『みんなで一緒に「貧しく」なろう』【齋藤貴男】 14年12月総選挙を前に

自民党優勢の世論調査結果。自民党は「アベノミクス」。当面の経済拡大最優先。これに対し、野党は方法論と冨の再分配について批判するばかりで、経済拡大そのものに疑問を呈する発言は殆ど聞かれない。共産党だって、庶民にもっと冨をよこせと言うに終始している。これでは自民党がまた勝つ。官僚組織と資本家、農業生産者が支持する政党である。経済政策が最も具体的で現実的。実効性がある。自民党の用意した土俵で勝負になるわけがない。
高度経済成長の時代、「もう少し分け前よこせ」との言い分には実効性があった。分け前出せたから。実際庶民も豊かになった。自民党の政策は強固で、かつ目の前で実現して行った。だからこそ批判勢力は批判だけしていればよかった。批判にも現実性があり、ある程度の軌道修正もされてきた。自民党も野党の主張を計算に入れて政策立案してきた。だから、野党も一定の支持を集めることができたし、朝日新聞の書くことにも意味があった。不況と停滞の時代、同じ事繰り返していたら批判勢力から衰退していくのは当たり前だ。
バブルの崩壊、特に90年代後半から、高校生が「左翼」に対する興味を急速に喪失して行ったような感触がある。逆に知的に背伸びをする生徒が「右翼」に興味を示すようになる。そういう流れが当時はよく理解できなかったのだけれども、今時代を見返してみると、「左翼」が支持を失うことと、自民党の政策が実効性を失っていくことは並行して起こって来たように思う。もっと視野を広げれば、資本主義経済の要、米国が、ベトナム戦争終結以降迷走を続けてきた。その後を犬のようにたどり、時に無理難題を押しつけられてきた日本。
停滞の時代、「アベノミクス」だってうまくはいっていない。しかし、飽和状態を迎えた資本主義社会で経済拡大を考えれば、打つ手は新自由主義的政策以外の選択肢が見えない。英国のサッチャー政権米国のレーガン政権誕生以来、資本主義全体がそう動いてきた。経済拡大を前提にする限り、自民党以上の具体的政策は野党に立案できないだろう。
私たちは、有限な空間に有限な資源を抱えて生きている。単純に考えても生産と消費の活動を無限に拡大できるわけがない。科学技術がその壁をある程度越えてくれるだろう期待はある。実際ある程度のことは可能かも知れない。だが、未来の技術を担保に経済拡大を志向するとどうなるか、私たちは強烈に学習する機会を持った。
中国の国民が日本と同水準の国民所得を得ようとすれば、中国の国民総生産は日本の10倍を超さなくてはいけない。世界中の人間が、今の日本並みの暮らしを求めたらどうなるか。限られたこの地球で、資源の争奪戦が起こって当たり前。集団的自衛権に象徴される自民党の外交政策も、「経済の拡大=資源の争奪」の観点からすれば当然の帰結だろう。世界中の国が豊かさを求め経済拡大を続ければ、日本も強力な軍隊を持ち資源確保に向かうことになるだろう。それが唯一現実的な政策だから。
私たちは、見かけの物質的繁栄に見切りをつけるときを迎えている。しかし、環境保護に向けて様々な主張が現れる時代になっても、はっきり経済縮小を主張する言説にはなかなか出会わない。原子力発電所に反対する。それはよいだろう。ではどれだけの規模で消費エネルギーを想定したらよいのか。エネルギー消費を縮小し、経済を後退させよとは殆ど誰も言わない。特に政治家は言わない。
庶民を馬鹿にしないでくれ。我々は金儲けばかり考えているわけではない。若者は競争社会に半ば見切りをつけようとしている。イオンモールが全国の商店街をなぎ倒すのを苦々しく見ている。オリンピック騒ぎにうんざりしている。飛行機より高い運賃払って、「リニア」に誰が乗るか。都会では乗用車を持たない人間が増える。BSで繰り返し放送されるイタリアの農村。近隣の国々とだって、悲惨な戦争するより仲良く資源を分け合う方がよいに決まっている。
1990年代から新自由主義批判を始めた齋藤貴男氏を尊敬する。別ページで述べたように政府の教育政策に対する批判は未だに有効。いや時を経て彼の正しさが認知されることになった。『みんなで一緒に「貧しく」なろう』は2006年の対談集。
美しくしあわせな社会をめざし、ゆっくりと仕組みを作り替えながら撤退しよう。

貧乏しよう。
そういう政治家に一票入れたいのだけれど。