経緯説明と基本的反論は、内田樹氏の投稿 http://blogos.com/article/113789/に大凡尽くされていると思う。支持する。私が問題を感じるのは、当事者が怒らないことだ。国立大学文系学部廃止が如何に愚策であるか、精緻な議論を展開するに最も適任な人々が、今回の廃止論のターゲットになっている。哲学的に、教育学的に、政治学的に、歴史学的に、・・あらゆる観点から反論が続出するはずだ。(だった。?)この種の議論について日本の最高峰が集結した場所を潰そうというのだから、本来ゴルゴ13を暗殺するくらい難しいはずだ。こんな恐ろしい政策を立案するには大変な勇気が要る。
どのような反対運動を展開すれば有効な反撃ができるか、全歴史上から、現在の全世界から反体制運動の情報を集約し分析する事だって、している人が何人もいるはずだ。例えばネットで見てみれば「日本労働社会学会」なる学会だってちゃんとある。『産業・労働に関する社会学の研究者を中心に、その実証的・理論的研究の発展を目指して』いるらしい。あなた方自身の労働が脅かされているのです。今こそ研究の蓄積を実践に生かす時です。労働運動のあるべき姿を私たちに、特に次世代を担う若者に見せてほしい。
弱肉強食の私立大学について以前書いたときにも、同様の疑問を書いた。何故大学人が団結できないのだ。
今、学校が抱える様々な問題の根幹にあるのは、教育について大まかな合意が崩壊してしまったことだ。明治維新後の国家建設、太平洋戦争後の復興と民主国家の建設、教育の役割について幅広い国民的合意が形成されていたはずだ。遠い未来を視野に入れ次世代に託す理想があった。70年代以降日本が豊かさを具体的に享受し始めると同時に、この合意が崩壊し次第に個人主義に取って代わられて現在に至る。丁度その課程で私は教員をしてきた。学校の教育は少なくとも生徒と保護者の合意がなくては成立しない。国民の合意からから理想主義が消えれば、学校で理想主義的教育はできない。遠い未来など考えなくなっている。目先の物質的繁栄。時間軸がどんどん短くなる。今回の文系学部廃止論は、教育とは何かをかんがえる絶好の機会だ。教育とは何か、文科省の垂れ流す新自由主義的教育観に対抗しうる、新たな合意形成を目指そう。
大学文系学部の教員学生の皆さん。自分の営為に自信と誇りがあるなら、大いに怒ってほしい。団結して反撃してほしい。文系学部の必要性を、これまでの全研究成果をかけて語ってほしい。闘うことで、理論は深まる。闘いながら、教育とは何か考え直そう。退官を迎えた団塊世代の先生方、失うものは何もない。昔取った杵柄、大いに暴れては如何。
もし有効な反撃もできないまま文系学部が廃止されていくなら、所詮その程度の文系学部。
潰れてもしょうがないか。