集団的自衛権

 のび太は、ジャイアンがこわい。ジャイアンの近くにいるスネオともうまく行かない。そこで、のび太は隣町に住むもっと力の強い奴Uを頼りにし、その陰に隠れて身の安全を保とうとしている。よく調べてみると、のび太はかつてこのUと喧嘩をしてコテンパにされて降参し、それ以来言うことに従ってきたのだった。Uは家の居間まで平気で上がり込んでくるが、のび太はお茶など出して接待し、Uのおかげで安心して暮らせていると感謝している。のび太はジャイアンは嫌いだが、この横柄なUが大好きで、これからもずっと守ってくれると信じている。喧嘩に負けた当初、もう喧嘩なぞこりごりだと思っていたのび太も、Uの薦めで空手を始めたのだった。始めた当初、空手は護身のためだけだと言っていたのび太は、最近友達と一緒に空手を使いたくなってきた。
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アメリカ軍が最も多く駐留している国はドイツで5万3526人、次いで日本が3万6708人、韓国が2万8500人となっている。 2011年末 http://10rank.blog.fc2.com/blog-entry-101.html

アメリカ軍の駐留費受け入れ国負担は、(2002年)
   日本  44億ドル、負担率 74.5%、
   ドイツ 16億ドル、負担率 32.6% http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9352.html
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首都中心から30kmほどの所に、横田、厚木、座間・・巨大な外国軍基地を抱える国がほかにどれだけあるだろうか。横田、厚木、座間に米軍基地があるのは気にもならないとすると、横田、厚木、座間が中国軍の基地だったらどうなのだろう。

 学校では子供たちに、互いの短所を非難する前に、長所を認め親密な人間関係を築く努力をするよう指導する。でも国の偉い人たちは、なかなか手本を示してくれない。残念なことに、現在日本を含む周辺各国指導者が揃っておかしい。
これから50年100年先を意識したとき、日本に最も利益を及ぼすのは近隣諸国との友好関係しかない。近隣諸国の人々が、安倍晋三氏をもって日本人の代表と見なし、日本人は皆同じような考えを抱いていると推定するのは、我々日本人にとって心外な事である。同様、各国政府の動向をもって、各国国民を理解することはできない。
集団的自衛権容認に反対する。これも大切だ。しかし、民間レベルで、近隣諸国とより親密な交流関係をつくり、お互いをよく知ることこそ、実践的な一歩ではないか。それは、具体的に個人と個人が知り合いになる、その関係の蓄積で、もう絶対に戦争が遂行できないだけの強い人と人との交わりが東アジアに作れないものだろうか。

小学生の英語

 日本人は英語が苦手だそうだ。だから小学校から英語を教える。中学校からは英語の授業は英語でやる!事になった。本当に日本人は英語に致命的欠陥を持っているか。実際に英語を使う必要のある人たちからは、英語で苦労した話をあまり聞いたことがない。当然最初は大変だ。それなりの努力も必要だ。しかし海外に滞在する人、留学する人はちゃんとやっているではないか。日本の街角でいきなり英語で話しかけられて何も言えなかった。これはいくらでもある。我々が日本で暮らしている限り、日常生活で英語を使う必要はない。会話が上達しないのは当たり前だ。 私の友人の中にも留学し英語圏で長く暮らした者が何人かいる。高校までの学校英語をそれなりに身につけた者が、多少のトレーニングを積めば実際のコミュニケーションで必要な英語は必ず身に付く。高校生ですら、半年も英語圏に留学すれば少なくとも日常生活に必要な英語力はちゃんと身につけて帰ってくる。「やがて哀しき外国語」で村上春樹が述べているとおりだと思う。本当に必要なら語学は身に付く。必要のない語学は身に付かない。
更にかんがえてみると、日本は、鎖国以前には中国や朝鮮と密接な交流を行っており多くの人物が交流していた。民間の交易も随分行われていたようである。朝鮮語、中国語に苦労したという話を聞かない。明治初期大量の留学生が西欧に送り込まれた。東京大学は明治十年設立である。彼ら留学生は大変な速度でで西欧の学問を日本に伝えた。彼らに語学を学ぶ時間などごく限られていたはずだ。それも、そもそも本来日本語になかった概念を言葉を作りながら日本に移植した。
 ジャレド・ダイアモンドの著作によれば、ニューギニア人は全く文法構造のちがう(つまり方言と呼べない)言語を少なくとも数個操れて当たり前、多い者は十を超す言語を身につけるという。「昨日までの世界」下P214 。文字はない。口頭学習だけで多数の言語を獲得できるのだ。
 これらのことからも、言語はそもそも身に付けやすいようにできている、とかんがえるのが自然だろう。もし身に付かないとすれば、修得の方法を間違えている。島国で元々他民族との交流が少なかった上に、二百年を超える鎖国で、日本が言語習得の方法を文化として失ってしまったためであろう。
生徒の日本語力の方がよほど気になる。高校では進学希望者は英語に関して語彙の獲得にむけかなりハードなトレーニングを課す。しかし、日本語の語彙力については、学校教育は比較的無関心だ。少なくとも私は、指導している生徒たちについて語彙力調査の結果を聞いたことがない。しかし、たまに教科書を音読させてみると結果はひどい事が多い。(数学で。本当はもっとたくさんやりたいのだけれど時間がない。)音読できないのは熟語の読み方を知らないからで、したがってその言葉を知らないからだ。英単語を覚えるのに、日本語の意味を同時に覚えなければならない場合が沢山でてくる。
 十代前半に日本にやって来た生徒、十代前半を米国で過ごした生徒を何人か担当したことがある。確かに英語はできる。しかし、、高校の数学、社会、理科などで要求される抽象的思考能力で大きく後れを取る。彼らは、母語を通してより抽象度の高い語彙や概念を獲得するべき時間を、生き延びるための日常生活に関する外国語習得に費やしてしまったのだ。これが子供の学習能力を大きく規定する。
高校生と大学進学の相談をするとき、私はまず国語の実力テストの結果と、これまでの読書体験について尋ねる。現代文のできが良く、それなりの読書体験を持つ子供は、他の教科の成績が悪くても指導が楽だ。方法を的確に教えれば、英語の成績を上げるのは実に簡単だし他の教科もトレーニングに比例して必ず伸びる。逆に努力の結果英語はある種の水準に達しているが、国語を苦手とする子供の受験勉強は大変だ。残り時間が僅かなら、とにかく暗記と小手先の技術の習得で何とか凌ぐ以外方法がない。
 言語を母語として獲得できるのは、およそ三才までと聞く。英語で言えばRとL、BとVなど日本語の音素にない音を違う音素として自然に聞き分けられるようになる期間のことだ。それ以降の言語習得は所詮外国語。とすれば、まず日本語を通じて概念の獲得、思考力表現力の育成につとめるべきだろう。十分な日本語力のある者が、合理的なトレーニングをすれば、外国語の獲得はたやすい。
先頃、英語教育に関してのルポが朝日新聞に連載された。観点は面白かったが、きちっと踏み込むことなく終わってしまった。その最初に掲載されたのが、高校生のディベートについてだった。日本で最優秀のグループが世界大会で歯が立たない。これは英語力の問題ではなくて、論理的な表現力の問題ではないか、と記者は述べていた。文部科学省も、国際的な交渉力のある人材育成というが、表現力は語学力の問題ではないはずだ。
 英語教育の早期実施よりも、日本語力の鍛錬、表現力の鍛錬を。合理的効率的な外国語習得の方法論を。
小さいときからテレビを見、ゲームのボタンを押し、学校や塾で大人の話を一方的に聞かされて育った子供に、表現力がつくはずがない。

戦争体験

 私の亡くなった母は、戦争当時東京で仕事をしていたため疎開できず、私の祖母と二人東京都心で空襲に耐え生き延びた。大空襲の際隣の家まで焼失したそうだ。私の幼少時、ときどき母は悪夢でうなされ家族全員が目を覚まし母を起こすと、いつも空襲の夢だった。空襲の恐ろしさ、知人を軍隊に送る哀しさ、戦中戦後の物資の乏しさを母は繰り返し語ってくれた。
一方亡父は田舎で旧制中学の教員をしていた。その頃のことを父はあまり語らなかったが、私が高校生になりそれなりの判断力がついた頃、父の戦中の悔いについて、静かに喉のつまりを吐き出すように語ってくれた。旧制中学で予科練の志願を募る仕事だ。終戦間際、予科練への志願はそのまま特攻隊による死を意味していた。父は多くを語らない。職務として強制されたのか、自ら進んで予科練の意義を語ったのかも定かでない。おそらくそのどちらでもあるのだろう。初めて接した、父が心の奥底に密かに抱えていたその深い悔恨の念は一生忘れることができないだろう。
 戦争の悲惨さは、その直接被害の大きさだけにあるのではない。他者を死に追いやる体験を強いられるという被害。戦争を生き延びた人々にとって、それも誠実に生きようとすればするほど、加害体験は心に刺さって一生止まり続ける刃物としてその人を苦しめ続るはずだ。
 父は、組合運動に参加し平和運動を支持した。私が、戦闘機や軍艦のプラモデルを作ることを許してくれなかった。管理職への道を歩まず現場教員として、教職を終えた。戦後の父の人生は償いのために当てられた。決してそれだけではなかったにしろ。
 戦場で敵と対峙し銃を向け合えば、生き残るためには敵を倒さなくてはいけない。人を殺さなければ自分が生き残れない状況に追い込まれること、人の死を賛美する立場に追い込まれること、それが戦争の本質的悲惨さなのだと思う。
 神風特攻、人間魚雷など、今から考えれば悪魔のような作戦を立案した者がいた。この作戦による死者は、Wikipedia によれば、一万四千人を超える。現代で言う自爆攻撃。これを国家を挙げて組織的に行いこれだけの死者を出した。悪の象徴のよう言われるアルカイダでも、ここまではやらない。しかし、単に立案した者だけが悪なのではない。特攻隊の作戦を具体的に遂行し、専用兵器を開発することに多くの軍人民間人がかかわった。(アニメで有名になった堀越二郎も)国民の多くが特攻隊の志願を奨励し、特攻隊を賛美し、志願しない者を「臆病者」と罵ることによって成り立った作戦だ。
 終戦まで、日本陸軍の主力部隊は中国大陸にあった。中国人の軍人民間人合わせた戦死者は一千万人を越えるといわれる。南京虐殺、731部隊の人体実験。事実の国際的な確認はできていない(そのこと自体多いに問題なのだが)にしろ、大量の中国人殺害に手を染めて、日本人は本国に帰ってきた。朝鮮人強制連行、強制労働、従軍慰安婦。直接手を下したのは現場の兵隊であり、多くの日本国民だ。戦後生き延びた彼らは、加害体験を心の底に抱えながら戦後の国家建設に励んだ。私の父のように。
 戦後の平和運動のなかで、ともすれば被害体験だけが強調されてきた。戦争の悲惨さを訴える証言は多く、それは貴重なものだ。一方、被害体験だけを語る事を批判しアジア人に対する加害に注目する立場からは、当時の政府、軍隊、そして天皇の戦争責任追求が行われてきた。でも実際には、被害と加害は二分される者でなく、戦争という過酷な運命に日本人全体が巻き込まれ、先述のように、被害者であり同時に加害者でもあり、加害者であることを強いられるという意味での被害者であったのだと思う。
ドイツ小説『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク)は、戦争がもたらす過酷な運命を描く秀作だ。主人公は、ユダヤ人連行にかかわる加害者であると同時に、障害者として差別され利用され運命に翻弄される被害者でもある。その体験は現在に繋がる。(映画化され日本でも公開されたが日本語タイトルが『愛を読むひと』!)日本になぜこのような戦争をテーマとした重厚な作品が生まれないのか、あるのかも知れないけれど私のような一般人が(パンピーが)接することのできる作品がないのか、考え込んでしまった。
 一般人の被害体験を掘り起こし証拠として保存する努力は数多くなされてきた。加害体験の掘り起こしがどれだけできただろうか。ホーロコストについての戦後の厳密な調査に匹敵するような、日本軍の中国大陸での振る舞いの調査がどれだけできているだろうか。少なく見積もっても、中国人の犠牲者は、ユダヤ人のそれを上回る。被害と加害が交錯する戦争の本当の悲惨さをどれだけ記録できただろうか。できないとしたら、その原因はどこにあるのだろう。
 2014年は敗戦から69年。敗戦時20才だった人は89才。多くの日本人が戦争体験を胸に秘めたまま他界してしまっている。
 私は愛国者である。(内田樹氏の議論と同じことを言うが。)日本文化を愛するし、日本語でしかものをかんがえ、学ぶことができない。だからこそ、日中戦争・太平洋戦争の負の側面を描写するものに対して「自虐史観」とレッテルを貼るような、安易な発想を認めるわけにはいかない。日本文化には、自らの過ちと正面から向き合うだけの余裕と力量があることを信ずる。
 加害体験は心の奥にしまわれ、被害体験は忘れることなく語り継がれる。アメリカ人は原爆投下を忘れても真珠湾を忘れないのと同様に、中国人は日中戦争での日本軍の振る舞いを忘れることはないだろうし、韓国・朝鮮人は植民地支配と強制連行決して忘れないだろう。これからの東アジアの平和のためにも、あの戦争を振り返り教育として次の世代に伝えるべきだろう。
 
 学校間競争の話に飛ぶ。
「生徒をより多く確保するためには、より多くの生徒サービスを提供しなくてはならない」
「授業時間数は多い方がよい」「模擬試験は数多く受けた方がよい」「補習時間は長い方がよい」
「保護者会は数多く開いたほうがいい」「中学生向き学校説明会はたくさんやればやる程よい」
競争に巻き込まれたときには、勇ましい意見が必ず勝つ。
どこか似てないかと思い怖れるのである。