉強もして上位の成績を維持し続けた。校則違反もやんちゃなこともするが、教員を怒らす一歩手前をわきまえている。学校生活のけじめが出来ていて、学校ではちゃんと生徒であり続ける。外ではいろいろやっていたみたいだけど。将来やりたいこともはっきり決まっていて、自分でいろいろな大学の中身を調べ、本人の実力からすれば「楽勝」の大学にさっさと進学していった。学力からは見れば、私学ならトップレベルの学校に楽々合格できたはずだった。まわりの教員からは、勿体ないからもっと「有名な」大学を受験して学校の宣伝に一役買ってほしい、と願う声は多かったけれど、本人にそんな気は全くない。そして、保護者にもそんな気はない。子供のやりたいことをやらせたい、それだけだった。
 こんな子がもう少し多ければ、教員は随分やりがいのある仕事になる。子供たちに本当に伝えたいことに専念出来る。それこそ後期中等教育の独自性を十分に発揮できる。
自営業の家庭はサラリーマン家庭にはないいくつかの特徴を持っている。まず、地域共同体と密接に関わり、その中で生きている事だ。サラリーマンの場合、隣が何をしているかわからないアパートに住んでいたって生活できる。子育てを巡って初めて地域性を意識するようになる。サラリーマン家庭の町内会は子供でつながっているだけだ。自営業の場合そうはいかない。地域に密着してしか自営業そのものが成り立たない。農業の場合は様々な共同作業が必須だ。小売店はたいてい商店街の一員として店が成り立っている。商店街全体の趨勢が各店舗の売り上げを決定する大きな要因になる。お客もまた特定の地域の人が大半。多くが顔見知りのはずだ。更に時間的にも何世代も前から現在の地域に定住し時間的にも地域と密着していて、そこには共同体の論理が比較的強く残存している。だから子供たちの溜まり場になる。子供が十人押しかけても喜んで飯食わせてくれる。卒業してから聞けばアルコールの味をここでおぼえた生徒もいる。
サラリーマンは大きな組織の中で会社で上から与えられた仕事をこなしているわけだが、自営業を営む保護者は自分で全てを判断し、自分の責任で行動している。この世の中うまく行かないこともたくさんあるだろうし、経済的に苦しいことの方が多いだろう。でも全て自分の判断だ。保護者面談で接しても生命力があり生き生きとした人が多い。たとえて言うなら、毎日机に座って授業で先生の話を受け身的に聞いているより、文化祭の準備をしている方が子供が生き生きしているのと同じか。そんな甘いものではないと怒られそうだが、自営業は毎日が「文化祭」。
 更に、自営業の場合母親にも父親と対等の役割分担がまわってくる。これは、両親共稼ぎのサラリーマンとも違う。自営業としての仕事と家庭の家事との境界線は曖昧で、その仕事の総量を夫婦で分担している。母親が実質的な営業判断の大半を握っていると推定される場合も多い。大体女性の方が社会的コミュニケーション能力は格段に優れている。地域の共同性は女性によってつながれている場合が多いのだ。母親が自分の生き甲斐をしっかり感じていて人間的に安定している。これを自立しているといったらいいのだろうか。いわゆるジェンダーに関する問題はここには目立たない。商店街のおばちゃんは元気だ。
 こういう家庭でなら子供は健全に育つ。親は自分が生きることに一生懸命でその仕事にそれなりの誇りを持っているから、子供に過剰な期待をかけたり、自分の満たされない人生=コンプレックスを投影して、人生の代行を強要したりしない。実際そういう親が多かった。期待過剰や、その裏返しの育児放棄がない。また、子供が地域で育つ。社会的な経験が豊富で、人間関係力も優れる。また古典的な社会性、農村共同体の倫理を身につけた生徒も多い。
 別の文章で、この農村共同体の論理が衰退しつつあることが、この30年の大きな変化だと書いたが、言い換えるとこれは、自営業衰退の歴史なのだと思う。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』がヒットするのも単なるノスタルジーではないだろう。自営業は魅力的なのだ。共同体の論理は現代の企業の論理とはまた別の形で人間を縛る。かわりにそこに人間が生きる場がある。
巨大なショッピングモールが全国至る所にあらわれ、弱小小売店食いつぶされる。大型家電量販店が全国の電気店を統合してしまう。小規模農家は次々と廃業していく。これでTPPが成立発効したらどうなるのだろう。
 自営業、地域商店街、農業集落、経済効率が悪くても守る価値はある。人間は経済効率で生きているのではないのだから。人間はお金で生きているのではないのだから。効率が悪くても貧乏でも「文化祭」的社会だったら楽しくしあわせに暮らせるはずだ。
 少なくとも、「自営業者から学ぶ健全な子育ての秘訣」みたいな本を誰か書いてくれないかな。