国立大学文系学部廃止に何故怒らない

経緯説明と基本的反論は、内田樹氏の投稿 http://blogos.com/article/113789/に大凡尽くされていると思う。支持する。私が問題を感じるのは、当事者が怒らないことだ。国立大学文系学部廃止が如何に愚策であるか、精緻な議論を展開するに最も適任な人々が、今回の廃止論のターゲットになっている。哲学的に、教育学的に、政治学的に、歴史学的に、・・あらゆる観点から反論が続出するはずだ。(だった。?)この種の議論について日本の最高峰が集結した場所を潰そうというのだから、本来ゴルゴ13を暗殺するくらい難しいはずだ。こんな恐ろしい政策を立案するには大変な勇気が要る。

どのような反対運動を展開すれば有効な反撃ができるか、全歴史上から、現在の全世界から反体制運動の情報を集約し分析する事だって、している人が何人もいるはずだ。例えばネットで見てみれば「日本労働社会学会」なる学会だってちゃんとある。『産業・労働に関する社会学の研究者を中心に、その実証的・理論的研究の発展を目指して』いるらしい。あなた方自身の労働が脅かされているのです。今こそ研究の蓄積を実践に生かす時です。労働運動のあるべき姿を私たちに、特に次世代を担う若者に見せてほしい。

弱肉強食の私立大学について以前書いたときにも、同様の疑問を書いた。何故大学人が団結できないのだ。

今、学校が抱える様々な問題の根幹にあるのは、教育について大まかな合意が崩壊してしまったことだ。明治維新後の国家建設、太平洋戦争後の復興と民主国家の建設、教育の役割について幅広い国民的合意が形成されていたはずだ。遠い未来を視野に入れ次世代に託す理想があった。70年代以降日本が豊かさを具体的に享受し始めると同時に、この合意が崩壊し次第に個人主義に取って代わられて現在に至る。丁度その課程で私は教員をしてきた。学校の教育は少なくとも生徒と保護者の合意がなくては成立しない。国民の合意からから理想主義が消えれば、学校で理想主義的教育はできない。遠い未来など考えなくなっている。目先の物質的繁栄。時間軸がどんどん短くなる。今回の文系学部廃止論は、教育とは何かをかんがえる絶好の機会だ。教育とは何か、文科省の垂れ流す新自由主義的教育観に対抗しうる、新たな合意形成を目指そう。

大学文系学部の教員学生の皆さん。自分の営為に自信と誇りがあるなら、大いに怒ってほしい。団結して反撃してほしい。文系学部の必要性を、これまでの全研究成果をかけて語ってほしい。闘うことで、理論は深まる。闘いながら、教育とは何か考え直そう。退官を迎えた団塊世代の先生方、失うものは何もない。昔取った杵柄、大いに暴れては如何。

もし有効な反撃もできないまま文系学部が廃止されていくなら、所詮その程度の文系学部。
潰れてもしょうがないか。

岩手中2自殺事件 2

先の記述アップロード後もう少し調べてみると、担任は本人と相談していたし、手を出した生徒も指導していた。単に無関心を装っていたわけではない。でも自殺を止めることが出来なかった。

担任は、この件を「いじめ」と扱わなかった。公的にいじめと認知すれば、ある種のルールに則り管理職に報告し対処することになる。大事になる。担任の失策になる。それを避け1人で処理をしようとして失敗した。そう推察する。「いじめ」でないと思い続けていた、思い続けようとしていた。同僚にも相談を持ちかけたのだろうか。事実関係は不明。

何故こうなるか、先に書いた教員の孤立、個別管理の進行、相互協力関係の喪失が根本原因だと改めて思う。その結果、教員として身につけるべき「スキル」が失われた結果だ。

いじめは、最近現れた現象ではない。子供が集団を形成すれば必ず現れる。どのような時代にも、どのような国にも、子供集団のいじめはあるだろう。未熟な社会集団に現れる病理のようなもので、その治癒によって集団が一歩成長する。いじめの克服から、子供たちは他者を認識し社会性を向上させる。例えれば誰でも風邪を引くのと同じ事だ。放置すれば深刻ないじめに発展する人間関係の縺れは、未熟な子供たちの集団には常時発生する。これは誰の責任でもない。生徒の未熟さそのものが原因なのだから。風邪を引いたからといって、健康管理の責任を問いはしないのと同じだ。

そういういじめの「芽」を見つけ、生徒の人間関係を調整するのが、集団を管理する教員の仕事だ。これは、子供に集団で教育を施すようになって以来、だから日本で言えば「寺子屋」以来続いてきたこと。未熟な社会集団を管理し成長させる方法だ。そこには膨大な経験の蓄積があって、それを元にしながら教員はいじめを指導し集団を管理し、その経験がまた一つの情報として蓄積される。こうして貯えられた力量を教員集団の教育力というのだろう。

このblogでも再三触れたが、生徒の質は変動している。古典的な共同体倫理の感覚は表面上失われ、社会性も未熟。学校外に別の社会集団を持つことが少なくなった。一方電子機器を通じた新しい人間関係手段が広がる。これらも、ある日突然やって来たわけではない。全く未経験の世界に学校教育が放り込まれたのではない。一歩引いて眺めてみればゆっくりした地滑り的変容過程で、教員は新しい事態に対応しながら経験を蓄積し共有してきた。

別項でも書いたが、いじめに発展するようなトラブルを未然に防止し子供集団を成長に導くためにすべき指導はあって、これも大切だ。風邪ひかないように基礎体力を充実されるみたいに。でもどんなに体力があって、どんなに健康管理に気を遣っても運が悪ければ風邪をひく。同じように子供集団にいじめの種は現れる。風邪ひいたと思ったら、さっさと寝る。休む。無理して平静を装うと深刻な肺炎に至る。

ごく小さな種は、見つけたらすぐ潰す。関係者と集団全体に必要な対処をし、経過を見守る。腫瘍の摘出手術のようなもので、術後の経過観察は重要。それも周りの教員と相談を重ねながら、意見を拝聴しながら。少し種が大きくなると1人では対処できなくなる。同時に処理しなければならない指導と、情報が1人では抱えられなくなる。一晩で五軒家庭訪問などできない。1人で無理がわかれば、教員集団で話をしてこれは皆でやろうとなったら、何人かの教員がさっと立ち上がり必要な対処をこれで無事が相互に確認できるまでしてしまう。日常から、教員集団で生徒集団を指導しているから、生徒の側も集団として教員を見ている。指導を受け入れる素地がある。少々理想化すれば、かつては教員がこんな風に動いていた。だから「いじめ」が大事になる前に処理されるケースが多かった。

このケースでも、担任が「いじめ」と呼ぶかどうかは別に、経験ある同僚と相談し、トラブルの完全解決まで集団として動く事は可能だった。そういう集団形成が教員社会から失われつつある。教員自身が出来なければ、生徒に健全な集団形成を促すことなど出来るわけがないのだ。

岩手中2自殺事件

岩手県でいじめによる自殺が起きた。悲痛な出来事だ。(2015.7.5)今回の事件では、生徒が担任と交わした「生活記録ノート」が存在し、生徒の気持ちとそれに対する担任のコメントがつづられていた。これを父親がマスコミに公開したことで、マスコミは学校と担任の責任追及に動いている。もう当たり前になりつつあるが、当該中学校関係者のtwitterから担任名がネット上に流出し個人攻撃が繰り返されている。

普通どうするだろう。担任はこのような記述が最初に現れた時点で、「うちのクラスの生徒がこんな事書いてきた、どうしよう」と同僚と相談するだろう。特に経験あるベテラン教員に助言を受ける。即刻生徒を呼び出して事情を聞く。周辺生徒を個別に呼び出し情報収集する。担任団で協議し、更に学校全体で対応策を協議する。学校に来てもらうか家庭訪問して保護者と面談、事情を伝えて対策を検討。いじめに関与した生徒の調査、指導・・・。教員が集団で動かなければ、これらのことを早急に行うことはできない。いじめへの対処は難しい。被害生徒に今後の健全な学校生活を保障するために取らなければならない対応策は、微妙な配慮が必要であり状況に応じて千差万別。だからこそ教員間での情報共有と意思疎通は不可欠であるし、ベテラン教員の過去の経験がこういう場面で生かされる。こんなことは、「マニュアル」など無くても当たり前のことだ。普通に教員生活をおくっていれば否応なく身に付く、「スキル」である。のはずだった。それがそうならなかった所を考えるべきで、これは単に当該教員の能力や性格の問題ではない。

クラス担任は担任クラス内のトラブルをできれば隠蔽したいと考えている。これは、小中高問わず全国に広がる傾向ではないか。労働組合に象徴される教員間のつながりは失われ、管理職による、個別教員の管理が進行する。(学校評価・教員評価)クラス担任にとっては、「クラスの出来」は、自分の勤務評定。テスト平均は“他のクラスより”高い方がいい。遅刻欠席は“他のクラスより”少ない方がよい。トラブルは無いに越したことはない。クラスの中でいじめが起きれば担任のクラス運営能力にマイナス点がつく。生徒が多少辛い思いをしても、一年間表面上トラブルがなければその方がよい。更に、教員は大学に進学し教員免許を取得できた受験エリートであり、小さい頃から自分がテストの点で偏差値で評価されることに慣れきっている。教員の仕事を始めても、わかりやすい評価を求めて教員個別管理のシステムに自ら進んで組み込まれていく。こういう世界で教員は仕事をしている。

極端な場合をあげれば、自分の指導力は自分の評価を高めるためのみに使われ、その経験とノウハウは他教員に伝達されない。その方が自分1人が目立つ。自分と関係ない生徒のトラブルには口を挟まない。下手に関与して失敗すれば自分の評価を下げる。成功すれば自分ではない教員の評価が高まる。このような損なことはしない。そしてトラブルは出来る限り隠蔽される。業績が個人のものであると同時に、トラブルもまた個人の責任に帰せられるから。個別管理され、競争を煽られている集団で普通に働く心理だろう。こうして教育の質は低下し、ネオリベラリズムの時代、日本企業は生産性を下げる。企業でも同じことが起きていると思うのだが、如何であろうか。

自分のクラスのトラブルは「無い方がよい」。これはいつの間にか、「無いに違いない」「無いはずだ」という思い込みに転化する。今回公表された「生活記録ノート」の担任コメントはその感覚をよく表している。生徒の記述には、担任へのそれなりの信頼が感じられるだけに、今回の「ノート」は読むのが辛い。

このblogで私が再三繰り返して述べていることだが、学校は、生徒集団を教員集団が指導する場だ。クラス運営一つ取り上げても、担任1人でできるものではない。それは、指導の難しい生徒集団を前にし、学校の成立そのものが揺らぐような事態に追い込まれると実感できる。生徒よりも強い団結力を教員が誇示出来なければ、乗り切ることが出来ない。このような団結力は管理職が上から押しつけては出来ない。教員自らが互いの絆を結んで作るものだ。表面上生徒が沈静化し、教員の団結が求められるような緊急事態に遭遇することが少なくなった現在、学校の存立構造が教員自身にも見えにくくなっている。その裏で、教員の結束力が失われるのと並行して生徒指導の質も低下し続けている。今回のように問題が起きれば、管理の強化で対応しようとする。そして教育の質的低下は更に深く裏面で進行するだろう。この悪循環の途上。これが今回のいじめ事件について私の感想だ。

「クラスの出来」を競い合うのではなく、生徒集団全体の成長を教員集団全体で愛でる。教員集団の自己評価とする。教員の仕事をそういう評価システムに変換しない限り、今回のような事態は繰り返し発生するだろう。教員の個別評価などというつまらないことをやめることだ。一方、教員が自分の仕事を評価する仕方を自ら変更しなければならない。現行の学校教育で育った、若手教員がこのような価値観を何所で手に入れるか。

『日本の反知性主義』を読んで 3 

 全共闘後、何故その深い反省と新しい展望が言論の世界で生まれないのか。教員の仕事をしながらずっと疑問に思い、知的生活を本業としている人々に不満を持ってきた。当時の学生運動を経験た人たちのその後は、まちまちだ。よく言われるように、髪の毛切って真面目に授業に出て普通に企業や官公庁に就職した者は多い。でも、運動の理念を多少なり引き受け様々な社会に散っていった人々もまた多かった。そしてそのまま大学に残り、問題意識を抱えながら研究生活に入った学生も数多かった。今公立大学で丁度定年を迎える前後の研究者は、多かれ少なかれ全共闘と関わり影響を受けた世代のはずだ。前項でも書いた、近隣党派の殺し合い、党派内の粛正にまで至った運動がどれだけ深刻に振り返られたか。彼らはこの40年何をしてきた。
 考えてみれば、太平洋戦争後「私は間違っていました」と書いた知識人はどれだけいただろうか。大して多くない読書量の(恐らく普通の社会人程度の読書量)の私は、それを思い出すことができない。「非転向を貫いて」誇らしげに戦後民主主義を語り始めた人は多い。でも知識人の大半は戦前、多かれ少なかれ大日本帝国を賛美し同調する発言をしてきたはずだ。彼らの中に、自分の過ちを認め、何故誤ったのか自らを腑分けしようとした者はいたか。その上で、戦後がどうあるべきかを戦前からの連続性を踏まえて語ろうとした者がいたか。
 私が学生生活をおくったのは、「エピステーメー」なるわけのわからん雑誌がはやり始めた時代、1970年代中期だ。数学科教官の1人が、「日本語のあまりのわからなさに、げらげら笑いながら読むのがいい」と言っていた。全共闘運動を、運動と自らの関わりを振り返る代わりに、「フランス思想」の大量輸入が始まる。街では「an-an」「non-no」が流行、今から思えば、バブル崩壊までの「成長の時代」がやってくる。いつの間にか空気が変わってしまった。
 私たちが学生の時代、経済学部の学生は、近経(近代経済学)かマル経かまず選択することになった。多くの大学にマルクス主義経済学の講座があった。だが、ベルリンの壁崩壊以降、はっきりマル経を標榜している講座は殆ど無いと聞く。あれだけたくさんいたマル経の先生はどうしたのか。学術レベルでは色々言い訳はあっただろうが、広く社会に向けて「私はこのように間違っていた」と語った学者はどれだけいたのか。社会人やってる私の耳には聞こえてこない。
 自民党政権が、「太平洋戦争」を美化しようとしているのと同様、知識人も過去の過ちを見て見ぬふり、もしくは過去の言動を美化してきたのではないか。自民党が侵略戦争を「自虐史観」と呼ぶ。それを知識人は本当に批判できるのか、笑えるのか。かつて毛沢東を文化大革命を賛美した人はどこで何をしている。「全共闘」をノスタルジックに語るのは、大東亜共栄圏を賛美するのと大して変わらないではないか。
前の時代に「幸運にも」沈黙せざるを得なかった者(その中には若すぎてものが言えなかった者が多いのだけど)、傍観者だった者が次の時代を語る。もしくは過去の自分がまるでなかったかのようにして次の時代を語る。これではいつまでたっても私たちは前に進むことができない。流行にそって様々に場所を変えるだけだ。それが日本の「知的」風土であった。このような作風が省みられることなく、延々と続けられてきた。最近そう思うようになった。
 日本だけではないのかも知れない。ドイツでフランスでナチスに関わった知識人は戦後どうだったか。『日本戦後史論』で内田樹氏の語る所でも日本と大して変わらない。
「私はこう間違えていた」と語るのは難しいことなのだろう。でも本当のことは、その中にしかないのではなかろうか。知的営みが軽んじられ、「反知性主義」が跋扈する時代に知性がその信頼を回復する道があるとすれば、ここから語り始めなければならないのではないか。知識人の「戦後」の受け入れ方、「民主主義」の受け入れ方、「社会主義」の受け入れ方、「社会主義」の放棄のしかた。これらを振り返り、私たちの知的営みの根幹を築き直す必要がある。私たちは何を土台としてものを考えたらよいのだろう。『日本の反知性主義』を読んで、ここにも寄稿している白井聡氏の『永続敗戦論』を読み返してみた。歴史の節目で、日本の知識人はどう振舞って来たか考えてみる必要を改めて感じさせられた。
 「集団的自衛権」を巡る議論の中で「立憲主義」が改めて語られている。(2015.7.10)政治的手段として、現行憲法を持ち出すことは、ある得るだろう。しかし、憲法9条の前、1条から8条には天皇のことが書かれている。これをどう評価する。見て見ぬふりか、やばいから棚上げか。「集団的自衛権」の次は、憲法改定がやってくる。知識人が政権批判と現状維持しか語れずにいれば、「反知性主義」にこのままずるずると寄り切られてしまうだろう。それは知識人の責任なのだ。
豹変は、(ネットによれば)全文引用すれば、『君子豹変小人革面』だそうである。「豹変」とは「革面」とは異なり根本的に改めることだという。そう、知識人はちゃんと豹変すべきなのだ。根本的に改め、その理由を誠実に語る。私たちは日本の近代に本当の意味での「君子」を得ていないのではないかと憂慮する。

『日本の反知性主義』を読んで 2 自由競争の果て

 先に感想を書いて以来、考え込んでしまった。果たして私たちが「知性的」であった時代はあったのか。少なくとも「知性的」であろうとしてきたか。
 今から45年前、左翼の学生運動が盛り上がった時代があった。インターネットの記載によれば、1968.10.21 国際反戦デーは、集会参加者の集計が456万人(ウィキペディア)とある。一方で左翼内部では、共産党と新左翼の間で新左翼諸党派間で暴力的抗争が続く。翌1969年の内ゲバは警察が把握するだけで308件、死傷者は1145人、内2人死亡(昭和49年警察白書)。このような抗争を繰り返していた左翼に、支持者が400万人以上もいた。この運動が『知性の叛乱』(山本義隆)と呼ばれもしていたようだが、何所まで「知性的」であったのだろうか。最も政治的主張の近い者同士が最も鋭く対立し殺傷を繰り返すことの何所に「知性」が。
 当時の学生運動諸党派が、最低限の獲得目標であった「大学運営の民主化」を巡り妥協し運動を統一できていたら大学はどうなっていただろう。安保条約破棄を統一点に日本の左翼が妥協することができていたら、日本はどうなっていただろう。
 疑問点は何個かある。何故この時代の政治運動がこれだけ非合理なものでありながら、「反知性」とは呼ばれなかったのか。現在の反知性主義とは何所が異なるのか。当時の新左翼にとって、人民、第3世界、マルクス、レーニン、暴力革命は、無条件に価値あるものとされていた。マルクスやレーニンの書物は、例えばカントを読みながら考えるような読み方、テクストとして分析的に読み解くような読まれ方をしていなかった。むしろキリスト教徒が聖書を読むように、「聖典」として読まれていた。そして解釈の微妙な差異を巡り、左翼が四分五裂していく、これもキリスト教の諸団体と同じように。私は、全共闘世代から一歩遅れて大学生活をおくったが、この感じは学生間に色濃く残っていた。これは今の「反知性」と同じではないのか。
 また、この非合理性を当事者として「知性的に」分析する仕事が何故なされてこなかったのか。このことへの不満は前にも書いた。

 現代の「反知性主義」と1960年代左翼との差は、他者を媒介するかどうかにあるように思う。左翼思想はそれがどんなに過激なものであれ、少なくとも他者との共存共栄を究極の理念として成立していた。左翼思想は、他者とは何かを問うこと無しには成立しない。そこに少なくとも、「とりつく島」があった。当時の学生運動を経験した私より少し上の世代には、その体験から、深い哲学的な思索、文学的探求に入っていくものが数多くいた。我々より少し上の年代、学生は政治的であると同時に少なからず哲学的であり文学的だった。左翼運動の経験は、そういう思考を強いる。それは、左翼思想がその根幹で、自己と他者そして自然との相互関係を考察することを求めるからではないか。それは、相互に影響し合う「複雑系」であり、ある意味で何所まで深めても結論のでない世界だ。
 現代の「反知性主義」を主導するネオリベラリズムの根本は、競争原理の承認である。競争原理において、他者は登場しない。自分以外は単に対象に過ぎない。その論理は「線型」であり自己利益の最大化に向けての対象へ一方的働きかけ以外に考えることはない。対象の振る舞いは、自己利益を最大化するためにのみ考慮される。他者が登場しない以上、それによって逆規定される自己もない。単なる自分。現在共に生きる人間がそうであるように、過去の自分、未来の自分も単なる対象に過ぎない。他者が登場しない以上時間も登場しない。逆に、他者を顧慮せずに自己利益を最大化できると信ずるから、競争原理を承認得きる。これを「反知性主義」と呼ぶのではないだろうか。
卑近な例を挙げる。全国で大型ショッピングセンターの建設が進む。一つで地方小都市の全商店を含むような規模の建物ができあがる。大型駐車場がつき空調が完備され生活用品購入から娯楽施設までも含む。車で乗り付ければ家族連れで一日過ごせる。東京と同じ商品が同じ値段で手に入る。イオンモールが全国で地元商店街をなぎ倒す。どうなろうと知ったことではない。地元の商店街に配慮していたら、こんな進出はできない。現代の子供たちは、大規模店舗に地元商店が潰されていく過程を当たり前のこととして見つめることになる。弱肉強食は当たり前のことなのだ。そういう風に子供を育てるのは、実践する今の大人達だ。
 他の項で書いたことだが、90年代後半くらいに潮目が変わり始め、高校生のなかに左翼をひ弱なものと感じるものが増えてきた。電電公社、専売公社の解体が1985年、男女雇用機会均等法と労働者派遣法成立が86年、国鉄民営化が87年。好景気に隠れながらも1980年代から新自由主義施策は日本においても一歩ずつ着実に進められてきた。そして先の例にあげた大型商業施設の乱立は、2000年の大店法廃止によって始まった。こういうネオリベ施策の浸透と並行して「反知性主義」の芽が育ってきた様に感じる。
 他者を配慮に組み込み、他者との共存を模索することが現代の若者には「ひ弱な」ことに映る。少なくともそう感じるものが増えた。彼らにとって、他者を承認するよりも、自己都合を一方的に打ち出す方が力強く魅力的なのだ。
 恐ろしいのは、他の項でも繰り返し述べたように教育の現場にも様々な形で競争原理が導入され、全面的に肯定されようとしている現実だ。別項でも述べたが、大学間での学生奪い合いは、大型ショッピングセンターの地方進出と同じような様相を呈する。弱肉強食。高校、大学はもとより義務教育でも、公立と私学の間で生徒の奪い合いが進む。さらに自由選択制が象徴するように公立学校間ですら競争が煽られる。また、教員評価と称して教員間でも競争が強いられる。
 生徒間でも自由に競争することで、最大の教育効果が得られると信じられている。少なくともそう信ずる人々が1980年代から教育課程を改訂してきた。「ゆとり」は自由競争のためのスペースにすぎない。偏差値はまさにその象徴、学力を単純に数値で表現し集団の中での相対的な順位を示す。偏差値は、集団を1列に整列させる道具だ。
 こういう状況の中で、たてまえでなく本当の意味で、他者を教えることができるか。生徒は敏感だ。一方で競争を煽りながら他者との共存を口にしても、それが単なるきれい事に過ぎないことをすぐに見抜く。
実際には、競争原理のむなしさを感じ取りそこから離脱しようとする子供たちは予想外に多い。そもそも、競争によってふるい落とされる子供の他、教育の様々な段階で競争を主体的に降りる者がいる。その願望を抱えながら仕方なく競争集団に身を置いている子供もいる。迷いもなく本気で競争に身を投じている子供は実は少数派ではないか。長く教壇に立って感じる実感である。ところが、競争原理から離脱した、もしくは離脱しようとする子供たちの行く場所がない。そういう子供たちの思いに本当に応え形を与える場所がない。ここが、未来に向けた希望でもあり、また乗り越えるべき課題でもある。

1960年代末の学生運動も、あの形態以外新しい社会を切り開くための表現回路が存在しなかったからこそ、その矛盾を肌身に感じながら自ら隘路に落ち込んで行かざるを得なかった。それは遅れてきた世代として良くわかる。当時の日本の政治思想が到達した成熟度そのもの、当時の学生に先行する世代の「知性」が到達した限界点だった。今の若者の表現にもまた同様のことを思う。

 競争原理を越え、他者との共存を根底に据えた生き方を創造すること。次世代を担う若者に、本当の意味で「他者」を考える場を提供すること。それを表現できるような回路を共に切り開くこと。私たちの課題であると思っている。私も模索中。

日本の反知性主義 内田樹編」を読む

 そもそも高橋源一郎氏の朝日・論壇時評(15.03.26)がきっかけでこの書物を手にした。高橋氏の文章が面白く、この本にも期待した。アンソロジーでそれぞれ興味深く読むのだが、どうも食い足りない。隔靴掻痒。その感じを書く。
 余所でも書いたが教員を30余年しながら感じることは、徐々にではあるけれど高校生が「知性的」であることに魅力を感じなくなったことだ。大きく区切るなら1990年あたり、世界史的にはベルリンの壁崩壊以降あたりおからだろうか。私が中学・高校生であった頃、朝日ジャーナルを手にした友人がいてそれがすごくかっこよく見えた。(今振り返れば当人もカッコつけのためだけに持っていたのではないかと思う。)本屋の文庫本コーナーには、銀色カバーのカミュが必ず並んでいた。そういう気配が失われた。何故なのだろうとかんがえてきたのだけれど、どうもまだ納得がいかない。
 ある企業で自社製品が売れなくなって、ライバルの他社製品が売り上げを伸ばしたら、まず最初に何をするか。他社製品とそれを買う消費者を分析する前に、自社製品が何故売れないか省みるところから始めるべきではないか。それは一般に言われる大学の先生その他の「知識人」と呼ばれる方の大きな責任であるはずだ。興味ある事柄について、外国語を含む多量の文献に目を通し、同じ分野に興味を持つ人と必要とあれば海外まで出かけて討論を重ね・・。こんな事は他に仕事を持った普通の人間には出来ない。このような事を専業の仕事とする人たちが、近年どんな成果を上げてきたのか。自然科学はともかく、人文科学の分野で。ある種のいらだちを抱えて我々庶民は暮らしてきた。そのために税金を払い、子供の大学学費だってある種の献金のつもりで払ってきた。
 1970年から45年。テクノロジーの進歩は目覚ましい。70年代各大学に設置されていた大型コンピュータ(計算機センターに鎮座していた)を遥かに凌ぐ性能の電子計算機を各個人が胸ポケットに入れている時代が来た。その間に人文科学でどれだけの成果が出ただろう。海外の流行を追い、日本に紹介し、身内でその知識量の多寡を競う、いわゆる「××オタク」以上の仕事をした者がどれだけいるか。西欧の人文科学を日本に紹介するのが主な課題だったのは、明治時代だ。いつまでそのしっぽを引きずっているのか。大体、全共闘運動の後始末をきちっとつけた人間がどれだけいるか。(団塊の世代は近年国立大学定年を迎えた。)「知性的」であることが魅力を失っても当然ではないか。全共闘運動以降の知識人の在り方について、振り返ることから、「反知性主義」の考察を始めるべきではないのか。
 もう一点、「反知性主義」としてあらわれている言動で主なテーマとなるのが、民族・宗教という、そもそも「知性」が最も苦手とする分野であることだ。「領土が他国に取られる」と言われると、むずむずと血が騒ぐ。福島県で自らの過失で広大な土地を失っても割と平気。心の中で受け止める場所が異なる。ナショナリズムの問題を切開しないと「反知性主義」を語ることは出来ない、少なくともナショナリズムについて「知性的」に語ることの困難さを分析することから始めるべきではないだろうか。
 ベルリンの壁崩壊以降世界的に噴出した民族問題は、有効な解決手段を見いだせないまま、頻度を増している。グローバリズムに対応して西欧社会が打ち出した「多文化主義」の理念は、極右勢力の台頭とテロルの前に力を失ってはいないか。21世紀に入り「知性」がその無力をさらけ出してしまった。その無力さについて、もっと書いてほしかった。
 取り敢えずの感想。

東大・京大、高校別ランキング

 週刊朝日。情けない。何故天下の朝日新聞系列雑誌がこのような事をするか。しかも、新聞広告では特大見出し。朝日は教育問題について偉そうに論じる資格を自ら手放している。マスコミとは元々そのようなものだ、と言われればそれまでだが。
 『どの大学に入学できたか』がその人物の評価として大手を振るうことの愚かしさを、今さら論じるつもりはない。ここで書いておきたいのは、高校が、高校教員がこういう事に大きく縛られてしまうことの問題点である。ランキングを熱心に読むのは、保護者よりも高校教員ではないだろうか。高校受験生は、もっと詳細なデータをいくらでも手に入れられる。別項で書いたベネッセなど、生徒一人一人がどんな偏差値で高校に入り、どれだけの偏差値で高校を卒業し、どのような進路をとったか、詳細なデータを握っているのだから。その気になれば、高校入学者平均偏差値と3年間の偏差値推移を高校別に示すことが出来る。
 『中学生およびその保護者が高校を選ぶとき、その高校の大学合格実績が主要な指標になっている』と言う意識に、高校は集団意識として縛られている。2006年あたりから次々発覚したいわゆる「世界史未履修」はその象徴だろう。後期中等教育の教育目標を捨てても、合格実績の方が大事と考えて運営されている高校がどれだけ多いか、その一端を世間に晒した出来事だった。社会問題になったのは、氷山の一角。類似行為で肝を冷やした学校はまだまだ多数あるはずだ。
 近所の人や子供の友人の保護者等と接して感じる本音、親が高校教育に求めることがらは、はるかに多様だ。勿論進学実績も大きな指標だし、それしか頭にない親もいる。が、それはあくまで保護者の一部にすぎない。
 では何故、高校は、大学合格者実績にこれほど縛られるのか。それは、今の日本社会で高校の教育力を示すものとして共通に了解されているものが、これくらいしかないからだろう。高校教員がそれに縛られ、社会もそれに縛られる。人間形成、自由、友愛などは売りにならない、と多くの高校が信じている。現代社会を理解するための基礎教養であるはずの世界史を、履修したふりをして教えないなどということが、全国各地で起きているのだから。主体性、実行力、努力、忍耐、立身出世の手段や受験勉強の助けになるような「人間教育」は逆に進学実績と共に強くアピールされる。競争社会の勝者を育てます。短く言えばそういう教育理念がインターネット上の高校ホームページには溢れることになる。
 仮に乗用車が、各社ともその最高速度だけを宣伝材料に使い続ければ、車を買う方も、車選びの基準はスピードになってしまうだろう。快適性、安全性、便利性、経済性、保守性、堅牢さ、美しさ・・・など他の価値は忘れられる。ますます各社は最高速度を競う。
少子化が進み、高校はこれから入学生徒急減期を迎える。公立学校の広域学区制は全国に広がった。公立、私立全体での生徒争奪戦の時代だ。受験産業によって、高等学校は地域ごとに序列化され偏差値30から70まで詳細なランキング表がインターネット上に公表されている。高校毎に生徒の学力が輪切りされていく。ランキングが下がり、学習意欲の低い生徒が集まれば、それだけ学級崩壊、学校崩壊の危険性は高まる。授業内容よりも生徒管理に必要なエネルギーが多くなる。しっかり落ち着いて授業を聞いてくれる生徒の前で、授業をしたい。さらに、私学にとっては、生徒を安定的に確保することは経営上の死活問題。こうして高校教員は進学実績向上に走る。そして、ランキングを上げるには進学実績を上げる他ない、との思いに多くの高校が縛られている。それ以外の方法を見いだせなくなっている。
 これはある種のサービス競争だ。授業時間、補習時間、勉強合宿、模擬試験は多い方がよい。太平洋戦争当時の日本と同様、冷静な判断より勇ましい議論が勝つ。こうして高校教員は、自ら際限ない過重労働の道を歩む。
学習の動機付けも、「入試に必要」の一辺倒になり、教える教員も何故高校生に今これを教えているのかわからなくなる。生徒も今何故勉強しているのか、「受験」以外の理由を思いつかない。冗談ではない。世界史未履修事件はまさにそれを教えている。受験科目以外の教科は、評定平均を良くして、推薦入試、AO入試に有利にすることが唯一の動機付けになる。
 全ての高校がそうではない事もわかる。ランキング表の上位に常に顔を出す「名門校」の中には、それこそリベラルアーツの理念に基づく「理想的な?」教育を行っているところがある。「受験に関係ない」こともしっかり教える。米国のプレップスクールのように大学で伸びる生徒を育てる。学校では教養と基礎学力を高め、受験技術は塾・予備校。とりたてて競争しなくても、他の学校が激しく競争すればするほど、自然に「優秀な」生徒が集まる。そういう学校もある。
 一方、4年大学制進学者は高校生の約半分、更に、それなりの受験勉強を必要とする、つまり週刊朝日に名前を出すような「難関」大学は、偏差値55以上と見て正規分布表から概算すれば、全体の約3割。ランキング表に関わるような進路選択をする生徒は、大きく見積もっても全高校生の20パーセント以下だろう。逆に中学卒業程度の学力があれば入れる大学も沢山ある。「受験」が学習動機付けにならない生徒を相手に、熱心な教育活動を行っている高校は数多く存在する。それらの学校にどうやって光が当たるか。
 人間にとって最良の行動は、競争から生まれる。教育の効率を上げるには、競争原理を持ち込めばよい。この偏狭なネオリベラリズム教育観により、英国サッチャー政権・米国ブッシュ政権がとった方針を、数十年の遅れを伴って日本は追従している。学校間で競争を煽られ、教員間で競争を煽られる。学校間の、教員間の横のつながりは分断される。そのお先棒を担ぎ競争を煽るような真似はやめてほしい。
 全国の高校で、大学で、偏差値とは関係なく良質な熱意溢れる教育を行っている所は、いくらでもある。現に、私の子供は週刊朝日ランキングから無縁な大学で、素晴らしい指導教官に出会い大きく成長した。マスコミ本来の役割は、偏差値に象徴される一元化した教育観を相対化し、教育の多様性に読者の目を開かせる所にあるはずだ。週刊誌もまた、過酷な部数競争に晒され、良心などかなぐり捨てて読者の劣情に迎合しなくては売り上げが伸びない、のですか。

格差社会論と Noblesse oblige

 小泉政権後、格差社会なる言葉が定着した。それまであまり使われなかった言葉だと思う。一言で言えば新自由主義の当然予想されるべき帰結。以来様々な論説が飛び交い、社会のあらゆる分野について事細かに論じられてきた。これに私ごときが付け加える余地はないだろう。
 ただ一つ、私が常に不満に思うことがある。それはこの問題に限り、誰もが国内問題として論じることだ。国際的視野を欠いた貧困解消運動が、最終的にどういう形で収斂していくか苦い経験をして70年。格差の問題に限り敢えて国際的視野から目を塞ぎ、国内問題として論じるのは、別項で書いた「反知性」的な行為ではないだろうか。
 一人あたり国民所得が日本より低い国が圧倒的多数であり、識字率が50パーセントに満たない国も数多く存在する。それを踏まえて、国内の格差を論じる事が難しいのは確かだ。「日本人は贅沢している。もっと恵まれない人々が海外にはいるのだから我慢しろ」と言われておしまいの所がある。でも、そこに踏み込まなければ、格差を論じた事にならないと思うのだ。
 自由競争の全面肯定は、
  『競争で得た社会的地位や経済的利益は、
   当事者が独占しかつ競争のために再利用して良い』
という行動規範・倫理規範の肯定である。この規範を否定しない限り、格差について論じることは出来ない。そこで、日本の現在の国際的地位をかんがえてみればよい。国際的な格差を肯定しなければ、今の日本経済は成立しない。世界中の国が日本と同じ割合で資源エネルギーを消費したら、地球環境はあと何年維持できるか。 
 話は変わる
Noblesse oblige
the idea that people who have high social rank or wealth should be helpful and generous to people of lower rank or to people who are poor(Merriam-Webster Dictionary)
新自由主義的競争から脱却するための一つのキーワードだろうとかんがえ、在職中から生徒へ語りかけてきた言葉である。どのような社会にも職業分担はある。これは避けられない。社会主義国にも「共産党幹部」もいれば肉体労働者もいる。社会を多少なり健全に運営するために貴族社会で生まれた言葉であると聞く。悪くいえば封建制度の矛盾を隠蔽するためのごまかし。だが、ネオリベラリズムに対抗する一つの規範として、新たに考え直すべき時が来たと思う。
(アニメ「東のエデン」で使われていた?らしい。)
特に高等教育の中で、Noblesse oblige を教えかんがえさせること、高等教育がそのような規範を共有することが必要な時代が来ていると思う。大学は、しっかりとエリート教育をすべきだ。
 その上で、冨に恵まれた日本は国際社会でどう振る舞うべきかかんがえたい。資源争奪戦争を回避するために。

体罰を巡って(1)

 また『体罰事件』(和歌山2015/03/17)が報道されている。この事件と報道について感じることを書く。
 この事件、体罰ではない。教員の生徒に対する暴行事件だ。何故こうなるまで、同じ学校の同僚教員が放置していたのかわからない。また、何故そのことをマスコミは指摘しないのだろうか。
教育行為の逸脱、暴走に具体的な歯止めをかけられるのは、周囲の状況を含めた行為の全体を把握できる同僚教員以外にない。このような問題になる前に、
 「教育行為として不適切だからやめろ」
と制動が周囲からかかって当然。2012年12月、話題になった大阪の高校での生徒自殺事件でもそうだ。暴力行為がエスカレートする前に指導が改善されて当たり前、学校の教員集団の基本的問題だろう。
 『体罰』の定義は難しい。肉体的な苦痛を伴う教育行為を体罰とするなら、長時間の説教も、ペナルティの窓拭きも皆体罰だ。生徒との肉体的接触を体罰というなら、教室で教員の指導に従わず妨害を繰り返す生徒を教室から連れ出すことも出来なくなる。確かに行政配布のマニュアルには一応分類がある。だが、教員にその区別がついているだけでは不十分で、生徒と教員の相互了解が必要な事柄だから難しい。生徒が、「こういう指導をされても仕方がない事だ」と了解しているから、指導が成り立つ。この了解を集団的に形成するために、教員集団は時として膨大な精力を費やす。こうして学校は成り立っている。行政による体罰禁止の再確認とこれを巡るマスコミ報道は、この了解を一気に崩してしまった。
 私は『体罰』の一律禁止に反対である。教育的行為として意味のある体罰も、学校教育を維持するためどうしても必要な体罰もあり得ると思っている。たとえば、忘れ物をして、頭をコツンとやられることと濡れ雑巾で顔をなでるような説教をされることと、どちらが適切か。生徒だってわざと忘れたわけではない、悪いことをしたことは十分承知している(場合が多い)。今度忘れたらまた「頭コツン」やられるぞ、気をつけよう。それでよいではないか。少なくともかつてはそうであった。
 ただ、体罰は不適切な指導となりうる危険が非常に高い。その運用に慎重な判断、教員としての熟練が必要なことは充分わかる。社会的事件となった、前記のような行為は勿論不適切なもので学校教育の場で許されることではない。
 一方、体罰を伴わないが不適切な教育行為はいくらでもあり得る。そもそも、教育行為の適切性の判断は学校と教員と生徒の織りなす状況による総合的なもので、簡単にまとめられるようなものでない。局面だけ取り出せば同じ行為が、時として極めて不適切であったり、生徒から一生感謝されたりする。不適切な教育行為をマニュアル化したら、辞書程もあって誰も読む気にならないような文書ができあがるだろう。だからこそその判断は、学校とそれを構成する教員集団に基本的には委ねられている。逆に、これができるのは、状況を共有し得る同じ学校の教員集団しかない。教員集団がその力を失い、教育行為の適切性の判断が管理職や行政に移行すれば、学校教育は硬直し 臨機応変な対応力を失い最終的に教育力を喪失してゆくだろう。
 教員と生徒の関係はある意味で絶対的なもので、生徒は教員の指示に従う。その上教員は、生徒の成績評価、進路先への推薦状、クラブ顧問なら対外試合の選手選択権など生徒の一生を大きく左右する権力を持っている。また生徒の家庭環境の細部、抱えている悩みなどの心理的細部など、他の社会的関係ではあり得ない情報を手にすることが出来る。生徒は教員の前で、医者の前で裸になったる患者のように無防備だ。教員が自制を失えば、教育行為を逸脱する危険は常にある。繰り返すが、大変危険な関係だ。教員と生徒との関係性そのものが、教員の嗜虐的傾向を誘発し助長する。暴行事件と同様に後を絶たない教員の生徒に対する性的虐待も、このような関係性そのものがはらむ危険の一つだ。教員誰もが生徒を前に手にした絶対的権力の持つ危険性を意識する必要がある。誰にでも暴走の可能性はある。そして、教員が孤立すればするほどこれらの陥穽に落ち込む危険度は増大する。その意味で、教員は常に集団性を維持しなければならないし、教育は集団的営為でなくてはならない。
 そもそも、学校教員は採用されればすぐ教壇に立つ。これは大変に無理なことで、私の体験や周囲の同僚から見てもおよそ十年は見習い期間。学生時代の教育実習や採用されてからの新人研修も知識体験のほんの一部をなすに過ぎない。教育行為とは何かを教員は現場で学ぶ。その教員がどれだけ成熟できるかは、「見習い期間」にどれだけ優秀な先輩教員の集団に囲まれているかにかかっている。同じ生徒集団を対象に教育行為を共にして初めて成立する相互批判、研鑽、学習がある。私もそうやって育ててもらった。そういう集団性があれば、先のような「暴力事件」が起き社会問題になるようなことはあり得ないと思う。そして新人教員が今の学校社会の中で成熟する機会が本当にあるのか、そのことを最も危惧する。
 このような教育行為の逸脱に、法規で、その運用強化で対応することに反対する。教員の管理強化が進めば、教員は孤立する。「教員評価」が進めば個人的実績作りが教員にとっての最大の関心事になる。同僚への「助言」よりも、上司への「報告」が優先される。逆に「助言」は他の教員によって曲解され誤った情報として「報告」されてしまう危険を伴う。もっと恐ろしい想像をするなら、同僚の「不祥事」は自分の「出世」の機会かも知れない。このようにして教員の孤立化が進めば教育は硬直化し柔軟な対応を失うだろう。教員が教員として成熟する機会も失われていくだろう。そして不祥事はむしろ増大するのではないか。
 教員による生徒への暴行事件は、教員の孤立、教員の集団性喪失が生み出している。

体罰を巡って(2)

 昔オランダのある子供が堤防を歩いていて、小さな漏水を発見した。その子供は付近を大人が通りかかるまでずっと堤防の穴に指を差しこんで漏水を押さえ続けた。・・・妙に印象的な話で覚えている。放置しておくと堤防の穴はすぐ拡大し、堤防全体の崩壊につながる。子供はそのことを知っていた。
 学校での秩序管理はそれに似ている。生徒一人の身勝手な行動を見逃せば、やがて授業が成立しなくなる、拡大すれば生徒全体の指導が困難になる。その恐怖と背中あわせで教員は仕事をしている。ある意味でサーカスの猛獣使いに似て、常に緊張を強いられている。生徒が授業を壊すのは、簡単だ。示し合わせた数名の生徒が教員の指示に従わなければいい。スマホをいじり続ける、私語をやめない、席に着かない、勝手に教室から出て行く。教員一人では対処できない。教員の体格がどんなによかろうが力が強かろうが、複数名仲間がいれば平気だ。体罰は禁止されている。教員室に連れ出されそうになったら徹底的に抵抗する。この先には様々なストーリー展開の可能性があるが、最悪のケースは公権力の導入つまり警察による決着だろう。現に米国の高校では拳銃を携帯する警察官が常駐している。
 1980年代のいわゆる校内暴力は一応沈静化したが
平成 24 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について
あたりを見る限り、生徒の学校内での暴力事件は決して減少していない。(統計のとり方が異なり単純比較できないが)管理困難な生徒を抱えた学校の話は聞こえてくる。中学生から自分の学校でまともな授業が成立していないことに対する不満を聞いたこともある。学級崩壊、学校崩壊まで行かなくても、満足に成立していない授業を抱える、中学・高校は結構多いのではないか。
 『学校内では生徒は教員の指示にしたがう』このルールの承認によって学校は成り立つ。教員が偉いからではない。サッカーの審判と同様、システムを成立させるための役割分担だ。どんなに素晴らしい授業でも、生徒が先生の話に耳を傾けなければ始まらない。1980年代以降、この体制は、生徒にとって先験的自明なものでなくなった。だから、教員は可能な限りの努力を持ってこの体制維持のため働いてきた。教員集団の団結に綻びが見えれば、生徒に必ずそこをつかれる。生徒集団より強い結束力を維持しその結束を生徒に誇示することが第一条件だ。当然ながらそこには最終的な体罰の可能性も含まれている。学校の秩序を維持するため、敢えて嫌われ役を演じ生徒を威圧する教員がいて学校が成り立っている場合も少なくないはずだ。逆に体罰だけで学校を維持することも出来ない。教員集団による様々な教育行為と生徒管理技術の積み重ねの手段の一つとして、体罰も用いられてきた。
 日常的に体罰が行われているわけではない。最終的な体罰の可能性を生徒が承認し生徒自身の行動を抑制して、ただのおっさんを教員と認め指示に従うきっかけになっていればよい。教員の指示に従う事は、生徒の自尊心を大いに傷つける場合がある。そういう生徒がいる。そのときの言い訳として機能することが必要なのだ。門限を守るために家に帰るとき、「親に殴られる」という言い訳が出来ると、周囲の友人も認めてくれるし自分も納得できたりする。体罰はこういう機能をする。
 このような学校運営は恐怖政治と思われるかも知れない。しかし、どのような体制にもその体制を維持するための最終手段としての暴力装置はある。どんな平和な国にも警察官がいる。監獄はある。時として死刑を執行する。街の随所に交番があっても、誰も恐怖政治だとは言わない。逆に民衆が警察官の指示に従わなくなったとき、国家は崩壊する。
 大阪の高校での「体罰」「自殺」が問題になったとき、「会社では上司が部下に体罰を与えたりしない」と言った評論家がいた。会社では、社員は給料をもらうため働いていて、減給、降格、免職等強力な権力を上司が握っている。体罰のような面倒なことをするまでもない。だから、生徒に給料を払っている警察学校は厳格な規則と過酷な訓練で有名だ。
 今まで、学校の秩序維持は、各学校の裁量に委ねられ、最終手段としての体罰も暗黙のうちに承認されてきた。(そのような事実は全く知らなかったと言える人がいるだろうか。)その裁量権の運用は地域により生徒の質により様々だろう。少なくとも、教員集団による学校の秩序維持努力が地域、数学する生徒の保護者から承認され学校が成り立っていた。教員集団に対する保護者の信頼があった。同時に、教員集団はそれだけの質と結束力を維持しなければならなかった。
 体罰の一律禁止は、学校秩序を維持する機能を学校から取り上げることになりかねない。生徒管理は柔軟性、即決性を失い硬直化するだろう。いくら行政が制度を整えても、困難校は増加していくと思う。
 このような事態が進めば、義務教育から私学を選択する家庭が増え、公立学校はますます荒廃する。一部地域では、公立学校の自由選択制が始まっている。公立学校自体に格差が生まれる。恵まれた家庭に育ち、そのような家庭出身の友人に囲まれて育った子供が、大学の教員養成コースでも増加するだろう。彼らが学校教員として現場に立てば途方に暮れることだろう。
 改めての体罰の禁止は、行政と管理職による教員管理進行の一つの現れと解釈している。そして教育行為が集団性を喪失し教員が孤立することが、事態の悪化に拍車をかける。この悪循環をどうしたものだろう。