数十年来思ってきたことを書く。単なる不平不満である。
マスコミの高校野球過剰報道は目に余る。年を追ってひどくなる。テレビでは地方大会1回戦から試合を流す。新聞も地方版では各試合詳細に報道する。
過剰だ。なぜ地方大会1回戦から新聞には全チームの紹介が載り、結果はニュース報道されるのか。試合が進むとテレビ中継が入る。甲子園ともなれば全てのテレビニュースが結果を報道し、全試合中継する局が、NHK・テレビ朝日2局もある。新聞紙面もプロ野球もしくはそれ以上の紙面を割く。この過剰な報道に、教育的配慮のかけらも感じられない。この過剰さが、多くの問題を生む。対象は高等学校の生徒、15才から18才の未成年、(その上男子だけ)彼らの名前が新聞を賑わし、テレビカメラに晒される。多感な高校生をどれだけ刺激するのかわかっているだろうか。そして、保護者をどれだけおかしくするか。高等学校は教育機関である。その名前が繰り返し新聞に登場し、テレビで連呼される。高等学校、特に私立校にとって、これは経済効果お金の問題になり、学校運営をおかしくする。新設私立高校が効率の良い宣伝方法として、硬式野球部を利用していることを皆知っている。甲子園出場請負監督が、全国を渡り歩いていることを知っている。甲子園出場したい学校は、全国から選手を集めている。甲子園に行きたい中学生は全国の「強豪校」から目をかけてもらうため必死だ。少年野球監督と高校野球監督の間に人脈ができあがり、太い人脈を持った監督の下に優秀な中学生が集まる。これが健全なスポーツか。
私の勤務校で野球が比較的強かった頃、硬式野球部の生徒が授業中変なことをしている。問い糾すと、サインのデザインを考えその練習しているのだという。高校野球はこういう生徒を作る。野球の強い学校は、バトントワリングも盛んだ。女子生徒が数多く参加する。テレビに映るチャンスがあるのだから。吹奏楽は悲惨だ。コンクールと日程が重なる。広い野球場で楽器を鳴らすとコンサートホール用の音が壊れる。柔道の応援にブラスバンドはつかないが、なぜか野球の応援にブラスバンドはかり出される。これは考えてみればそれ程当たり前のことでない。
不公平だ。報道が硬式野球だけに偏っている。インターハイは毎年8月開催される。およそ30種類の競技種目がある。硬式野球のようなインターハイ以外の全国大会も更に10近くある。部活動過熱の問題、インターハイ自体にも言いたいことは山とあるが、おいておく。これらの競技の報道に関する公平さを配慮している者がいない。新聞紙面の面積でも、インターハイ報道全体よりも高校野球の方が広い。全国決勝戦ですらフルタイムで中継される競技がどれだけあるだろうか。新聞報道で紙面の面積は公平か。「なぎなた」をやっている高校生と「硬式野球」やっている高校生では確かに人数が違うだろう。せめて、競技人口に比例した紙面配分ぐらい心がけてもよくないだろうか。少なくとも、それに近づける努力をしているだろうか。全国大会に出場すること、そして優勝することは大変だ。マイナーな競技は数校で試合して勝てば全国行ける競技も確かにある。しかし、硬式野球と同様のエネルギーをさいてトレーニングに励む高校生は、硬式野球選手総数の十倍以上いる。さらに、文化部を含めた高校生部活動全体を視野に入れたらどうなるか。
全ての高校生体育競技に関して硬式野球と同じだけの報道をすると、8月前半のテレビ番組は全て高校生スポーツの中継で埋まり、新聞は30面以上高校生スポーツに当てることになりそうだ。昨日の新聞で地方版で2面、全国版で2面高校野球が占めていたのだから。
これらのことに無自覚なマスコミが、教育問題に関して偉そうな報道をしていることに腹が立つ。詰め込み教育、競争を煽る教育、いじめを隠蔽する教育、高校野球を過剰報道するマスコミにこれら教育の現状を批判する資格はない。
これらの過剰な騒ぎが高等学校野球部にどんな影響を与えるか。
練習時間。甲子園出場レベルのチームが年間どれくらい練習しているか。始業前の朝練習。放課後の練習。恐らくたいていはその後個人練習。私の所属していた学校からの推測でしか言えないが、ハイシーズンには一日平均7時間以上野球の練習をしている高校生は全国いくらでもいるはずだ。オフシーズンには量は減るとしても完全休息日は年間十日あるだろうか。さらに、年数回の合宿は欠かせないし、他に強くなるためには練習試合が欠かせない。それも全国の強豪校を相手に練習を重ねる。年に何度も地方遠征を行い、一度移動したらまとめて何校かその地方のなるべく強い学校と練習試合をする。一年に何回も修学旅行と同程度の旅行をし時間と金を使っている。これは、野球に限ったことではないのだけれど。
お金。甲子園出場目指して本気で取り組んでいる野球部で、選手1人あたりどれくらいのお金を負担しているか。かつての勤務校で、私立高校の学費と同程度の額を野球部に使うと保護者から聞いたことがある。用具も馬鹿にならない。ボールも練習時間が長ければ大量に消費する。練習設備も更新したい。専用グラウンド、雨天練習場、ピッチングマシン、・・・・。これも不思議なことだが、テレビ局はおよそ高校スポーツからかけ離れた豪華な設備を、学校紹介で写して平気である。全員寮生活の学校もある。24時間365日野球のために管理された生活をおくる。お金が続かなくて硬式野球やめた生徒を知っている。
甲子園など行ったらどうなるか。スタンドを埋め尽くす応援団は、阪神の試合とは違って、学校が準備しお願いして来ていただく応援団である。数千人の応援団を兵庫県まで派遣する。一台に50人で観光バス50台以上。甲子園出場が決まって寄付を募ってもそんなに急に集まるものでない。地方によって学校によって事情は違うだろうけど。出場選手の親が自腹を切ってバスをチャーターしたりする。交通費だけではない。応援に来ていただいた方の食費。日程や勝敗によっては宿泊費も。応援はテレビに映る。派手な応援をさも素晴らしいことであるかのようにアナウンサーが語る。高校生のスポーツからかけ離れた異様な姿であるにもかかわらず。みすぼらしいことはできない。甲子園出場選手の保護者が百万以上のお金をつぎ込んだ話を実際に聞いた。子供が甲子園で勝ち進んだため応援費用がかさみ、家が破産してしまったという噂も聞いたことがある。
全ての競技スポーツは原理的に結果至上主義であり、序列化の承認であり、競争である。当たり前だ。更に言うなら、点数化し序列化する全ての行為、「××コンクール」今流行の「○○甲子園」、にしてもそうだ。子供たちに、全ての行為に順序づけが可能なことを教え、他人を打ち負かす事の価値を教え、そのために自己犠牲的に努力することを教える。競争・順序付け・選抜は、現代社会で避けて通ることができない。全ての職業をくじ引きで選ぶわけにはいかないのだから。その社会の中で、学校教育は来るべき社会を目指し理想を語り実現しようとする場であってほしい。理想主義が尊ばれる場である。ここでも競争・順序付け・選抜は、避けることはできない。その負の側面をしっかり見つめさせ、競争が何を損なうのかを同時に教える必要がある。その現場に圧倒的な力を持って、競争原理礼賛・結果至上主義が持ちもまれる。天下の朝日新聞に自覚はあるのか。自ら高校野球のゆがみについて連載記事でも書いてみたらどうだ。
教育をこれだけぶち壊しておいて、「青少年の健全育成」とか「郷土意識の高揚」とか理屈をつけないでほしい。高校野球の報道は儲かると、せめて正直に語れ。
ブログを作ったついでの鬱憤晴らしでした。