『日本の反知性主義』を読んで 3 

 全共闘後、何故その深い反省と新しい展望が言論の世界で生まれないのか。教員の仕事をしながらずっと疑問に思い、知的生活を本業としている人々に不満を持ってきた。当時の学生運動を経験た人たちのその後は、まちまちだ。よく言われるように、髪の毛切って真面目に授業に出て普通に企業や官公庁に就職した者は多い。でも、運動の理念を多少なり引き受け様々な社会に散っていった人々もまた多かった。そしてそのまま大学に残り、問題意識を抱えながら研究生活に入った学生も数多かった。今公立大学で丁度定年を迎える前後の研究者は、多かれ少なかれ全共闘と関わり影響を受けた世代のはずだ。前項でも書いた、近隣党派の殺し合い、党派内の粛正にまで至った運動がどれだけ深刻に振り返られたか。彼らはこの40年何をしてきた。
 考えてみれば、太平洋戦争後「私は間違っていました」と書いた知識人はどれだけいただろうか。大して多くない読書量の(恐らく普通の社会人程度の読書量)の私は、それを思い出すことができない。「非転向を貫いて」誇らしげに戦後民主主義を語り始めた人は多い。でも知識人の大半は戦前、多かれ少なかれ大日本帝国を賛美し同調する発言をしてきたはずだ。彼らの中に、自分の過ちを認め、何故誤ったのか自らを腑分けしようとした者はいたか。その上で、戦後がどうあるべきかを戦前からの連続性を踏まえて語ろうとした者がいたか。
 私が学生生活をおくったのは、「エピステーメー」なるわけのわからん雑誌がはやり始めた時代、1970年代中期だ。数学科教官の1人が、「日本語のあまりのわからなさに、げらげら笑いながら読むのがいい」と言っていた。全共闘運動を、運動と自らの関わりを振り返る代わりに、「フランス思想」の大量輸入が始まる。街では「an-an」「non-no」が流行、今から思えば、バブル崩壊までの「成長の時代」がやってくる。いつの間にか空気が変わってしまった。
 私たちが学生の時代、経済学部の学生は、近経(近代経済学)かマル経かまず選択することになった。多くの大学にマルクス主義経済学の講座があった。だが、ベルリンの壁崩壊以降、はっきりマル経を標榜している講座は殆ど無いと聞く。あれだけたくさんいたマル経の先生はどうしたのか。学術レベルでは色々言い訳はあっただろうが、広く社会に向けて「私はこのように間違っていた」と語った学者はどれだけいたのか。社会人やってる私の耳には聞こえてこない。
 自民党政権が、「太平洋戦争」を美化しようとしているのと同様、知識人も過去の過ちを見て見ぬふり、もしくは過去の言動を美化してきたのではないか。自民党が侵略戦争を「自虐史観」と呼ぶ。それを知識人は本当に批判できるのか、笑えるのか。かつて毛沢東を文化大革命を賛美した人はどこで何をしている。「全共闘」をノスタルジックに語るのは、大東亜共栄圏を賛美するのと大して変わらないではないか。
前の時代に「幸運にも」沈黙せざるを得なかった者(その中には若すぎてものが言えなかった者が多いのだけど)、傍観者だった者が次の時代を語る。もしくは過去の自分がまるでなかったかのようにして次の時代を語る。これではいつまでたっても私たちは前に進むことができない。流行にそって様々に場所を変えるだけだ。それが日本の「知的」風土であった。このような作風が省みられることなく、延々と続けられてきた。最近そう思うようになった。
 日本だけではないのかも知れない。ドイツでフランスでナチスに関わった知識人は戦後どうだったか。『日本戦後史論』で内田樹氏の語る所でも日本と大して変わらない。
「私はこう間違えていた」と語るのは難しいことなのだろう。でも本当のことは、その中にしかないのではなかろうか。知的営みが軽んじられ、「反知性主義」が跋扈する時代に知性がその信頼を回復する道があるとすれば、ここから語り始めなければならないのではないか。知識人の「戦後」の受け入れ方、「民主主義」の受け入れ方、「社会主義」の受け入れ方、「社会主義」の放棄のしかた。これらを振り返り、私たちの知的営みの根幹を築き直す必要がある。私たちは何を土台としてものを考えたらよいのだろう。『日本の反知性主義』を読んで、ここにも寄稿している白井聡氏の『永続敗戦論』を読み返してみた。歴史の節目で、日本の知識人はどう振舞って来たか考えてみる必要を改めて感じさせられた。
 「集団的自衛権」を巡る議論の中で「立憲主義」が改めて語られている。(2015.7.10)政治的手段として、現行憲法を持ち出すことは、ある得るだろう。しかし、憲法9条の前、1条から8条には天皇のことが書かれている。これをどう評価する。見て見ぬふりか、やばいから棚上げか。「集団的自衛権」の次は、憲法改定がやってくる。知識人が政権批判と現状維持しか語れずにいれば、「反知性主義」にこのままずるずると寄り切られてしまうだろう。それは知識人の責任なのだ。
豹変は、(ネットによれば)全文引用すれば、『君子豹変小人革面』だそうである。「豹変」とは「革面」とは異なり根本的に改めることだという。そう、知識人はちゃんと豹変すべきなのだ。根本的に改め、その理由を誠実に語る。私たちは日本の近代に本当の意味での「君子」を得ていないのではないかと憂慮する。