シリコンバレーに工場を設立した日本人経営者とたまたま飛行機で隣同士になり、長い時間その経験談を聞いたことがある。最も苦労したのは、職務記述書を含む雇用契約書の作成だったそうだ。米国人は、新たな仕事を命令しても雇用契約書に書いてないことは契約書盾にして絶対にしない。時間と共に雇用契約書はふくれ、数十頁に及ぶ契約書を交わすようになったという。 日本ではどうなのだろう。私はどう雇われているのだろう。
ネットに面白い資料が出ていた。『イギリスにおける職務記述書と雇用契約書』(三島倫八、龍谷大学、2007年9月)資料著者自身が大学における雇用契約の曖昧さを指摘している。
初めてアパートを借りたとき、賃貸契約の面倒くささに驚いた。家賃数万のアパートを借りるにあたって何頁かの契約事項に合意した契約書を2通作成し、実印を押し所有者と一通ずつ保管する。それに比べ、日本の雇用契約は何と安易なものだろう。だから、シリコンバレーで通用しなかった。評論家が消費社会とかポストモダンとか日本社会を規定してみせるが、労働力に関しては、労働力市場の形成さえ十分にできてない。資本主義形成の根幹をなす労働力の商品化が西欧諸国のようには形成されていない。
上司に「新しくこれやっといてくれ」と言われて「雇用契約に含まれていない」と主張して拒否する労働者がどれだけいるか。拒否できる環境にある労働者がどれだけいるか。それなりの法規はあるから、手間かけて訴訟に持ちもめば勝てる場合もあるだろうし、そうしてきた人もいるだろう。しかし社会全般で見ると、「雇用契約に含まれていない」と部下から言われて、要求をその場で取り下げる上司は殆どいないはずだ。私たちは、社会通念に基づく漠然とした合意の下で雇用され仕事をしている。その中には社会的上下関係が絶対であった江戸時代の規範が未だに色濃く残っているように思われる。これは契約ではない。アパートの賃貸契約以下の曖昧な合意だ。
だから労働組合が成熟しない。労働契約の概念がないから、契約条件を巡って雇用者と労働者の折衝する制度がうまく運用されないのは当然だ。自分も同じ労働者で同じように権利主張する可能性があると感じている国民が少ないから、ストライキが国民の支持を得られない。七十年代以降労働組合がなし崩し的に解体され、組合を基盤に成立していた社会党は見る影もない。社会主義国家の衰退の影響も要因だろうが、それでは説明できない。西欧諸国で労働者はストをしている。インターネットを見れば日本語でも多くの報告がある。たとえば、朝日デジタルの記事『フランスはデモとストライキの国』、『中学校の先生たちが突然ぶっちしたストライキ』・・日本人の自己認識は過去に向かって後戻りしているのだろうか。
教員を採用するにあたって詳細な職務記述書(job description をこう訳すらしい)を公開し、これに基づく雇用契約書を作成したらどうなるだろう。たとえば、
・一日あたり30分の残業手当を予め支給する。
これを超える時間外勤務についは手当てを支給しない。
・家庭訪問など必要とあれば勤務時間を超え仕事が深夜に及ぶ場合がある。
・教材研究、試験採点、通知票記入など休日の時間外在宅勤務が必要な場合がある。
これくらいはいいだろうか。更に実態に即して
・ひと月80時間を越える時間外労働が必要な場合がある。
・ひと月7日程度の休日出勤が必要となる場合がある。
と書かれていたら、教員採用試験の応募者はどうなるか。労働基準監督署は許すだろうか。
教員の労働環境を根本から見直すには、職務を明文化しそれに基づく雇用契約を作り上げるべきだ。これを合法的に実現しようとしたとき、とるべき施策が見えてくるだろう。教育の仕事が人間を相手にする微妙な仕事だからこそ、職務の文章化が難しい仕事だからこそ逆に必要なのではないかと思う