ゲド戦記 賛

 ゲド戦記を読み返している。正確には、ペーパーバック版 The Earthsea Cycle 全六巻 を順に読み直している。海外旅行や外国からの客を迎えるなど、頭に「英語」部分を作らなくてはならないとき準備作業にゲド戦記を読む。今、数学を教えている生徒から専門外の英語も頼まれ、とりあえず英語を鍛え直すため、またゲド戦記を読んでいる。
 出会いは、河合隼雄著作集第4巻『児童文学の世界』から。英語の勉強を兼ねて第一巻 A Wizard of Earthsea を読み虜になる。最初の三巻は1968年から72年にかけて出版され、一応完結している。河合さんの紹介もここまで。ところが二十年後の90年に続編第四巻が出版された。90年代半ばThe Earthsea Quartetと呼ばれていた四冊を立て続け読んだ。ところが、2001年に第五巻と、外伝としての小品集が現れる。これらも含め、幾度となく読みかえし今日に至る。残念ながら、著者ル=グインは2018年に亡くなり、もうこれ以上アースシーのお話しの先を聞くことはできなくなってしまった。
 主人公ゲドの少年期から老年までを追うシリーズなのだが、いわゆる伝記ではなく、一巻で思春期の数年、二巻は20代の数ヶ月、三巻は更に20年後の半年、四巻はそれに接続する凡そ一年、五巻は更に20年後の数ヶ月の話。(「外伝」最終話 Dragonfly は、時間の流れからすると、第4巻と第5巻の中間に当たり、第5巻の伏線になっているので、初めて読むならこの順が分かり易い。)
 ゲド戦記はヤング・アダルト向けファンタジー、思春期の子供が読むことを想定して書かれている。文章は易しい。しかしその内容は、大人が読んで十分手応えがある。優れた芸術作品がそうであるように、彼女の提示した世界は、多様な理解を許す。子供受けする面白さを狙って書かれた「ハリーポッター」とは品格が違う。思春期の自立から、生と死、男と女、言葉と世界、等に至る示唆と考察にあふれ、著者自身の思索過程がこの五巻に込められている。第四巻は男と女の問題を第二巻から二十年の思索を経て深めたお話し、第五巻は生と死の問題を第三巻から三十年の著者の人生から見直したお話しのようにも読める。
 因みに、ル=グインはフェミニズムに関する発言も多く、ジェンダー論に直接かかわるSF『闇の左手』(The Left Hand of Darkness)もある。両性具有人の住む惑星に地球人が降りたって・・
 内容の素晴らしさは、河合先生が50ページにわたって語っていらっしゃるのでこれ以上はそちらに譲ろう。思春期にこの物語と出会うのはしあわせなことだ。思春期にゲド戦記全巻通読できて、青年期に村上春樹の著作を全部まとめて読める今の子供たちは恵まれている。
ゲド戦記のもう一つのポイントは、描写・文章の魅力。リズム感のある簡潔な文体。それによって描かれる静謐な世界。門外漢の私がおこがましいかも知れないが、乏しい英語読書体験の中でも彼女の文章のうつくしさは際立つ。(ように私には感じられる。電子辞書のおかげで私でも寝転がってペーパーバックが楽しめる。)彼女のエッセイ集『the Wave in the Mind』(ファンタジーと言葉 岩波現代文庫)収録の「Rhythmic Pattern in The Lord of the Rings」で、彼女はトールキンの文体を詳しく分析している。(指輪物語全巻約1600ページを三度子供のために読み聞かせたと!)それ位、彼女自身文体について意識的。残念なのは、日本語訳がそれを伝えきれているとは言い難いことだ。一巻の最初日本語訳を読み始め、原著の持つ世界を汚されているような気がして途中で止めてしまった。もう少し日本語の文章力がある翻訳家が改訳してくれると嬉しいのだが。「ナルニア」「指輪」が瀬田貞二の文章力で支えられているように。もしくは、原理的に無理なことなのかも知れないが。村上先生。「空飛び猫」だけではなく、「ゲド戦記」も訳してほしいな。
 もう一つ、気になるのは駄作アニメ「ゲド戦記」の存在。ル=グイン自身が、「私の作品とは全く別物」と言い切り、細部にわたって批判を加えた文章が、インターネット上に残っている。ストーリー改ざんからして、原作が全く読めていない、原著者に対する敬意が払われていない証拠で、勿論アースシーを壊したくないから私は絶対見ない。このアニメのために原著ゲド戦記の評価が下がる事が無いよう祈るばかりだ。
付け加えると、今世紀に入り出版された the Annals of the Western Shore (西のはての年代記)全三巻はゲド戦記ほど知られていないようだが、これも魅力ある年代記。ゲド戦記がざっくり言うと人の生と死をテーマとしていたのに対し、家族や社会と個人の関係がより細かく書き込まれ、個と共同体の問題に焦点が移っている。
とにかくゲド戦記が日本の子供たちの必読書としてより広く読まれることを願う。原著は英検2級、英語マーク模試で七割取れる生徒には読めるようである。楽しみながらできる受験勉強教材として、もっと活用されてよいと思う。

全五巻にわたる長大な物語はこのような文章で終わる。自宅に戻った Tenar は Ged に
“Tell me,” she said, “tell me what you did while I was gone.”
“Kept the house.”
“Did you walk in the forest?”
“Not yet,” he said.

『街場の天皇論』【内田樹】 を読む

「日本国憲法第九条を守れ」という意見はよく聞かれる。一方現行憲法第一章天皇(第一条から第八条)については、これほど鮮明な態度の表明をあまり聞かない。戦後左翼は、天皇制反対の立場を表明してきた。(スターリン時代のコミンテルンテーゼを引き継ぐとの指摘も多い。)その流れを引き継ぐ人たちにとっては、現行憲法第一章は守るべきなのか、廃止すべきものなのか、態度を決めかね口をつぐんできた。これは、知識人の知的怠慢、不誠実のひとつだと思う。態度を決めかねるなら、そう述べ、理由を論理的に語るべきだ。(その例外のひとつとして私が記憶するのは、灘本昌久氏・元京都部落問題研究資料センター長・現京都産業大学教授による『部落解放に反天皇制は無用』<http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/20030425.pdff>である。)また、近年特に平成に入ってから、天皇制について多方面から自由に語ることがタブー視される空気はないか。その中で自主規制が行われ多くが語られなくなったとすれば、これ自身ファシズムの到来を告げるものだ。

その意味で、「天皇制についてちゃんと議論しましょう」と語る本書は刺激的だ。自民党の改正草案<https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf>では、第九条と共に、第一章についても大幅な手直しが行われ「天皇は日本国の元首であり」と書かれている以上、これに関する議論は避けて通れない。私たちは国民投票することになるかもしれない。考えなくてはならないことは多い。草案は具体的な国家建設の提案である。それに対し「現状維持」は有効な政治スローガンとなり得ない。この間の安部政権一人勝ちがそれを証明している。自民党の草案に反対するなら、どこを目指して一歩を踏み出すかについて、実現可能な対案を示すべきだろう。

私たちは、どのような国家を理想とするのか。どのようにしてそれを形成しうるのか。西欧社会は、共同体を基盤とした封建社会から近代社会に移行する過程を数百年かけて歩んだ。革命を含む大衆運動の成果として現行制度ができあがった。それは自然過程だろう。日本はその道を、外圧を受け制度や文化を輸入して、百年で駆け抜けた。その制度は国民が政治闘争の中で了解しながら作り上げたものではない。現行憲法然り。そのことによる歪みに私たちは直面している。

いじめなど学校現場が抱える困難もそのひとつだろう。学校外の社会(共同体的残滓を残した)が担っていた教育力を前提に、学校制度はできあがっている。その社会が急速に変質し教育力を失いつつある。現代日本社会に対応した新しい人と人との繋がりを私たちは必要としている。そこへ西欧の共和制を直輸入して上手くいくものでもないだろう。革命を起こせば何とかなると、議論を先送りすることが全くの空論であったことも、歴史が証明してしまった。固有の歴史性を抱えた日本で、一億人が、どうすれば有効で民主的な意志決定システムが形成できるか、そして天皇制は廃止できるのか。

もう一点、思想的な理想と、政治的に実現可能な政策をしっかり分別して臨む思考方法を私たちの文化は上手く共有できていない。40年前の全共闘運動が「打倒」「粉砕」「革命」など勇ましいスローガンを掲げながら自壊していったように。そのことが未だ真剣に反省されているとは思えない。私たちは確実な一歩をどうやって踏み出せば良いのか。

内田氏は、「鎮魂」「身体」をキーワードとして現行天皇制の必要を説く。数千年にわたって営んできた共同体生活の記憶、共同体の中での生と死の記憶を、実体的な共同体を失った今、どう扱うかが問題なのだという風に私は理解する。村上春樹の小説も、共同体的基盤を喪失した人間の生と死の了解を巡り書き連ねられてきた。その答を政治制度として実現できるほどに私たちの認識は成熟していない。それがいまの危機的状況を生み出している。

私の現時点での意見
天皇制-私たちが新しい社会を展望できるまで、現行憲法の象徴天皇制を維持。
『君が代』-現行憲法の国家観にそぐわない。新しい国歌を。「兎追いし・・」がいいな。
日の丸-アイコンとしてのデザイン性に優れている。
愛国-日本語を含む日本文化をたいせつにしたい。しかし、これらをもって大日本帝国憲法の時代を再現したいとするあらゆる政策には反対。
天皇制に関する議論をタブー視するあらゆる圧力に反対する。

PCの処理性能はこの30年で百万倍を超えて向上している。社会科学はこの30年でどれだけの事を為し得ただろう。

『日本の反知性主義』を読んで 3 

 全共闘後、何故その深い反省と新しい展望が言論の世界で生まれないのか。教員の仕事をしながらずっと疑問に思い、知的生活を本業としている人々に不満を持ってきた。当時の学生運動を経験た人たちのその後は、まちまちだ。よく言われるように、髪の毛切って真面目に授業に出て普通に企業や官公庁に就職した者は多い。でも、運動の理念を多少なり引き受け様々な社会に散っていった人々もまた多かった。そしてそのまま大学に残り、問題意識を抱えながら研究生活に入った学生も数多かった。今公立大学で丁度定年を迎える前後の研究者は、多かれ少なかれ全共闘と関わり影響を受けた世代のはずだ。前項でも書いた、近隣党派の殺し合い、党派内の粛正にまで至った運動がどれだけ深刻に振り返られたか。彼らはこの40年何をしてきた。
 考えてみれば、太平洋戦争後「私は間違っていました」と書いた知識人はどれだけいただろうか。大して多くない読書量の(恐らく普通の社会人程度の読書量)の私は、それを思い出すことができない。「非転向を貫いて」誇らしげに戦後民主主義を語り始めた人は多い。でも知識人の大半は戦前、多かれ少なかれ大日本帝国を賛美し同調する発言をしてきたはずだ。彼らの中に、自分の過ちを認め、何故誤ったのか自らを腑分けしようとした者はいたか。その上で、戦後がどうあるべきかを戦前からの連続性を踏まえて語ろうとした者がいたか。
 私が学生生活をおくったのは、「エピステーメー」なるわけのわからん雑誌がはやり始めた時代、1970年代中期だ。数学科教官の1人が、「日本語のあまりのわからなさに、げらげら笑いながら読むのがいい」と言っていた。全共闘運動を、運動と自らの関わりを振り返る代わりに、「フランス思想」の大量輸入が始まる。街では「an-an」「non-no」が流行、今から思えば、バブル崩壊までの「成長の時代」がやってくる。いつの間にか空気が変わってしまった。
 私たちが学生の時代、経済学部の学生は、近経(近代経済学)かマル経かまず選択することになった。多くの大学にマルクス主義経済学の講座があった。だが、ベルリンの壁崩壊以降、はっきりマル経を標榜している講座は殆ど無いと聞く。あれだけたくさんいたマル経の先生はどうしたのか。学術レベルでは色々言い訳はあっただろうが、広く社会に向けて「私はこのように間違っていた」と語った学者はどれだけいたのか。社会人やってる私の耳には聞こえてこない。
 自民党政権が、「太平洋戦争」を美化しようとしているのと同様、知識人も過去の過ちを見て見ぬふり、もしくは過去の言動を美化してきたのではないか。自民党が侵略戦争を「自虐史観」と呼ぶ。それを知識人は本当に批判できるのか、笑えるのか。かつて毛沢東を文化大革命を賛美した人はどこで何をしている。「全共闘」をノスタルジックに語るのは、大東亜共栄圏を賛美するのと大して変わらないではないか。
前の時代に「幸運にも」沈黙せざるを得なかった者(その中には若すぎてものが言えなかった者が多いのだけど)、傍観者だった者が次の時代を語る。もしくは過去の自分がまるでなかったかのようにして次の時代を語る。これではいつまでたっても私たちは前に進むことができない。流行にそって様々に場所を変えるだけだ。それが日本の「知的」風土であった。このような作風が省みられることなく、延々と続けられてきた。最近そう思うようになった。
 日本だけではないのかも知れない。ドイツでフランスでナチスに関わった知識人は戦後どうだったか。『日本戦後史論』で内田樹氏の語る所でも日本と大して変わらない。
「私はこう間違えていた」と語るのは難しいことなのだろう。でも本当のことは、その中にしかないのではなかろうか。知的営みが軽んじられ、「反知性主義」が跋扈する時代に知性がその信頼を回復する道があるとすれば、ここから語り始めなければならないのではないか。知識人の「戦後」の受け入れ方、「民主主義」の受け入れ方、「社会主義」の受け入れ方、「社会主義」の放棄のしかた。これらを振り返り、私たちの知的営みの根幹を築き直す必要がある。私たちは何を土台としてものを考えたらよいのだろう。『日本の反知性主義』を読んで、ここにも寄稿している白井聡氏の『永続敗戦論』を読み返してみた。歴史の節目で、日本の知識人はどう振舞って来たか考えてみる必要を改めて感じさせられた。
 「集団的自衛権」を巡る議論の中で「立憲主義」が改めて語られている。(2015.7.10)政治的手段として、現行憲法を持ち出すことは、ある得るだろう。しかし、憲法9条の前、1条から8条には天皇のことが書かれている。これをどう評価する。見て見ぬふりか、やばいから棚上げか。「集団的自衛権」の次は、憲法改定がやってくる。知識人が政権批判と現状維持しか語れずにいれば、「反知性主義」にこのままずるずると寄り切られてしまうだろう。それは知識人の責任なのだ。
豹変は、(ネットによれば)全文引用すれば、『君子豹変小人革面』だそうである。「豹変」とは「革面」とは異なり根本的に改めることだという。そう、知識人はちゃんと豹変すべきなのだ。根本的に改め、その理由を誠実に語る。私たちは日本の近代に本当の意味での「君子」を得ていないのではないかと憂慮する。

『日本の反知性主義』を読んで 2 自由競争の果て

 先に感想を書いて以来、考え込んでしまった。果たして私たちが「知性的」であった時代はあったのか。少なくとも「知性的」であろうとしてきたか。
 今から45年前、左翼の学生運動が盛り上がった時代があった。インターネットの記載によれば、1968.10.21 国際反戦デーは、集会参加者の集計が456万人(ウィキペディア)とある。一方で左翼内部では、共産党と新左翼の間で新左翼諸党派間で暴力的抗争が続く。翌1969年の内ゲバは警察が把握するだけで308件、死傷者は1145人、内2人死亡(昭和49年警察白書)。このような抗争を繰り返していた左翼に、支持者が400万人以上もいた。この運動が『知性の叛乱』(山本義隆)と呼ばれもしていたようだが、何所まで「知性的」であったのだろうか。最も政治的主張の近い者同士が最も鋭く対立し殺傷を繰り返すことの何所に「知性」が。
 当時の学生運動諸党派が、最低限の獲得目標であった「大学運営の民主化」を巡り妥協し運動を統一できていたら大学はどうなっていただろう。安保条約破棄を統一点に日本の左翼が妥協することができていたら、日本はどうなっていただろう。
 疑問点は何個かある。何故この時代の政治運動がこれだけ非合理なものでありながら、「反知性」とは呼ばれなかったのか。現在の反知性主義とは何所が異なるのか。当時の新左翼にとって、人民、第3世界、マルクス、レーニン、暴力革命は、無条件に価値あるものとされていた。マルクスやレーニンの書物は、例えばカントを読みながら考えるような読み方、テクストとして分析的に読み解くような読まれ方をしていなかった。むしろキリスト教徒が聖書を読むように、「聖典」として読まれていた。そして解釈の微妙な差異を巡り、左翼が四分五裂していく、これもキリスト教の諸団体と同じように。私は、全共闘世代から一歩遅れて大学生活をおくったが、この感じは学生間に色濃く残っていた。これは今の「反知性」と同じではないのか。
 また、この非合理性を当事者として「知性的に」分析する仕事が何故なされてこなかったのか。このことへの不満は前にも書いた。

 現代の「反知性主義」と1960年代左翼との差は、他者を媒介するかどうかにあるように思う。左翼思想はそれがどんなに過激なものであれ、少なくとも他者との共存共栄を究極の理念として成立していた。左翼思想は、他者とは何かを問うこと無しには成立しない。そこに少なくとも、「とりつく島」があった。当時の学生運動を経験した私より少し上の世代には、その体験から、深い哲学的な思索、文学的探求に入っていくものが数多くいた。我々より少し上の年代、学生は政治的であると同時に少なからず哲学的であり文学的だった。左翼運動の経験は、そういう思考を強いる。それは、左翼思想がその根幹で、自己と他者そして自然との相互関係を考察することを求めるからではないか。それは、相互に影響し合う「複雑系」であり、ある意味で何所まで深めても結論のでない世界だ。
 現代の「反知性主義」を主導するネオリベラリズムの根本は、競争原理の承認である。競争原理において、他者は登場しない。自分以外は単に対象に過ぎない。その論理は「線型」であり自己利益の最大化に向けての対象へ一方的働きかけ以外に考えることはない。対象の振る舞いは、自己利益を最大化するためにのみ考慮される。他者が登場しない以上、それによって逆規定される自己もない。単なる自分。現在共に生きる人間がそうであるように、過去の自分、未来の自分も単なる対象に過ぎない。他者が登場しない以上時間も登場しない。逆に、他者を顧慮せずに自己利益を最大化できると信ずるから、競争原理を承認得きる。これを「反知性主義」と呼ぶのではないだろうか。
卑近な例を挙げる。全国で大型ショッピングセンターの建設が進む。一つで地方小都市の全商店を含むような規模の建物ができあがる。大型駐車場がつき空調が完備され生活用品購入から娯楽施設までも含む。車で乗り付ければ家族連れで一日過ごせる。東京と同じ商品が同じ値段で手に入る。イオンモールが全国で地元商店街をなぎ倒す。どうなろうと知ったことではない。地元の商店街に配慮していたら、こんな進出はできない。現代の子供たちは、大規模店舗に地元商店が潰されていく過程を当たり前のこととして見つめることになる。弱肉強食は当たり前のことなのだ。そういう風に子供を育てるのは、実践する今の大人達だ。
 他の項で書いたことだが、90年代後半くらいに潮目が変わり始め、高校生のなかに左翼をひ弱なものと感じるものが増えてきた。電電公社、専売公社の解体が1985年、男女雇用機会均等法と労働者派遣法成立が86年、国鉄民営化が87年。好景気に隠れながらも1980年代から新自由主義施策は日本においても一歩ずつ着実に進められてきた。そして先の例にあげた大型商業施設の乱立は、2000年の大店法廃止によって始まった。こういうネオリベ施策の浸透と並行して「反知性主義」の芽が育ってきた様に感じる。
 他者を配慮に組み込み、他者との共存を模索することが現代の若者には「ひ弱な」ことに映る。少なくともそう感じるものが増えた。彼らにとって、他者を承認するよりも、自己都合を一方的に打ち出す方が力強く魅力的なのだ。
 恐ろしいのは、他の項でも繰り返し述べたように教育の現場にも様々な形で競争原理が導入され、全面的に肯定されようとしている現実だ。別項でも述べたが、大学間での学生奪い合いは、大型ショッピングセンターの地方進出と同じような様相を呈する。弱肉強食。高校、大学はもとより義務教育でも、公立と私学の間で生徒の奪い合いが進む。さらに自由選択制が象徴するように公立学校間ですら競争が煽られる。また、教員評価と称して教員間でも競争が強いられる。
 生徒間でも自由に競争することで、最大の教育効果が得られると信じられている。少なくともそう信ずる人々が1980年代から教育課程を改訂してきた。「ゆとり」は自由競争のためのスペースにすぎない。偏差値はまさにその象徴、学力を単純に数値で表現し集団の中での相対的な順位を示す。偏差値は、集団を1列に整列させる道具だ。
 こういう状況の中で、たてまえでなく本当の意味で、他者を教えることができるか。生徒は敏感だ。一方で競争を煽りながら他者との共存を口にしても、それが単なるきれい事に過ぎないことをすぐに見抜く。
実際には、競争原理のむなしさを感じ取りそこから離脱しようとする子供たちは予想外に多い。そもそも、競争によってふるい落とされる子供の他、教育の様々な段階で競争を主体的に降りる者がいる。その願望を抱えながら仕方なく競争集団に身を置いている子供もいる。迷いもなく本気で競争に身を投じている子供は実は少数派ではないか。長く教壇に立って感じる実感である。ところが、競争原理から離脱した、もしくは離脱しようとする子供たちの行く場所がない。そういう子供たちの思いに本当に応え形を与える場所がない。ここが、未来に向けた希望でもあり、また乗り越えるべき課題でもある。

1960年代末の学生運動も、あの形態以外新しい社会を切り開くための表現回路が存在しなかったからこそ、その矛盾を肌身に感じながら自ら隘路に落ち込んで行かざるを得なかった。それは遅れてきた世代として良くわかる。当時の日本の政治思想が到達した成熟度そのもの、当時の学生に先行する世代の「知性」が到達した限界点だった。今の若者の表現にもまた同様のことを思う。

 競争原理を越え、他者との共存を根底に据えた生き方を創造すること。次世代を担う若者に、本当の意味で「他者」を考える場を提供すること。それを表現できるような回路を共に切り開くこと。私たちの課題であると思っている。私も模索中。

日本の反知性主義 内田樹編」を読む

 そもそも高橋源一郎氏の朝日・論壇時評(15.03.26)がきっかけでこの書物を手にした。高橋氏の文章が面白く、この本にも期待した。アンソロジーでそれぞれ興味深く読むのだが、どうも食い足りない。隔靴掻痒。その感じを書く。
 余所でも書いたが教員を30余年しながら感じることは、徐々にではあるけれど高校生が「知性的」であることに魅力を感じなくなったことだ。大きく区切るなら1990年あたり、世界史的にはベルリンの壁崩壊以降あたりおからだろうか。私が中学・高校生であった頃、朝日ジャーナルを手にした友人がいてそれがすごくかっこよく見えた。(今振り返れば当人もカッコつけのためだけに持っていたのではないかと思う。)本屋の文庫本コーナーには、銀色カバーのカミュが必ず並んでいた。そういう気配が失われた。何故なのだろうとかんがえてきたのだけれど、どうもまだ納得がいかない。
 ある企業で自社製品が売れなくなって、ライバルの他社製品が売り上げを伸ばしたら、まず最初に何をするか。他社製品とそれを買う消費者を分析する前に、自社製品が何故売れないか省みるところから始めるべきではないか。それは一般に言われる大学の先生その他の「知識人」と呼ばれる方の大きな責任であるはずだ。興味ある事柄について、外国語を含む多量の文献に目を通し、同じ分野に興味を持つ人と必要とあれば海外まで出かけて討論を重ね・・。こんな事は他に仕事を持った普通の人間には出来ない。このような事を専業の仕事とする人たちが、近年どんな成果を上げてきたのか。自然科学はともかく、人文科学の分野で。ある種のいらだちを抱えて我々庶民は暮らしてきた。そのために税金を払い、子供の大学学費だってある種の献金のつもりで払ってきた。
 1970年から45年。テクノロジーの進歩は目覚ましい。70年代各大学に設置されていた大型コンピュータ(計算機センターに鎮座していた)を遥かに凌ぐ性能の電子計算機を各個人が胸ポケットに入れている時代が来た。その間に人文科学でどれだけの成果が出ただろう。海外の流行を追い、日本に紹介し、身内でその知識量の多寡を競う、いわゆる「××オタク」以上の仕事をした者がどれだけいるか。西欧の人文科学を日本に紹介するのが主な課題だったのは、明治時代だ。いつまでそのしっぽを引きずっているのか。大体、全共闘運動の後始末をきちっとつけた人間がどれだけいるか。(団塊の世代は近年国立大学定年を迎えた。)「知性的」であることが魅力を失っても当然ではないか。全共闘運動以降の知識人の在り方について、振り返ることから、「反知性主義」の考察を始めるべきではないのか。
 もう一点、「反知性主義」としてあらわれている言動で主なテーマとなるのが、民族・宗教という、そもそも「知性」が最も苦手とする分野であることだ。「領土が他国に取られる」と言われると、むずむずと血が騒ぐ。福島県で自らの過失で広大な土地を失っても割と平気。心の中で受け止める場所が異なる。ナショナリズムの問題を切開しないと「反知性主義」を語ることは出来ない、少なくともナショナリズムについて「知性的」に語ることの困難さを分析することから始めるべきではないだろうか。
 ベルリンの壁崩壊以降世界的に噴出した民族問題は、有効な解決手段を見いだせないまま、頻度を増している。グローバリズムに対応して西欧社会が打ち出した「多文化主義」の理念は、極右勢力の台頭とテロルの前に力を失ってはいないか。21世紀に入り「知性」がその無力をさらけ出してしまった。その無力さについて、もっと書いてほしかった。
 取り敢えずの感想。

『機会不平等』 (齋藤貴男) 文春文庫638

 この本が2000年に刊行されたのは驚きだ。規制緩和、ゆとり教育の問題点を的確に指摘している。ブッシュJr政権、小泉政権誕生以前であり、「格差社会」が流行語上位ランクされるのが2006年である。
ゆとり教育を決定づけた、三浦朱門・前教育課程審議会会長を取材しこんな発言を得ている。
「戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、出来る者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」
生きる力、新学力観などの美辞麗句の裏でその骨格を形成していたのはこのような極端な能力主義教育観だった。ゆとり教育が始まる以前に、教員のどれだけがこのような背景が見抜けていただろうか。私自身深く反省する次第だ。
 齋藤貴男はこの本で、新自由主義の本質を「優生思想・社会ダーウィニズム」として批判している。この本に対する物足りなさ、言い換えればこれから私達がかんがえて行かなくてはならないことは、なぜ私たちがこのような社会を許してしまったのか、踏み込むことだ。彼自身が述べている。「私はジャーナリストとして取材し報告する。かんがえ行動するのは読者だ」と。
私たちは、格差と平等について正面からかんがえることをずっと怠ってきた。例えば米国は、白人・黒人・ヒスパニック・・・等、鮮明に人種の区別があり、生物学的にも外見だけでお大きな差異があり、社会的にもかなり鮮明な経済格差がある。そこには深刻な差別も存在する。どうしても教育における平等の理念と正面から正面から立ち向かわざるを得ない。苅谷剛彦は『教育の世紀』で米国の教育政策について次のような報告をしている。人種間に経済資産、文化資産に格差は存在するが、各階層・各人種について能力の分散に差はない。従って教育における平等とは、経済資産・文化的資産の格差を補い教育機会の均等を保障することである。たとえば大学入試における Affirmative action (積極的格差是正)は有名である。
 日本では、部落解放運動の中で取り組まれた格差是正措置がほぼ唯一ではないだろうか。幼児保育から、高校教育まで被差別地域の行政による子供たちへの学習支援策がとられてきた。そしてこれらの施策は高校・大学進学率の一般地域との格差を是正するにあたり一定の成果を上げてきたように思う。しかしこれらの施策は、更に広く社会全体での格差是正策に一般化されることなく、格差の実際の縮小と時限立法である特別措置法の期限切れと共に後退してしまった。
(部落解放運動と教育支援策については、取り組みの歴史と成果についてもっと調べてみる必要がありそうですね。)
なぜ平等について真剣に考えずにここまで来てしまったのか。大きな理由は、例に挙げた米国などと比べ日本が人種的に均質な国だったことによると思う。縄文系・弥生系など人種的にある程度の差はあるが、髪の毛の色、肌の色といった極端な外見上の差異はみあたらない。生まれてくる子がどんな瞳の色をしているか日本人は気にすることがない。遺伝子の差異と平等について向き合わされることがなかった。また集約農業を基本とする農村共同体が日本人の土台を作ってきた。田んぼにはどの株も均質な稲が同じ背丈で同じ穂を付けて広がっている。人間もまた同じように均質な存在と見なしてきた。実際大陸にあり異人種の交流が数千年続けられた国と比べ、日本人の遺伝子上の差異は、少ないのだそうだ。(目を見張るような天才が少ないのはそのせいだと言う人がある。)そこから「能力の平等」の仮定が生まれ、戦後民主教育の土台を作ってきた。ややこしいことをかんがえないですむ、都合の良いたてまえであり続けた。
私たちは「優生思想」に対して無垢だ。大変危険な思想として封印し、遺伝的な多様性と平等について深く考えることを避けてきた。しかし、学校で教えていればすぐわかることだが、資質の差は実際には歴然と存在する。社会が行き詰まり、打開策として競争が煽られる時代が来た。教祖を校訂する根拠として、最初に引用した三浦朱門のように、いい加減で大変荒い「能力差」肯定の論理が出てきたとき、その批判が「優生思想」とレッテルを貼るだけでは、この流れを押し止めることはできないだろう。
「能力」の多様性と向き合った上で、本当の意味で教育の平等についてかんがえる時が来ている。

『みんなで一緒に「貧しく」なろう』齋藤貴夫対談集もおもしろかった。この本のタイトルになっているスローガンを私は全面的に支持する。ネオリベラリズムの発想はちょうどこの逆、「自分一人で豊かになろう」。

河合隼雄

 著作集の刊行が始まったのが今調べてみると94年。ふとしたきっかけでこれを手にしてから、既刊を読みあさり、未刊の発行を待っていたからこの書物に出会ったのは95年くらいだろうか。教員として15年の経験を経た頃であった。学生時代ユング心理学を少々学んだがさっぱりわからなかった。教員の経験を経て年令も40代になってみると、これが良くわかるのだ。
 我々教員特に高等学校教員は必要な教科の単位を揃え簡単な教科教育法の授業を受け、短期間の教育実習さえすれば免許を得る事ができた。現在は少し違う様だが。特に生徒指導については殆ど学ぶ事がなかった。実際に教員となって四苦八苦するのだが、それこそ自分のわずかな人生経験と先輩の助言による出たとこ勝負。現場で学ぶ以外方法がなかった。生徒を犠牲にして技量を貯えていくことになった。そこで河合隼雄に出会う。人の心を理解するにあたって新しい視点、多くの具体的知識を得る事ができた。心から感謝いている。クラス担任としての仕事、生徒の理解にそれまでにはなかったある種の幅を得る事ができたと思っている。当時、過去の事例を思い出して、もう少し早く学んでおけばよかったと悔やんだものだ。
 そうでなくても、中年になって読むと面白い。日本文学の理解、世界の児童文学の理解もその独特の視点が面白く引き込まれる。自分自身の「中年、老年」を受け入れる意味でも大いに助けになったし、文学の紹介本としても読書の幅を拡げてる事ができた。子供に読み聞かせ、与える本についてもお世話になった。
河合隼雄は劇薬である。物事を体系的に説明しようとする優れた書物、マルクスとかフロイトが極端にそうであるように、彼の著作も強烈な吸引力がある。程よい距離をおいて理性的に読み解くのがむつかしい。臨床心理にかぶれた教員が全国に現れる。彼の仕事について、絶賛する人と全面的に否定する人に極端に似分解してしまうのもそのせいではないかと思う。彼と個人的に面識のあった人間を何人か知っているが、人物評価もまた極端に二分解する。西欧的な自立心を身につけ、その上大変に賢い人だから人生でも自分の思う様に生きたようだ。周囲が彼の繰り出す論理に正面から反論するのは大変難しかったのだろう。
90年代後半からの彼の著作を読むと「これがなかなか受け入れてもらえない」等、彼のかんがえを伝える事の難しさを語る様になる。彼が提唱し、社会的にも組織化してきた臨床心理学は彼の死後発展しているようには思えない。彼の仕事を発展させる様な人物があらわれない。本屋の棚を見ればわかる。未だに河合隼雄なのだ。悪い言い方をすれば教祖様の死んだ後の新興宗教。彼の臨床心理学は、河合隼雄という人物とセットになってはじめて成立していた、臨床心理学=河合隼雄 かもしれない。
 同僚の中にも極端にとりつかれた教員がいた。生徒の行動全てを臨床心理学の公式で理解しようとする。そうすると生徒独自の個性、特殊な状況がどんどん見落とされてしまう。まして安易に「カウンセリング」に手を出すのは大変危険。聞きかじった知識で素人が外科手術をするようなものだ。悩み事相談はする。生徒の話に耳を傾けるのは教員のたいせつな仕事のうちだ。しかしこじれた家族関係を何年もかけて解きほぐすようなことは、教員には力量としても時間的余裕としてもできはしない。ここでも、できる範囲を見極める事、手に負えないときはすぐ的確な専門家を紹介する事、これが教員に必要な技量だろう。擦り傷の手当はしても、骨折したら外科医に連れて行く以外方法がないのだ。
 彼の著作は「こんな見方もある」程度の距離をもって接するに限る。神社で引くお神籤のようなものとして扱うとちょうど良い。通常とても気付かない視点を示してくれる。これがずいぶんと助けになる。
彼の基本理論の一つが「母性原理」「父性原理」の二項対立なのだが(二項対立はユングの基本概念で、生と死、陰と陽、・・・)これが、彼自身が言う様に理解されない。「父性原理」とは西欧的な個人主義の原理を指すのだが、日本人には上手くイメージできない。言葉としては理解できても、体でわからない。彼が書いている様に、日本で小学校から留年制度・飛び級制度を導入する事はとうてい無理だ。かつて「父性原理」を口癖にする同僚がいたが、そのスローガンのもと河合隼雄が「母性的」なものの典型として扱っていた旧日本陸軍の様な「厳しい」生徒管理を目指していた。冗談の様な話である。
 具体的には子供の問題行動を抑える場面で、ひろくは画一化された教育を改善するために、彼は「父性原理」の必要を繰り返し語ってきた。日本社会はますます「母性原理」一辺倒に流れていく。このブログで私が繰り返し語ることになる「面倒見」至上主義・成果主義は、言葉を換えれば「母性原理」だ。政治の世界では、領土問題、憲法改定。(彼自身、愛国教育を基本に据えた政府刊行の道徳教育冊子の編纂をし、長く文化庁長官をつとめた。)彼の著作を学びながら、彼の限界点を越えて行かなくては「母性原理」の横行は食い止められない。

 教員は河合隼雄を読もう。ただし中毒には気をつけて。

ダイアモンド

ジャレド・ダイアモンド Jared Diamond
『銃・病原菌・鉄――1万3000年にわたる人類史の謎』2000年日本語訳刊
『文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの』2005年日本語訳刊
『昨日までの世界――文明の源流と人類の未来』2013年日本語訳刊
等の著者。独自の視点で現代社会の危機に警鐘を鳴らす。他の著作を含め大変面白いのだが、特に『文明崩壊』は説得力がある。過去崩壊した文明の原因を探りながら、今世界が一つになって崩壊の道を歩んでいる事を教えてくれる。実に念入りな論理展開で、読み終わると背筋が寒くなる。 単行本で上下900頁にのぼる書物だが、飽きることなく一気に読んでしまった。
「何年先を見越して共同体の利益を考えたか」「何年先を見越す事ができたか」が文明の存続と崩壊を決定づけるポイントなのだ。(遠い将来を見越して共同体の存続を図った希有の例として江戸幕府の森林政策が挙げれれている。現在の日本が世界中で行っている森林伐採についてはボロクソ批判されているのだが。)『見えざる手』はウソだ。市場を構成するそれぞれが最大利益を追求しあえば、市場は最良の結果を与えるはずだった。現在の「グローバリズム」推奨者も基本この立場だ。しかし時間軸をとって、どれだけ先までを見越して最大利益を追求しているかはこの論理ですっかり抜け落ちている。1年先の利益と10年先の利益は必ずしも一致しない。我々は原発でそれを思い知らされた。(ちなみに、ダイアモンドは原発推進派である。地球温暖化防止のためには原発必要と考えている様だ。)株式市場では、1秒先の利益を巡りコンピュータが取引をしている。我が国の政治家は、何先を見越して政策立案をしているか。国民に何年先の未来を提示しているか。繰り返し起きる「異常気象」をもっと深刻に受け止めるべきなのだ。ダイアモンドは「とおく先を見よ」と言う。増加し続ける人口と経済拡大の結果として増大する資源とエネルギー消費を見れば、遠くない将来地球環境は破局を迎える可能性がある。
 論理の展開は、驚くべき広がりを持つ。文理問わず現行の学問分野の恐らくあらゆる領域を覆い尽くして議論が展開される。巻末に附加されたブックリストの量だけでも圧倒される。その意味では、これから将来の進路を定めようとする高校生、特に大学で何を学ぶか考えている高校生に是非読んでもらいたい書物だ。学問のヒントに満ちあふれている。調査研究が単なる知識の集積に終わらない事を鮮やかに教えてくれる。本物の知性に触れる機会として絶好。
彼の書物が持つ気持ちの良さは、他の文献に依拠して語る事が一切ない事だ。日本人の書く書物を読むと、欧米思想家の引用が絶えないことにうんざりする事が多い。カードゲームの様に知識を競う。日本だけではなく翻訳書の中にもその傾向の書物はいくらでもある。彼の書物は前記のように膨大な資料を参照しながら書かれているのだが、論理の展開はあくまで彼自身の言葉で書かれている。××イズムを批判する事で自分の立場を語るようなこともない。あの文献量から見て、日本の学者が良く引用する様な古今の有名書物に目を通していないがずはない。けれどそれが決して表には出てこない。日本の評論家は困るでしょうね。分類して批評することができないから。文献解釈を巡って異を唱える事ができないから。
そして、生産性。本業は鳥類学者だ。フィールドワークを重ねたニューギニアが彼の発想の原点にある。その傍ら、数百の文献を駆使した千頁に及ぶ書物を数年に一冊の割合で書き続ける。インタビュー集『知の逆転』(NHK出版新書)の冒頭に彼が登場するのだが、本に書いてある事改めて聞き直すようなことするよりも、彼の知的生産性の秘密を探って欲しかったな。

教壇に立つ教員は、『文明崩壊』を基礎教養としてほしい。
これから大学進学を目指す高校生は『文明崩壊』をこれからの学びのガイドマップとしてほしい。