岩手中2自殺事件 2

先の記述アップロード後もう少し調べてみると、担任は本人と相談していたし、手を出した生徒も指導していた。単に無関心を装っていたわけではない。でも自殺を止めることが出来なかった。

担任は、この件を「いじめ」と扱わなかった。公的にいじめと認知すれば、ある種のルールに則り管理職に報告し対処することになる。大事になる。担任の失策になる。それを避け1人で処理をしようとして失敗した。そう推察する。「いじめ」でないと思い続けていた、思い続けようとしていた。同僚にも相談を持ちかけたのだろうか。事実関係は不明。

何故こうなるか、先に書いた教員の孤立、個別管理の進行、相互協力関係の喪失が根本原因だと改めて思う。その結果、教員として身につけるべき「スキル」が失われた結果だ。

いじめは、最近現れた現象ではない。子供が集団を形成すれば必ず現れる。どのような時代にも、どのような国にも、子供集団のいじめはあるだろう。未熟な社会集団に現れる病理のようなもので、その治癒によって集団が一歩成長する。いじめの克服から、子供たちは他者を認識し社会性を向上させる。例えれば誰でも風邪を引くのと同じ事だ。放置すれば深刻ないじめに発展する人間関係の縺れは、未熟な子供たちの集団には常時発生する。これは誰の責任でもない。生徒の未熟さそのものが原因なのだから。風邪を引いたからといって、健康管理の責任を問いはしないのと同じだ。

そういういじめの「芽」を見つけ、生徒の人間関係を調整するのが、集団を管理する教員の仕事だ。これは、子供に集団で教育を施すようになって以来、だから日本で言えば「寺子屋」以来続いてきたこと。未熟な社会集団を管理し成長させる方法だ。そこには膨大な経験の蓄積があって、それを元にしながら教員はいじめを指導し集団を管理し、その経験がまた一つの情報として蓄積される。こうして貯えられた力量を教員集団の教育力というのだろう。

このblogでも再三触れたが、生徒の質は変動している。古典的な共同体倫理の感覚は表面上失われ、社会性も未熟。学校外に別の社会集団を持つことが少なくなった。一方電子機器を通じた新しい人間関係手段が広がる。これらも、ある日突然やって来たわけではない。全く未経験の世界に学校教育が放り込まれたのではない。一歩引いて眺めてみればゆっくりした地滑り的変容過程で、教員は新しい事態に対応しながら経験を蓄積し共有してきた。

別項でも書いたが、いじめに発展するようなトラブルを未然に防止し子供集団を成長に導くためにすべき指導はあって、これも大切だ。風邪ひかないように基礎体力を充実されるみたいに。でもどんなに体力があって、どんなに健康管理に気を遣っても運が悪ければ風邪をひく。同じように子供集団にいじめの種は現れる。風邪ひいたと思ったら、さっさと寝る。休む。無理して平静を装うと深刻な肺炎に至る。

ごく小さな種は、見つけたらすぐ潰す。関係者と集団全体に必要な対処をし、経過を見守る。腫瘍の摘出手術のようなもので、術後の経過観察は重要。それも周りの教員と相談を重ねながら、意見を拝聴しながら。少し種が大きくなると1人では対処できなくなる。同時に処理しなければならない指導と、情報が1人では抱えられなくなる。一晩で五軒家庭訪問などできない。1人で無理がわかれば、教員集団で話をしてこれは皆でやろうとなったら、何人かの教員がさっと立ち上がり必要な対処をこれで無事が相互に確認できるまでしてしまう。日常から、教員集団で生徒集団を指導しているから、生徒の側も集団として教員を見ている。指導を受け入れる素地がある。少々理想化すれば、かつては教員がこんな風に動いていた。だから「いじめ」が大事になる前に処理されるケースが多かった。

このケースでも、担任が「いじめ」と呼ぶかどうかは別に、経験ある同僚と相談し、トラブルの完全解決まで集団として動く事は可能だった。そういう集団形成が教員社会から失われつつある。教員自身が出来なければ、生徒に健全な集団形成を促すことなど出来るわけがないのだ。

岩手中2自殺事件

岩手県でいじめによる自殺が起きた。悲痛な出来事だ。(2015.7.5)今回の事件では、生徒が担任と交わした「生活記録ノート」が存在し、生徒の気持ちとそれに対する担任のコメントがつづられていた。これを父親がマスコミに公開したことで、マスコミは学校と担任の責任追及に動いている。もう当たり前になりつつあるが、当該中学校関係者のtwitterから担任名がネット上に流出し個人攻撃が繰り返されている。

普通どうするだろう。担任はこのような記述が最初に現れた時点で、「うちのクラスの生徒がこんな事書いてきた、どうしよう」と同僚と相談するだろう。特に経験あるベテラン教員に助言を受ける。即刻生徒を呼び出して事情を聞く。周辺生徒を個別に呼び出し情報収集する。担任団で協議し、更に学校全体で対応策を協議する。学校に来てもらうか家庭訪問して保護者と面談、事情を伝えて対策を検討。いじめに関与した生徒の調査、指導・・・。教員が集団で動かなければ、これらのことを早急に行うことはできない。いじめへの対処は難しい。被害生徒に今後の健全な学校生活を保障するために取らなければならない対応策は、微妙な配慮が必要であり状況に応じて千差万別。だからこそ教員間での情報共有と意思疎通は不可欠であるし、ベテラン教員の過去の経験がこういう場面で生かされる。こんなことは、「マニュアル」など無くても当たり前のことだ。普通に教員生活をおくっていれば否応なく身に付く、「スキル」である。のはずだった。それがそうならなかった所を考えるべきで、これは単に当該教員の能力や性格の問題ではない。

クラス担任は担任クラス内のトラブルをできれば隠蔽したいと考えている。これは、小中高問わず全国に広がる傾向ではないか。労働組合に象徴される教員間のつながりは失われ、管理職による、個別教員の管理が進行する。(学校評価・教員評価)クラス担任にとっては、「クラスの出来」は、自分の勤務評定。テスト平均は“他のクラスより”高い方がいい。遅刻欠席は“他のクラスより”少ない方がよい。トラブルは無いに越したことはない。クラスの中でいじめが起きれば担任のクラス運営能力にマイナス点がつく。生徒が多少辛い思いをしても、一年間表面上トラブルがなければその方がよい。更に、教員は大学に進学し教員免許を取得できた受験エリートであり、小さい頃から自分がテストの点で偏差値で評価されることに慣れきっている。教員の仕事を始めても、わかりやすい評価を求めて教員個別管理のシステムに自ら進んで組み込まれていく。こういう世界で教員は仕事をしている。

極端な場合をあげれば、自分の指導力は自分の評価を高めるためのみに使われ、その経験とノウハウは他教員に伝達されない。その方が自分1人が目立つ。自分と関係ない生徒のトラブルには口を挟まない。下手に関与して失敗すれば自分の評価を下げる。成功すれば自分ではない教員の評価が高まる。このような損なことはしない。そしてトラブルは出来る限り隠蔽される。業績が個人のものであると同時に、トラブルもまた個人の責任に帰せられるから。個別管理され、競争を煽られている集団で普通に働く心理だろう。こうして教育の質は低下し、ネオリベラリズムの時代、日本企業は生産性を下げる。企業でも同じことが起きていると思うのだが、如何であろうか。

自分のクラスのトラブルは「無い方がよい」。これはいつの間にか、「無いに違いない」「無いはずだ」という思い込みに転化する。今回公表された「生活記録ノート」の担任コメントはその感覚をよく表している。生徒の記述には、担任へのそれなりの信頼が感じられるだけに、今回の「ノート」は読むのが辛い。

このblogで私が再三繰り返して述べていることだが、学校は、生徒集団を教員集団が指導する場だ。クラス運営一つ取り上げても、担任1人でできるものではない。それは、指導の難しい生徒集団を前にし、学校の成立そのものが揺らぐような事態に追い込まれると実感できる。生徒よりも強い団結力を教員が誇示出来なければ、乗り切ることが出来ない。このような団結力は管理職が上から押しつけては出来ない。教員自らが互いの絆を結んで作るものだ。表面上生徒が沈静化し、教員の団結が求められるような緊急事態に遭遇することが少なくなった現在、学校の存立構造が教員自身にも見えにくくなっている。その裏で、教員の結束力が失われるのと並行して生徒指導の質も低下し続けている。今回のように問題が起きれば、管理の強化で対応しようとする。そして教育の質的低下は更に深く裏面で進行するだろう。この悪循環の途上。これが今回のいじめ事件について私の感想だ。

「クラスの出来」を競い合うのではなく、生徒集団全体の成長を教員集団全体で愛でる。教員集団の自己評価とする。教員の仕事をそういう評価システムに変換しない限り、今回のような事態は繰り返し発生するだろう。教員の個別評価などというつまらないことをやめることだ。一方、教員が自分の仕事を評価する仕方を自ら変更しなければならない。現行の学校教育で育った、若手教員がこのような価値観を何所で手に入れるか。

いじめについて_1

いじめについて触れようと思う。
心理学や教育学の専門家ではない。統計データも専門の文献も読んでいない。ただ三十余年の経験から言える感想を述べることしかできない。
いじめとは
いじめを定義するのは難しい。様々な生徒の人間関係は多様でそれこそ連続的に広がっている。
ここまでは悪ふざけで、ここから先はいじめ。これはしごきで、こっちはいじめ。このような区別がつくものではない。いじめている当人も自覚していない場合が多いし、いじめられている被害者もいじめだと思っていない。これには境界の曖昧さ以外の理由があるのだが。いじめの発見や対処が難しい一つの理由がここにある。
社会的、肉体的上下関係を利用して、一方的に精神的肉体的苦痛を与えること。
取り敢えずこういう事にしておこうか。しかし、具体的な対処の場面では細部にこだわるべきでない。経験から言って、教員がいじめに対処する第一歩は、こちらが一方的にいじめだと認定し宣言してしまうことに尽きる。言葉を換えれば、「これは生徒間で許されない行為であり、許されない人間関係の作り方である」と一方的に評価を下すことからいじめに対する処置がはじまる。別に、周囲もしくは当人がいじめと言おうが言うまいが関係ない。このような人間関係は許さない、と断固宣言することが大切だ。
ただ、このように文章で論じる場合は、ある種の定義が必要だと思うだけだ。

現在と過去のいじめ
いじめは昔からあった。私の少年期にもあった、就職初期の時代にもあった。統計で見るるとむしろ減少している。(「平成17年度生徒指導上の諸問題の現状について」(文部科学省調べ)
それでも現在いじめが社会的に問題視されているのは、いじめの内容が大分変わってきたからではないかと思う。現在と過去のいじめの違いは、他の項で書いた生徒の質的変遷によると思われる。他の項で書いたことをいじめとの関連でもう一度記す。
まず、生徒が集団形成をしなくなった、できなくなったことによるもの。かつてのいじめは、集団がその集団を維持するため、集団維持に敵対する者や集団維持の障害となる異質な者を排除したり、制裁を加える行為としてあらわれた。いじめの理由が明らかだった。教員として外側から見ても善し悪しは別として理解できたし、内側にいる加害、被害双方が、なぜいじめるのかいじめられるのかわかっていた。少なくとも、いじめる側はいじめることを正当化する論理を持とうとしていた。
ということは、いじめられないためにはどう振る舞えばよいか、互いに明確だった。我慢して、集団の要求に従うか、いじめ覚悟で自分の個性を貫くか、選択の余地があった。それがまた辛いものであったにせよ。集団の要求も随分理不尽な場合もあった。ただ少なくともある日突然全く理由もなくいじめが始まるといったことはあまりなかったのではないだろうか。
もう一つ。集団として、ある種の制動が効いた。極端ないじめのエスカレートは集団内で正当化されないし、逆に集団維持を困難にする。「それくらいにしておけ」というのものがいた。まあその限度も決して正当化できるものではない場合も多かっただろうが、どこかに制裁の限界があることは了解していた。もしくは、教員が働きかけることで、比較的容易に集団に制動機能を持ち込み限度を調整することができた。
孤立した加虐-被虐関係は際限なくエスカレートする。私は心理学の専門家でないけど、親子関係でも、夫婦関係でも、孤立した虐待関係は悲劇を生む。私たちでも、自分の子供に説教をしているとき虐待の、底なしに深い穴を覗く体験をしたことはないだろうか。いじめでもそうだ。どこかで制動がかからなければどんどんひどくなる。
また、集団性の喪失と同じ事なのだが、かつて生徒が共有していた倫理規範が希薄になってきた。1980年代であれば、「自分より弱い者に手を出すのはみっともないことである」という説教に生徒は敏感に反応した。共同体意識のこのような部分を教員が少々補強することで生徒集団の質を高めることができた。ある種の「美学」を共有することができた。今こういう説教をしても、本当に何を言われているかわからない生徒がいる。また、他項でも触れたけれど、教員に他の生徒のことを言いつけることは、絶対のタブーであった。私の少年期もそうであったし、就職当時も同様だった。校則違反に関してきつい取り調べをしても、自分の非は認めるが同伴した他の生徒について殆どの生徒が口を割らなかった。(こういう生徒は教室に帰れば英雄になれる。)近年様相は一変した。自分の非を認めれば同様の行為をした生徒のことを簡単にしゃべる。こちらはちょっとがっかりしながら、楽に調査を終える。教員室に公然と他の生徒の非を報告に来る生徒などかつては考えられなかったことだ。
これらの規範(美学)はファシズムの温床でもあり、強烈な差別意識を伴う場合もある。少なくとも個人を共同体に拘束し自由を奪うものだった。これを一方的に美化するつもりはない。しかしその規範に従う限りにおいて人間関係についてある種の安全が保障されていたのは事実だ。実質的な共同体の崩壊の進行と並行して時間差をおきながらこれらの規範意識が希薄化する途上に私たちはいると思う。
次に指摘したいのは、生徒のコミュニケーションスキル、人間関係力がどんどん低下していることだ。他の生徒の言動が了解できない。自分と均質な人間しか理解し受容することができない。かつてなら、少々「変わった」生徒がいても周囲がそれなりに了解し集団の中に存在位置を与えられたものだ。「変わった」生徒自身も周囲を理解し集団の中でどう振る舞えばよいか心得ていた。転校生とかお金持ちなど社会的な理由の異質さ、勉強が極端にできるできない、内向的性格、さらに現在ならアスペルガー症候群に分類されるような異質さ、これらの「変わった」生徒も教室内でそれなりの社会的地位を得ていた。少なくとも比較的容易にそういうクラス集団を作ることができた。
今は、お互いが良くわからないから、取り敢えず排除の対象にならないように振る舞い、均質な者同士が小集団を形成する。面と向かって物を言うことが苦手だから電子媒体に頼る。理解できない生徒は排除の対象になる。極端なことを言えば、そもそも皆が互いを良くわかっていないから、ほんの偶発的な事柄が排除の原因になる。よく指摘されるように、いじめの被害者と加害者が流動する。
現在のいじめは、人間が集団を組めば必ず発生する排除の論理が、制動を失ったものなのか、かつて明確な形で存在した、共同破壊行為に対する制裁措置が残滓として社会的に生き残り他の共同体論理との関連を失って暴走しているのか、私には良くわからない。恐らく両方なのだろう。少なくともここで指摘した要因が重なり合って、現在のいじめが過去とは違った異様な事態を生み出す事になるのだと思っている

いじめについて_2 

いじめを少なくするため、学校で何ができるかについて。いじめを全くなくすことは恐らくどのような集団にもできないし、「自分のクラスでいじめはない」と教員が思い込むのは危険なことだから、なるべく少なくするために何ができるかを考える。
答は単純だ。『全ての他者を尊重する』その規範を持ち込み強化すること。これしかない。私はうまく条件さえ整えば、ある意味容易なことではないかと思っている。体験的にも。その理由を書く。
前項で、生徒は変質していると書いた。また現代の若者について論じた書物は数多くある。一方で「日本人論」も多く、こちらでは日本人は外国と比べてどう違うか、またそれが如何に変わらないかその特性を論じている。これは奇妙なことだ。会話が失われ変わってゲームや電子メディアが普及し婚姻率も下がり、と若者の変化が報告される。一方、「出る杭は打たれる」、自己主張がない、同調圧力が高い、交渉力がない、日本人論が好き・・・明治開国以来変わらない日本人の弱点が指摘される。どちらもが、正しいのだろうと思う。流動する表層からと強い惰性を持った深層までの広がりを持って文化や規範は動いていく。二千年近くも前に成立した神話が日本人の心を読み解くために用いられるのだから。
数万年にわたり日本列島に定住し、二千年もの間共同で稲作を行ない築かれた日本人の共同体論理が簡単に失われるはずがない。弥生人の流入、縄文人の排斥などあっただろうが、逆に長い歴史の中で民族の流入対立が指摘できるのがこの一点くらいというのが大変特殊なことだ。
親孝行とか先祖を敬う意識は薄れてきたように見えるが、敬語は生き残り、日本語で二人称代名詞が英語の様に一つになることは想像できない。別項で書いたが、大学体育会の特殊な社会は程度の差はあれ今でも生き残っている。旧帝国軍隊の上下関係をそのまま温存したような社会が、高等教育の中に公然と生き残っている。その異様さはインターネットで検索してみても容易に知ることができる。(こんなことやっていて日本のスポーツが強くなるはずがない。)大学体育会を通過した人間が、体育系部活動を指導し、社会体育を指導している。
神戸の震災、東日本大震災などの危機に際して、日本人の復興へ向けた共同作業は海外から絶賛されているという。混乱に際しての略奪行為は稀少で、互助的社会組織が自然発生的に立ち上がる。共同性が必要とされる社会的実体を前にすれば、深層意識は表面に出てくる。良い意味でも悪い意味でも私たちは共同体意識を深く抱え込みそれに縛られている。
生徒の中に他者を尊重する規範意識を育てるために、新たに何かを植え付けるのではなく、以前より少々深く深層に分け入って共同体意識を掘り起こせばよい。90年代の半ばから、クラス担任や教科担当としてクラス集団をまとめるためにこう考えてやって来た。実際これは可能なことだ。大切なのは、名目としてではなく、教員自身が本気でそれを語ることだ。
他人を傷つける事を最も許されないこととする。他人を助けることを最も賞賛されることとする。個人的な事柄、例えば学校を遅刻する事より、集団的事柄、例えば教室掃除を他人に押しつけてさぼることを次元が違う悪事であると宣言し生徒とことん追求する。成績の良かった生徒より、級友に勉強教えた生徒を賞賛する。これはなかなか細かい配慮のいる事柄で、学校生活の結果として残るのは、学業成績、出欠記録、各種検定、進路などどれも個人的事柄ばかりなのだ。そういう結果よりも他者や集団の尊重の方が次元を越えて大切だと折に触れ、矛盾なく、本気で語り続ける。また、担任としても弱者(=勉強苦手な者、問題を抱えた生徒)に対してエネルギーを注ぎ続ける。
さらに、そういう価値観に基づいて集団形成をする。他者をたいせつにする以上きちっとした集団を作れ、これも折に触れ言い続ける。遠足・研修旅行・合宿・体育祭・文化祭あらゆる行事を利用して、集団形成を助ける。リーダーを育て運営テクニックを教える。
先に述べたように、生徒にこれを受け入れる素地はある。さらに、別項で述べたように、現在の生徒は世間が言うほど個人主義の論理を身につけてはいない。クリアーな自意識を持ちしっかり自己主張する生徒は少なくとも増加していない。また、自己の栄誉達成のため、主体的に努力する生徒の数はむしろ減少している。確かに社会は競争を煽り、保護者は子供を競争に向けて駆り立てるが、それに従う者は一定数存在しても自覚的に競争に入っていく生徒の数は少ない。受動的なのだ。学習塾(それも個人指導主体)の繁栄はその結果と見るべきだろう。要するに倫理規範を失い集団形成力を失った今の生徒は、代わりに西欧的個人主義を身につけたわけでもなく、単に白紙なのだ。白紙だから染めやすい。(極右・極左にでも容易に染まるだろう。)入学したばかりの1年生は楽で、特にそのまま3年間持ち上がりの場合3年目にはかなり成熟したクラスを作ることができる。逆に、全く接点がなかった学年で突然卒業学年の担任をしたときは苦労した。
少なくとも、私が管理する集団としては、その「ローカルルール」に従う集団になる。それでよい。むしろその方がよい。絶対的な真理として与えるのではなく、この集団に適応される仮のルールとして、規範を設定する方が生徒も受け入れやすいし、本来倫理規範は局所的なものと扱うのが健全だろう。これも教えなくてはいけないことだが、社会集団はそれぞれその集団だけに有効なローカルルールを持つ。校則などもその典型なのだけれど、絶対的な基準としてではなく局所的なルールであると説明する方が、あらゆる学校での振る舞いは生徒が受け入れやすい。納得すれば生徒は上手に頭を切り換える。繁華街で全裸になってはいけないが、風呂屋では全裸にならなくてはいけない、社会というのはそういうものだと生徒に説明してきた。ローカルルールを守りながら生徒は考え成長する、それが余所でも適応される行動規範として身に付き発展させてくれる生徒が小数でも存在したら、十分ではないですか。更に言うなら、倫理規範を明確にすることは、生徒の思考にある種の座標軸を与えることに繋がり、生徒の人間的成長を促進するのではないかと思う。集団形成がうまく行ったクラスの卒業生はむしろ進学実績も良いし社会貢献に繋がるような職業選択する生徒が多いように感じている。
勿論、こういう生徒指導が学校全体で共有され学校としての局所ルールとなればそれに越したことはない。私はこれに関する実践について言う資格はない。若い白紙の生徒を変えることは容易いが、教員集団は生徒集団より遥かに強い慣性が働いていてなかなか動かない。特に近年の若手の教員は教員自身、既に共同体の論理に触れることなく育ち、主体的集団形成の経験もない「お利口さん」である場合が多い。また、厳しい学校観競争に晒されていて、売り物としては個人的な栄誉の達成以外ないと信じられている。(本当はそんなことないと思うのだけれど。)学校全体を変革するためには、しっかり労働組合を組織し活動すべきであったが、多忙にかまけてそちらに力を割くことができなかったことを今悔やんでいる。
もし、このサイトを子供を育てている保護者の方が見られているなら、こう助言したい。学校案内のパンフレットやホームページでの学校紹介欄で、他者や集団を尊重する人間教育にまず最初に触れる学校を選ばれるのがよい。個人の栄誉達成についてばかり書かれている学校は如何にきめ細かなサービスが謳われていても生徒間でいじめが横行している確率が高い。教育理念は意外に教員と生徒を拘束するものだ。
また、他者を理解する能力、人間関係を取り結ぶ能力については、高校になってやれることには限りがある。対等な立場で肉体的に面前するような体験の絶対量が、幼児期から不足しているのだから。肉体的に相対したとき人間は特別なモードにはいることを、アスペルガーの研究が教えてくれる。そのモードに入れないのがアスペルガー症候群の特徴の一つなのだそうだ。その上で文字化された言語以外から(仕草、表情、声色・・)情報を読み取り処理するのは一つのスキルだ。トレーニングが不足している。高校生になって教員ができることは、他者理解のスキルに気付かせること。そして何より、他者を理解しようとすることの大切さを訴え続ける他ない。折に触れ、級友を理解しようとしているか、生徒に問い続ける。互いが理解しようと努める様な集団形成を心がける。
当然ですが、ここで書いたことは私が目標としてきたことであって、実現できたことではありません。手痛い失敗もしてきたし、ひどいいじめにも出会いました。ただ、こういう方向に走ってみると結構うまく行く場合がありますと申しているに過ぎないことをご了解下さい。

いじめについて_3

次にいじめの発見と対処について。
一番問題に感じるのは、『いじめの被害者は、いじめをなかなか認めない』という臨床心理の世界では広く知られたことがらが、学校教員になかなか認識されていないことだ。私自身書物で学んだ当初は「そんなものかな」少々疑問を持っていた。が、実際のいじめ事件でこれが当てはまる場合を体験し納得した。いじめの被害者は、「これはいじめではない」と自分に言い聞かすことでかろうじて自分を支えている。自分自身でも追う思い込んでいるし、指導に入った教員にも、「これは、私自身も進んで参加している悪ふざけである」というような言い方をする。いじめであると認めたとき、最後の心の支えが折れてしまうからだ。だから、いじめが深刻であるほど、被害者が深く傷つけられていればいるほど、被害者はいじめを心理的に認めない。「私はいじめられている」と被害者が口に出して言えるいじめはまだ軽度なのだ。マスコミで報じられる、学校が気付かぬままある日いじめが原因で生徒が自殺してしまうような事件が起きる原因の一つはここにある。(私は幸いこのような深刻な事例に出会わなかった。ただ幸運だっただけだろう。)教員が一方的にいじめであると認定し被害者が安心できるような処置を始めたとたん、被害者は、今まで仲間だと主張していた加害者に関して、一転その残忍さを堰を切ったように語り始めたりする。
被害者の申告を待っていじめの認定をし、対処を始めたのでは必ず遅れる。このことを、現場の教員にもっと広く周知徹底すべきだ。先項でも書いたが、いじめの認定をするかどうかが問題なのではない。行為の事実そのものを、指導しなくてはならない。
書くのは簡単です。実際いじめが起きたときその処置は大変難しいことはわかっているつもりです。担当教員そして学校がどういう価値観で指導を行っているか、加害生徒、被害生徒、そして周囲の生徒にも納得させられるような処置をしなくてはならない。当然、教員の指導が入ったことで逆にいじめが進行するような事態を防ぎ、被害生徒を守り切らなくてはならない。
いじめが起きてしまったときの対処については、いくらでもテキストがあるので気のついたことを何点かあげるに止めます。
まず、いじめの指導を容易くするかどうかは、普段から学校がどのような指導をしているかと大きく関わる。前項で述べたような、いじめを許さないような価値観を教員、学校が体現していたかどうか。普段成績のよいものや部活動の結果のよいものを極度に優遇し生徒を差別的に扱っているような印象を与えてしまっていたら、ある日突然いじめは許さないと言っても生徒は納得しないだろう。勿論、運動会で一等とったら賞品あげるように、優秀な者を当然褒めるが、一方で全生徒に平等に指導が行き届いていないといけない。学校観競争が激しくなり、「実績」に教員の目が集中するとき、教員がよほど慎重に振る舞わないと、生徒の側は不公平感を募らせる。これではいじめ事件の処理を生徒が受け入れないだろうし、生徒の学校への不公平感はいじめの温床そのものだ。
また、いじめの指導が特にそうなのだが、生徒指導全般これは経験の蓄積以外にたよるものはない。生徒は流動し変化しているといっても生徒である。過去の様々な出来事への対処、成功もあり大きな失敗もあった経験から学ぶこと活用できる事柄は多い。困難な事例であればあるほど、多くの教員の結束が、特に経験を積んだ年配教員との連携が大切になるはずだ。これが、先にも言った「成果主義」に走り、それに向けた体制変革にばかり目がいく現在の学校では難しくなっている。古いものを切り捨て「効率」よく「改革」することが善であるような風潮が多くの学校に見られるのではなかろうか。過去を知らない若手教員が改革の旗手として重視され、年配教員が邪魔になる。結果として、貴重な生徒指導経験の蓄積までもが切り捨てられていく。悪いものは改めなくてはならない。しかし、学校の運用の形の全てに経験の蓄積があり現在の形となった理由がある。(教員が楽をするためずるずるとできあがったものもあるのだが。)生かすべき歴史、経験の蓄積を無視して発展はない。
医者、教員は、同僚をかばう。医療ミス、教育ミスはなかなか表に出ない。これは教員にとって難しい問題だ。長く共に仕事を続けてきた同僚は大切だ。チームプレーでしか学校教育は成り立たない。人数比で二十倍もの生徒を管理し学校を運営できるのは教員の結束があってこそ。その同僚の人生を大きく変えてしまうようなことはしたくない。そういう事態をできる限り回避したい。当然だ。更に、先ほどから述べているように学校観競争の中で学校の評判はできる限り落としたくない。そういったわけで、ミスを出さないようにする心理が教員に働く。一方、人間のやることだから失敗は必ずある。教員の何気ない一言が生徒を深く傷つけてしまう場合もある。緊迫した事態の中で教員が自制心を失う場合もある。生徒は時として教員の予想を超えた行動をとる。いじめも起きる。当然そうならないよう心がけていても。慎重に運転していてもだれでも必ず自動車保険をかけるように、教育ミスは起きる。私も大小様々な失敗を繰り返してきた。そういう必ず起きる教育ミスに対しどう責任をとればよいのか。残念ながら、私に経験からできるような提言はない。
教育のミスは学校の教員集団のシステムの不全として起きる場合と(いじめ等)事故そのものは特定の教員によって起きる場合がある。これらのミスを教員集団全体の問題として認め責任をとり改めていかないと集団の発展がないことは確かだろう。教員個人が起こしたミスの中には明らかにその個人の資質に関わるようなものも含まれる。(よく問題にされる教員の生徒に対するセクハラなど。)このような問題であっても、教員集団の形成の仕方によって防げるのではないだろうか。教員は聖人ではない、普通の人間の集まりだ。まして、いじめ事件は教員集団の在り方に深刻な問題を投げかける。これを集団の問題としてとして受け止められるような組織作りは是非とも必要だろう。学校の評判を落としたくない心理が働く場合、特定の個人にその責任の全てを押しつける傾向はないだろうか。形式的にそのような処置をすれば、組織としての反省は同時に回避されてしまう。

生徒の変容 共同体意識の喪失

 30年余り教員を続けて感じる生徒の質的変化はまず共同体意識の喪失である。日本人の意識の根底には、農村共同体の規範が強く根付きこれが日本人の人間関係の作り方を根本で支えていると考えられる。明治の初めまで人口の9割は農民で紆余曲折を経ながらも約二千年間定住し共同作業で米を作ってきた。 ここで作られた人間関係の距離感、規範が日本人の意識、文化の根底をなしているはずだ
明治以降村落共同体は徐々に解体していく。農業人口は減少し質的にも変容していく。あくまで緩やかな連続的変化として。今でも山村に都会から移住した人の苦労としてまずあげられるのが、その土地の習慣になじむことであるように、共同体の掟に強く縛られて生きている人は数多くいる。
実体としての共同体が解体しても、意識は生き続ける。時間的なかなりのずれを持って共同体意識も変容、希薄化していく。1960年代の末、盛んであった学生運動はその意識の崩壊過程を象徴する出来事だった。ベトナム反戦運動を基軸とした世界的な現象であったと同時に、日本の学生運動はその中身としては、実体としての共同体が解体し行き場を失った意識の噴出であったと思う。新左翼諸党派の人間関係の作り方はまさに村落共同体のそれとよく似ていて、党派間の争いはヤクザのそれとほとんど変わらなかたった。実際学生運動の興隆とヤクザ映画のそれはほぼ同期していたし、当時の学生はヤクザ映画が大好きだった。学生運動への参加のモチーフ、倫理も共同体の倫理そのもので当時流行の実存哲学などに根拠を求めようとしてもそこに自分を根底から突き動かすものの実体を説明できなかっただろうと思う
あるテレビ番組で福井県のある農村に建っている庄屋さんの石像を紹介していた。農民を代表してある庄屋さんが殿様に年貢の軽減を申し出た。殿様は「おまえの首と引き替えなら認める」と答え、庄屋さんはそれを呑んで打ち首となり、殿様も約束を守った。こういう話しに日本人は弱い。60年代末の学生運動を支えていたのもこういう美学であったと思う。
経済成長が進み日本人の生活スタイルが変化すると共に、日本人の中からこの共同体意識は失われてゆく。時間が進むにつれゆっくりとその世代の若者から共同体意識が希薄化してゆく。私は30余年の教員生活を通じてそれを観察させてもらったように思う。こういう社会現象はダイヤモンド氏が「文明崩壊」で地球温暖化を例にとって述べていたように、平均的変化の量は1年あたりで見たらごく僅かであり、年による偶発的変動の幅の方が遥かに大きいのでなかなか気付かない。HR担任をしていても何人かの人材に恵まれて素晴らしい集団形成が出来る年もあれば逆の場合もある。クラスとして現れる集団の個性も実に多様である。しかし、今30年前を振り返ってみると、生徒が作る集団の質は大きく変化した。先日も私の就職当時の担任生徒と話をする機会があったのだが、彼らと話しながら現在の生徒と比較するとその違いは随分大きい。昔の生徒集団ははそれなりに組織だった共同体を形成していたものがその絆、組織性が緩やかに失われて現在に至っている。それは一斉に消えていくと言うより、壁が剥落していくようにして共同性が失われているように思う。例えば
「自分より弱いものに手を出すのは無様なことである」
「仲間は守るものであり、害を与えるものではない」
と言った説教が昔の生徒には効いた。つまり
「君の行為は、君の属している共同体の掟からも反するものである」
と指摘することが生徒指導の方法として成り立ち得たのだが、最近の生徒にこのようなことを言ってもよく理解してもらえない、何を言われたかわからずぽかんとしていると言った場合が多い。「校内暴力」が沈静化した1990年代から、年配のベテラン教師の中に自分の指導法が通用しなくなったことを訴える教師が増えたと聞く。かれらは、生徒の中にある共同体の倫理意識を教師と生徒の共通の規範とすることで生徒指導をしていた。要するに、義理人情、浪花節。その規範が生徒の側から失われ指導が宙に浮くようになってしまった。
「先生、××君が僕の傘をさして帰ってしまいました」
と教員室に苦情を言いに来た生徒に初めて遭遇した時の衝撃は忘れられない。
私たちが中学高校生だった頃はもちろん、教師として仕事し始めた頃このような生徒に出会ったことはなかったた。もしこのことが他の生徒に知れたらその瞬間からこの生徒は生徒集団の中で生きていけない。強烈な制裁措置を覚悟することになる。これが常識だった。現在この「常識」は失われたと言っていい。言いつけに来た生徒にはそのような懸念はないし、実際に制裁措置が発動することもないのでしょう。残滓が暴走することはあって、これが現在の「いじめ」をひどいものにしていると思うのだが、これは項を改めたい。
かつての生徒集団は、学校から独立した、保護者からも独立した集団として形成されていた。内部で事件があっても、学校や保護者には伝わらない。伝わらないシステムがあり配慮があった。例えば、盗難事故。学校が盗難に頻発に手を焼くようになってきたのは90年代からだろうか。しかし実際は最近になって教師が知るようになったと考えた方がよいのではないかと疑っている。
1)このようなことを被害生徒は親にも学校にも言わなかった
2)大人に知られない限度がある程度わきまえられていた
3)身内に手を出さない、他集団からの盗難には防衛機能が働いていた
良質の集団が形成されたときは確かに3)のようなことが実現していました。でもいつもどこでもそうなるかというと、「美化」し過ぎで大半は1)2)あたりなのですが。
かつての生徒は、学校や保護者からは独立した集団形成をしようとする無意識の動きを必ず持っていて、明確な理由がない限りクラスのすべての生徒はその構成員であり、内部にはそれなりの独自の規範が成立していた。その集団の質、緊密さは多様だったが、長い時間の経過から見ると、先ほど述べた「地球温暖化」のように、ゆっくりと失われていく途上に立っている。もちろん、義理人情のわかる昔気質の子もいるが、それが昔のような生徒集団を形成することはもはや稀になったと感じているが皆さんどうだろう。

子供集団の消滅

 海辺の僻村を旅行した事がある。戦後しばらくして自動車道路ができるまで、物資の輸送は船しか頼るものがなく、それまでは主食として芋を食べる事が多かったと聞いた。民宿の部屋に落ち着くと子供の歓声が聞こえる。窓の外を見ると、すぐ先に小さな漁港がある。晴れ上がった夏の日、堤防の先端に子供が集まり飛び込みながら遊んでいる。子どもたちの甲高い声は暗くなるまで続く。自分の子供時代を思い出した
学校から帰ると、近所の子どもたちが集まって遊ぶ。それ以外にする事がなかった。昭和30年代の地方都市近郊。学習塾はない。テレビはお金持ちの家に入り始めていたくらい。算盤塾や音楽教室に通う者はいたがそれも週一回くらい。暗くなる頃、ご飯ができたと母親が呼びに来る。 集団の構成は偶発的流動的、何をやるかもその日次第。ここで沢山の事を学んだ。様々な遊びのルール、やり方、勝つための戦略。模型飛行機の作り方、コマのまわし方、凧の飛ばし方。「肥後の守」(子どもたちが持つのを許された小型ナイフ)を使った杉の実鉄砲などの細工の仕方。いたずらのしかた。どこまでだったら許されて、何をすると大人が本気で怒るか大体年長者が教えてくれた。
「缶蹴り」は全国に全国で行われていた様だ。様々な地方の出身者に聞いてもたいてい知っている。空き缶が手近にある時代に広まったのだろうけど、一体どうやって。
中学生になるとクラブ活動が忙しくなるので、上は小学六年生から下は幼児まで。小さい子は見ているだけ、次に参加できるけど大目に見てもらって、(「みそっかす」と言う言葉があったな)一人前の能力を認められてはじめて台頭に遊びに参加できる。そういう事を年長者が定める。人間関係についても独自の規範が成立していた。当然、喧嘩もある、仲間はずれもいじめもある。しかし、限られた仲間でずっと遊ぶのだから、どこかで解消され集団は維持されていた。
 昭和を美化してますね。しかし思い返してみると子どもたちの「おきて」は厳しく集団への同化の圧力は強かったように思う。私の両親は都会育ちでその地方への流入者だったし、狭い住宅の一角を文学全集がぎっしりと埋める「インテリ」だったから、その地域の同年代の友人たちから受ける同化圧力を身にしみて感じながら過ごすことになった。言葉遣い一つで排除の対象になる。必死でその地方の子供社会を統制していた「おきて」規範を学ぶ。子供社会にはいる時に感じた抵抗感が日本近代化の始まりなのだろう。この縛りを振り捨てようと日本人はもがいてきた。その後に何が残ったか。何を作れたのか。話は飛ぶが、この点で村上春樹の作品が共感を呼び、人気を博しているのだと思う。
 この子供集団のルールが学校に持ち込まれ、学校での児童生徒集団の基本ルールになっていた。自分たちが既に身につけている、または学びつつある社会ルールを学校という場に拡張していく。学校はより広く、公共性の高い社会集団への参加の仕方を教えてくれる。この子供集団が都会では近年本当になくなりつつある様だ。失われたものを挙げてみたい。
一、社会集団に参加するための基本ルールを学ぶ場が学校外から失われた。
 高校生になっても、自発的な集団形成をなかなかしてくれない。個人が個人のまま集まっている。まるで幼稚な人間関係のトラブルが多発する。いじめや仲間はずれは昔からある。中学生、高校生にもなれば随分ひどい事もしていた。それでも今の様に問題にならなかったのは、その限度と納め方もまたお互い何となく知っていたからだと思う。暴行を加えるにしても、相手がどれくらい苦しむか知ってやっていた。だからこそ、とてつもなく残酷な暴行もあった。有効に痛めつけるのも文化だ。今の子は、それをしたら相手にどれくらいこたえるか、本当に知らずにやっている場合がある。
一、相互に顔を見ながら関係を作る、人間関係の基本を訓練する場が失われた。
 他人の立場、考え、感情を理解する能力がどんどん落ちていく。言語や他人の感情は脳内の特定部位で処理されるらしい。生物学的にその能力を備えていても、言語でもそうである様に訓練しなければ機能しない。生身の顔から見つめられる事、見つめる事は人間にとって特殊な体験で、これを特殊なものにしているのが、人間と他の動物を区別する者ものだと聞いた事がある。
大人でも直接会いづらいから、電話する。電話でも話しづらいからメールする。生身の人間が出会うのは特殊な体験だ。テレビを見つめても、テレビの登場人物がこちらを(テレビカメラを)見つめていても駄目なのだ。そういう対人関係のスキル、人間が人間であるための基本をトレーニングする機会を現代の子は失いつつある。
一、対等な立場で自分を表現し、他者の表現を受け入れる言語トレーニングの場を失った。
 遊び集団の子どもたちの声は大変やかましい。必死で自己表現し、自分を正当化する論陣を組む。相手を非難する。昔の子はこれを毎日延々と繰り返していた。遊んでいる子が一日どれくらい発話するか、誰か統計を取って欲しい。現代の都会の子は、学校帰ってきたら一休みする間にちょっとゲームやって、塾やお稽古事やって、また家帰ってきたらテレビ見て学校と塾の宿題やって。接する言語は大人から子供への一方通行、テレビも一方的な情報の押しつけだ。自発的な発話をどれだけしているだろう。自分の論理を構築する体験をどこでするのだろう。
一、集団の中での自分と他者とを知る機会を失った
 遊んでいればその集団の中で互いの個性がはっきり見えてくる。運動能力の優れた子がもちろん一番尊敬されるのだが、人間関係をおさめるのが上手い子、新しいアイディアをどんどん出してくる子。人間の多様性と、社会での自分の特質を最初に知る場が子供の遊び集団だった様に思う。小さい子も参加してくる。体の弱い子もいる。行動の遅い子もいる。これらの子に集団の中にどう組み込んでいくか年長者(と言っても小学校高学年)は配慮しながら行動していた。こうして集団を組みながら、他者の長所短所を知りそれと協調することを学ぶ。また、自分を知り(というか嫌と言うほど知らされ)社会との折り合いの付け方を学ぶ。
近年アスペルガー症候群と診断される子供は急増している。しかしこれは、「先進」国に特徴的な事で、発展途上国には見られない現象らしい。「変わった子」はいたが、それぞれ子供社会で、学校で程よい位置を得ていた様に思うのだ。幼児期に社会に接する事で個性に応じた社会性の基礎を身につけまた、集団全体がそれぞれの個性を包摂する事を学んでいたと思う。もちろん程度の問題はあるけれど。
若者が「自分探し」をし始めたのも、子供社会の喪失と連動している様な気がする。幼い頃に「身の程」を知る、知らされる体験をしていない世代だ。

一、自分たちでものを作る文化が失われた
 遊びは創造だ。集まってくる子供は日によって違う。手に入るものもちがう。毎日何らかの工夫が必要になる。
一、遊びながら身体の可能性を知り自然に基礎体力を訓練する場を失った
子供がスイミングスクールに親のベンツで通う、ジョークでもなくごく普通の光景になってしまった。
一、自然との接点を失う
 その上、私の場合その遊びの場が里山に隣接する新興住宅地だったから、里山と畑と田んぼが遊び場であり自然とふれ合う場であった。メダカ、ザリガニ、カブトムシ、随分の数とったと思うが、それでもまだいくらでもいた。キノコを採った。ヤマユリ掘って庭に植えた。風呂の焚きつけ用に松ぼっくり拾い小遣い稼いだ。里山に入りそのにおいをかぐ事で季節を感じていた。
 数え上げればきりがない。この体験を子どもたちから奪った代償をどう払おうか。

高校生の男子コーラス

 高校生男子の合唱を聴く機会があった。これがうまい。ハーモニー抜群。日本語の歌詞を踏まえた表現力。声量豊かで迫力がある。こんな経験をしたことがなかった。
 私の高校時代からは想像もつかないことだ。当時だって上手い合唱はあったのだろうけど、時代が変わった気がする。音楽文化の定着だろうか。西洋音楽が日本に入って百年ちょっと。これに対して40年は長い時間だ。世代にして1世代から2世代。クラッシックでも個性的な若手演奏家が登場している。大学ジャズ研の演奏を聴くと、軽くアドリブを続ける学生ピアニストが結構いたりする。日本で西洋がより深く根付いてきた。親子三代かけて初めて趣味人になれるというらしい。明治百年から更に半世紀が過ぎた。
それはさておき、気になるのが、高校生達の素直さ。ロマンティックな曲を心を込めて歌う。明るい笑顔でダンスを踊る。この純情さ。他の稿でも書いたが、この素直さ、純情さは、私が仕事をしながらも特に今世紀に入って気になっていたことだ。生徒達は感動を求めている。学園祭に熱心に取り組む。指導はしやすくなっている。無垢な存在だから簡単に染まる。
 私が若かった頃、こういう大人から与えられたもの、他から与えられたロマンティックなものへの反応は、「破壊」「拒絶」「しらけ」。「しらけ」ていたと思う。そういえば、最近「しらける」って言いませんね。「自由」という言葉も聞かなくなったけれど。
60年代から70年代の若者文化は、既成のものを拒否する。独自性にこだわる。覚醒を求める。理想化して言えば。少なくとも当事者はそれを夢みていた。自由とはそういうことだと思っていた。内部から自己変革を繰り返し破滅に向かって突き進んでいく当時のモダンジャズは理想を実現しているように見えた。むつかしい顔をして、大音量で鳴るアルバートアイラーに聞き入るものが本当にたくさんいた。叙情的なるもの、ロマンティックなものは、現実を美化しその矛盾を隠蔽する体制的の補完物とみなされ、拒絶することになる。既存のもの、上から与えられたものを拒絶するのは、「主体的」行為である。自ら行動しようとする「主体」は自由を望む。既成概念を拒んだけれども、何も新しいものを作り出せないとき、作り出せないことに気がついたとき「しらける」ことになる。自由を求めるけれど、手に入れた自由の中でどう行動すればよいかわからないとき「しらける」。
 こういう全共闘世代の主体意識も、今思えば随分怪しいものだ。あれから半世紀何が生み出されたかを見れば良くわかる。「全共闘」を振り返る書物の大半は、当時を叙情的に美化している。根底から拒否していたはずのロマンティシズムにどっぷりつかっている。痛みをこらえて自らを腑分けし、否定すべきものをとりだし、次世代に伝えるべきものを残す、こういう作業をしたものがどれだけいるか。この文句も、書くときりがない。
 では、今の若者は全共闘世代の主体意識を越えた地点に立っているかというと、これも怪しい。かりに幻想かも知れないけれども芽生えた、「主体意識」が退化したところに、今の若者がいるように思えてならない。社会性の欠如、自我の未成熟。
 全共闘世代の文化は、崩壊の進む地域共同体からの抵抗のアピールだった。ところが、全共闘世代は「自分たちは新しい」と思っていて、自らの出自が地域共同体の倫理意識にあることに無自覚であり、以降の社会の変容に対し抵抗力を持ち得なかった。英国サッチャー政権、米国レーガン政権が先陣を切った世界的なネオリベラリズムの大波に呑まれる。
 今の子供たちに、地域社会がない。自我形成をし社会を疑似体験する子供集団がない。こうして純真無垢な若者が育つ。(正確に言えば、そういう子供たちの割合が年を追って増加している。)資本主義社会の消費者として自立している、という論調を私はあまり信用しない。というか生徒と接した実感として感じ取れない。自我はあくまで他者との実体的な出会いによって、生の言語交換によって形成される。その体験量が絶対的に不足している。仮に消費主体としてもちっぽけな主体だ。本当に若者が経済合理性に貫かれて行動していれば、全く違った社会が形成されていると思うから。
 いじめの問題にしても、こういう視点から入るべきだろう。一つのクラス、一つの学校である一定の倫理観を共有する集団を形成することは、以前よりかなりたやすくなっている。染めやすくなっている。そうだとすれば、いじめは、統率する教師集団が、生徒集団に対しきちっとした倫理体系を構築する能力があるかが第一の問題なのではないかと思われる。優れた指導者がいれば、美しいコーラスができる高校生だ。素直にロマンティックな感動を作る高校生だ。生徒は涙と感動を求めている。40年前の高校生より遥かに強く。
日本の地域共同体が作り上げてきた倫理観は、それ程簡単に失われるものではない。若者は変わったという論調がある一方で、「日本人論」はこの50年あまり変わったことを述べていない。
「出る杭は打たれる」「表現力がない」「個性がない」云々。グローバリズムの時代を迎えても日本人は日本人なのだ。共同体の倫理は無意識のうちに(ユング的な)伏流として必ずある。それを表面に引き出すのはそれ程難しい仕事でない。自分がやって来た仕事の実感としてそう思う。
一方、無垢で染めやすいということは、どうとでも染まるということである。流行に対する抵抗力がない。当然、ファシズムへの抵抗力もない。中間共同体の欠落はファシズムへの第一歩だという。高校生の美しいコーラスはそういう怖さを感じさせる。
 こういう時代だからこそ、、教育の本来の役割である新たな時代を切り開く主体形成が求められている。教員は、染めやすいことを利用して、暫定的に倫理的な空間を確保する一方で、子供たちの社会性を育てる仕事をしなくてはならない。他者の存在を認め、他者をそれなりの形で理解し自覚的な集団を形成する技量を養う。これが、現在の教育に課せられた課題だ。学校は、教育の一部であり、一部に過ぎない。学校で無理だとしたら、誰が何所でやるか。
 見事な合唱を聴きながらこういう事をかんがえた。

緒方洪庵

扶氏医戒之略(緒方洪庵訳)安政丁巳(1857年)春正月
一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

緒方洪庵が医師の理念として、塾生に与えた有名な訓戒。ドイツ人医師の書物をオランダ語訳したものからの抄訳。江戸末期、知識人の倫理的到達地点を示す文章。
 百十年後に日本で起きた学生運動は、ここから先に何歩あゆんだのだろう。更に四十年たって我々はどこに立っているのだろう。民主主義、キリスト教、マルクス主義、明治以降様々な思想・宗教・哲学が輸入されてきた。言葉としてそれらを読み、「理解」したとしても、自我の構造をどれだけ転換できているのか。 ここに述べられている自己犠牲の倫理を支えるのは、キリスト教の神ではなく、江戸時代を支えてきた村落共同体の掟、それに論理的基盤を与えてきた儒教思想なのだろう。以降、日本人はおなじようにして聖書を読み、マルクスを読んだ。
 思想や哲学を「学ぶ」「理解する」とはどういう事なのだろう。またそれによって自我の構造そのものを更新する事ができるのだろうか。聖書が翻訳されたとき、 righteousness(私は英語以外の外国語を知らないので、本来は古代ギリシャ語)は「義」「正義」とされた。儒教の仁、義、礼、智、信の義とどう違うのか。言葉での説明はされるとしても、私たちは西欧のキリスト教徒と同じように「義」を捉える事ができているのだろうか。
この緒方洪庵の文章を最初に読んだとき、全共闘を体験した私より多少上の世代の語り口を思い出した。同じではないか。彼らはその倫理的基盤を求めて彷徨する事になる。実体としての農村共同体は崩壊の過程にあり、規範意識だけが宙に舞う。全共闘運動と同時に流行した「任侠」映画もまた、行き場を失った共同体意識が生み出した物のように思える。実際、当時の「左翼」「新左翼」党派の振舞いは、ヤクザのそれと酷似していた。この「左翼」の政治的な駄目さ加減はその後の教職員労働組合の盛衰とも大いに関係している。
 私たちは、高校、大学で倫理・哲学・社会思想などとして、西洋哲学については多く学ぶ機会を持っている。それに比して、東洋思想、特に江戸時代幕府公認の思想として、武士から庶民まで広く普及した儒教思想について、これを対象化する作業がどれだけできているだろう。性、理、気、義、私たちが平常使っている日本語自体儒教に深く規定されてはいないか。
他でも述べたように、私が教員として勤めた三十余年は、この村落共同体の規範意識が徐々に失われていく過程であったように感じている。私たちは、失おうとしている物が何なのか、儒教思想に代わって日本人の倫理を支えるものはなにか本気で考えてみるべきだ。子供の社会に深刻ないじめが横行し、大人の社会では醜い差別が公然と行われている。真面目に正義についてかんがえなくてはいけないときだと思う。(文科省のいじめに関するパンフレット見ていてもなかなか正義と言う言葉が登場しない。)
当面教員にできる事は、他で述べたように、昭和を美化して語る事<内田樹>しかないのではないかと思う。当面は残存する生徒の儒教意識に訴える。少なくとも私は、この十年そうやって生徒の中に集団の倫理を持ち込もうとしてきた。失われつつあるのは事実だが、全てが失われたわけではない。正義感の強い生徒、義理人情に厚い生徒はいる。どの生徒も、例えば冒頭の緒方洪庵の文章に反応する何かは持っている。そこに働きかける。全く新しい家を建てる材料が無い以上、傷んで細くなった土台や柱を補修していくしか方法がない。とにかく、正義を語るのだ。その実態、根拠は語りながら考え、補填するしかない。
 実際には昭和の時代の人間関係が今よりよかったわけではない。共同体は同化を強く求めた。共同体を外れるものに対するいじめや、差別は厳しかった。上下関係を無条件に承認しそれに従わなくてはならなかった。 そういう束縛から抜け出したくて新しい社会を作ってきたはずだ。
 一方、「力の強い者は弱い者を守らなくてはいけない、勉強のできる者は勉強苦手な者の面倒を見るべきだ、昔の生徒はそうしてきた。」「仲間を大切にせず一人だけいい思いをする奴は、昔はみんなから見下されたものだ。」といった説教は今でも意外に通用する。昭和が過ぎ去ったからかえって嘘が通用するようになったのかも知れない。語る以上教員は自ら古典的正義を実践しなくてはならない。こちらがそれなりの筋を通せば、子供たちは素直に反応する。(それなりの筋、に実際は誠実さと細心の注意が必要なのですが)
 それにくらべて難しいのは大人の社会だ。生徒同志は仲間意識を育てても、保護者は自分の子供しか見ていない。また、教員室で正義は行われているかな。

おばさんタイプ

 用事ができて、急に旅行をしなくてはならなくなった。慌てて荷造りし、村上春樹訳ロング・グッドバイを鞄に突っ込んで家を出る。これだったらゆっくり時間を潰せる。何回目かの読み返し。これまでと違うのは昨年 The Great Gatsby を英語のトレーニングのつもりで苦労して読んだこと。このあとでもう一度、ロング・グッドバイに目を通すと村上が解説で指摘していることがよくわかる。同じ話だ。美しいが薄情な女に献身する男の美学。
様々な男達が出てきて、その描きわけは面白いのだが登場する女性は平板だ。ただ暮らしているけれど仕事もしていない。花瓶に生けられた花のようにただ存在する、その女を巡る男の物語。むしろ積極的に女の愚かしさを語っていると読めなくもない。アメリカ映画はどれをとっても女性蔑視映画だと内田樹先生がおっしゃっていた。西部開拓時代、その前線では女性は圧倒的に少人数だった、というような説明をされていたように思う。でも根っこはもう少し別の場所に在るように思う
 アメリカ合衆国は建国約二百四十年、歴史の浅い国だ。築二百年の建物は歴史的建造物。封建的な地域共同体が熟成することなく、急速に資本主義化されてしまった。恐らく封建的な共同体の残滓が存在しないことが、資本主義国アメリカ合衆国の強さの秘密なのだろう。ところが、残念ながら女性が最も女性らしく生きられる場は共同体の中にあるのではないかと思うのだ。
大都会の下町、農村、漁村で目に付くのはおばちゃんの元気良さ。地域コミュニティーで、人々をつなぎ合わせコミュニティーとしての器を形成しているのは女性のネットワークだ。横の人間関係を作る能力は、どう見ても女性の方が優れている。親族関係の絆も表向き父系性のように見えて実際には女性のつながりを起点に作られていくのはよく知られた事実だ。男は、表面で活躍しているように見えて、実は女性が用意した共同体の器の中を泳がされているに過ぎないのかも知れない。女性が最も生き生きしているのは、共同体が形成する人間関係の中で自尊心を育てた時だと思う。それを私たちは『おばちゃん』と言う。
 人々が市場原理で分断された場で、伝統的で親密なコミュニティーの存在しない場で女性がその本来の力を発揮することができないでいるのが、アメリカ社会なのではないだろうか。アメリカの女性解放運動がもう一つ魅力を欠くのは、女性に男性と同じように振る舞う権利を与えているに過ぎないからだ。結果的には労働市場で売り手が増大し、労働者の競争を寄り強める役割を女性解放運動が果たしてしまう。現在のアメリカ映画に出てくる女性は、男勝りの有能な人間と部屋に飾られた花のようなただ存在するだけの女性の二通り。どちらにしろ、男の価値観だ。男の価値観で男と同じ仕事ができるか男の価値観で女として可愛い。本当のおばちゃんになかなか出会わない。こんな国を「先進国」と思い込み、戦後70年アメリカ社会に追いつくことを目標に努力してきた。なんて恐ろしいことだろう。
こういうことを言うのには理由がある。僕の属していた職場では、女子生徒を特にクラスの中心となりうる女子を『おばさんタイプ』と『お姫様タイプ』に分類していた。『おばさんタイプ』とは前述のように伝統的共同体の中で自尊心を高めてきた、もしくはそういう行動原理を身につけて育った女子。それに対し『お姫様タイプ』とは、現代社会の一般的基準で高い評価を得ることで自尊心を高めてきたタイプ。「美人」で「成績がよい」さらによく本を読んでいたりピアノが上手だったりする。こんなネーミングが生まれた理由は、単純だ。『おばさんタイプ』が少なくとも一人、できれば複数名存在すると、そのクラスの運営が大変に楽だからだ。やんちゃな男子生徒が一番弱いのが『おばさんタイプ』、学校長の言うことすら聞けない生徒でも、むいしろそういう生徒ほど『おばさん』に弱い。男女を問わずクラスの中に親密な人間関係ができあがり派閥争いやその他のトラブルも自然に調整されていく。中心には『おばさん』がいる。また他の女子もそのスキルを学んで少しずつ『おばさん』化していく。個性的な『おばさん』に恵まれたクラスは、楽しい思い出が多い。また、生徒の親の中に『おばさん』がいて、多くの生徒がお世話になりその『おばさん』の家が生徒の溜まり場になっていたことでクラスの生徒が親密になった場合も多い。逆に苦労したクラスを思い出してみると『おばさん』がいなかった。対して、『お姫様』は居てもクラス運営上何の助けにもならない。どころか人間関係を複雑にもつれさせる原因を作ったりする場合が多い。
お姫様より、おばさんを育てる教育を。お姫様より、おばさんが育つ社会を。これが、女性解放の道であり、新自由主義に抗する道であろうと思う。内田樹先生、おじさん的思考の続編「おばさん的思考」を書いて下さい。
 ロング・グッドバイを再読して、こんなことを考えた。