教育と学校

 教育とは、共同体存続のために共同体の文化的蓄積を次世代に引き継ぐ行為である。これはある意味で暴力的な押しつけである。しかし、共同体が現在まで存続できたのはその文化的蓄積によるわけだから、これは充分正当な根拠を持った押しつけ行為だ。そして、共同体の文化的蓄積を引き継ぐこと、共同体の存続を担う一員であること、共同体の一構成員として個体が生き延びること、これらはかつて同じことを意味していたはずだ。
別項で書いた「昨日までの世界」(ジャレド・ダイアモンド著)は、ニューギニアの狩猟採集民の文化を現代西洋文明と比較して論じた示唆に富む書物である。狩猟採集民にとって、子供と大人が共に過ごすこと、それが教育だ。成長に応じ子供を生活に巻き込んでいくことで大人は子供を教育する。教育の仕方も教育する。歴史や物語(同じものだと言う方もいるが)、つまり言語による伝承は、夜寝るまで火を囲んで延々と語られる会話の中で伝えられていくそうだ。子供たちにとって、毎日の生活そのものが学習だ。考えてみれば当たり前のこの事実が忘れられかけてはいないだろうか。教育とは、共同体が生活することそのものに組み込まれ実現されてきたことなのだ。
 原始共同体のこのような教育行為は分業が進み国家が形成され変質していく。共同体の構成員全員が全ての知識を均質に共有することは、原始共同体でもあり得ないだろう。呪術師は呪術の伝承を特別な個人に行ってきたはずだ。それが共同体から国家へ社会の質と規模が変容する過程で文化的蓄積の伝承も分業されていった。特に、文字文化の成立が教育の質を転換する契機になったのではないかと思う。文字文化の伝承は日常生活を年長者と共にするだけでは不可能だから。文字文化は、長く共同体の普通の生活を離れた支配階級と特殊技能者集団(宗教者とか)によって伝承されてきた。それが近代大衆化するところで「学校」が生まれた。
 私は、江戸時代の「寺子屋」をイメージしている。歴史を専門にしないから断言はできないが寺子屋はおそらく世界で最初に社会的に広く普及した文字文化の大衆的教育機関だ。しかし、江戸時代の農民(9割が農民だった)にとって、寺子屋で修得するものは、当時の「教育」全体、つまり農村共同体を維持存続するために必要な文化的蓄積の総体、のなかでどれだけの割合を占めていただろう。「寺子屋」で修得できるものは、大人になるために必要な事柄の一部に過ぎなかったはずだ。共同体の構成員となるために身につけるべき社会的おきては当然として、人間が言語を習得し他者と感情を分かち合い共に暮らすための技能の全てを子供たちは大人集団と共に暮らすことで修得してきた。私たちは「寺子屋」という優れた教育機構に目を奪われがちだが、寺子屋では教えられなかったこと、寺子屋以外で教育されてきたことの総量に目を向けるべきではないかと思う。
寺子屋で儒教を習う。それによって子供たちが共同体の倫理を身につけたわけではない。子供たちはまず他の共同体構成員と共に生活することによってまず自己を形成する。寺子屋で伝えられた「儒教」により共同体の倫理は体系化され変質していっただろうが、それは大きな時間の流れの中の話し。文字文化の浸透大衆化により共同体はゆっくり変質していった。個人に対する文字文化の教育による「効果」と、文字文化の教育による長期的な目で見た社会の変容は別の次元の話である。
 その事実は、明治時代「学校」が誕生しても変わりはしない。「学校」は教育の一部を形成するに過ぎない。「学校」は文字文化の伝承を基本目標とする機関である。学校もまた一つの人の集まる場、コミュニティーであるから、共同体のもつ教育力の一部となり得る。しかし、あくまで一部なのであって、学校が我々にとって必要な教育の全てを担うことなどとうていできない。日本語は誰がどこで教えているのかを考えればすぐわかることだ。
 これは、私が34年教員をして実感することでもある。学校は生徒の人間としての教育に全面的な責任を持つことなどできはしない。また、「プロ教師の会」が言うような、「近代的自我」(仮にそのようなものがあるとして)を形成する場などではない。ようやく文字式の処理ができる程度の子供を、近代解析学の入り口に連れて行くことは、できる。そのための制度が整っている。他者の気持ちが読めない子供に、他者に共感する心を育てることは、できることがある。生徒相互、教員と生徒の接触の中で偶然成長する生徒もいる。しかし、そのような制度は学校の中にない。
 そう考えてくると、教育の抱える根本問題が見えてくる。制度としての「学校」はこの100年大して変わっていない。変わったのはその外側の社会の方だ。かつて、文字文化以外の教育を担ってきた、家族・共同体の生活が失われつつある。そのことによる矛盾を学校の教員は無理矢理引き受けさせられている。いじめ、学級崩壊、無気力、これらは学校の責任ではないはずだ。
 私たちの選択肢は基本的に2つ。
1.これまでの社会に代わり、学校が人間教育の広い部分に責任が持てるよう、学校制度を根本的に取り替える。例えば、子供たちは全員寮生活をし、生活の全てを学校が「教える」。農場などを持っていて、擬似的には独立した共同体をつくる。
2.社会が子供の教育力を持ち得るよう社会の改良を試みる。生活に密着した中間共同体の形成を試みる。
 こう考えると、1と2は同じことを希求することになりそうな気もする。

さて、もう一つ教育の根本に立ち返る問題がある。かつては同義であった、共同体の存続を担う一員であることと、共同体の一構成員として個体が生き延びることの間に現在は大きな溝ができあがっている。かつては、共同体を維持存続させるための知識が教育の中に盛り込まれていた。(盛り込まれた共同体だけが生き残った。)現在、100年後の地球がどうなるかそのような配慮を全くしなくても、現代社会で生き延び成功する道はいくらでもある。
厳しい自然条件の中で共同体が存続していくためには、多くの知識と経験の蓄積が必要でありそれに失敗した共同体は崩壊していった。同じくダイアモンド氏の著作「文明崩壊」にはその事例が数多くそれも詳細に分析されている。現在まで存続し得た共同体は、その維持に関して正しい知識の蓄積をなしえたものに限る。滅びた共同体は数知れないのだ。ダイアモンドによれば、森林伐採に関して厳しい禁忌を定めることで、日本は鎖国を維持することができたと言う。
 今、経済の規模が地球全体を覆い、世界全体で資源が分配されているとき、50年後、100年後、人類の存続を前提とした教育はどこの場で行われているだろうか。