学校は尊敬されていた?

「完全に市民社会化された家庭では、明治から昭和三〇年代まではあまねくあった学校や教師への尊敬や信頼は、もはや存在していない。」(諏訪哲二 学校のモンスター中公新書ラクレ2007 p104)プロ教師の会をリードし多くの著作を残してきた有名教師の言葉である。実感としてよくわかる。実にその通りなのだ。しかし、学校制度を巡る著作でこれが結論だとすれば、私たちはどこにもたどり着くことができない。逆にこれが、かんがえの出発点なのだと思う。私は、彼がこういう発言をするところに現在の問題点の核心があるのではないかと思っている。
 「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」?。この文章自体がおかしい。もう少し分析的に述べるべきなのだ。尊敬、信頼は本来無条件にあるものではない。人は自分で判断し尊敬しうるものを尊敬し、軽蔑するべきものは軽蔑する。私の過去を振り返っても、尊敬できる先生もいたが、とても信頼できない先生もいた。尊敬や信頼は個別の関係の中で個別に築かれるものである。それが「あまねくあった」つまり広く殆どの学校と殆どの教師が無条件に尊敬され信頼されていたとすれば、それはもはや現代的な意味での尊敬や信頼ではなく、そういう規範に全ての家庭がが縛られていたと言わなくてはいけない。それは「お盆には家に先祖のたましいを迎え入れ、敬うべきである。」という意味での尊敬と同じ事だ。同書で諏訪は1960年代までの教育が成り立たないことを繰り返し嘆いているが、当たり前である。学校は「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」を利用し、それに依存して成立していたのだから。過去を懐かしがり、現代の学校が抱える問題点を論じるならまず、「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」がどのようなものであるのか、それと制度としての学校がどのように利用していたのか振り返ってみなくてはいけない。その上で、「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」を失った現在、「学校」が成り立つのか、成り立つとすればどのようにして「学校」が運営されるべきなのか考えるのが筋であろう。
 バブルの頃から、生徒の質が変わり指導困難を訴えるベテラン教師が多いという報告を様々な場面で聞くようになった。諏訪とて同じ事ではないか。かつて教員は「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」を利用しそれに同期して仕事をしていた。問題は、そのことにどれだけ自覚的かどうかだ。今、そのことをしっかり自覚することからかんがえを進めるべきなのだ。
「あまねくあった学校や教師への尊敬や信頼」はどこから来たか。近代国家として学校制度を導入するにあたって日本ほど楽をした国は少ないのではないだろうか。義務教育の必要性を訴え、各家庭の子供達を労働から切り離して学校に通学させるように指導する、そういう努力を明治政府は殆どしないで済んだ、戦後政府もしていない。子供は「読み書き算盤」を最低限身につけるべきだという認識は江戸時代後期既に広く行き渡っっていた。開国で日本を訪れた西欧人は農民の知的水準の高さに驚嘆する。戯作本がはやり、庶民に向けた出版文化が形成されていた。推計では19世紀半ばの識字率は世界最高といわれる。学制が施行されると聞くや、各村内、町内では共同体のシンボルとして一等地にできる限りの設備を持った学校を建設していく。そういう経緯からして、私たちは「学校への尊敬や信頼」をとおく江戸時代から引きずってきたと考えるのが自然だろう。もちろん明治政府はそれを大いに利用し強化し、「立身出世」の競争原理を持ち込んでくるわけだが。 江戸時代後期全国に広く普及した寺子屋で標準のテキストとして使われていたのは儒教。儒教自身が学問の大切さを繰り返し述べた書物でるから、教育の重要性は再強化する形で次世代に引き継がれていた。私は、「学校への尊敬や信頼」は、日本の農村共同体の規範、それを理論的に補強する役割を果たした儒学特に朱子学あたりにその根があるのではないか。
 そして、ここにはもう一つの問題点がある。封建時代に教育があまりにも普及していたため、近代社会にとって学校とは何か、教育とはなにか、改めてかんがえ議論する機会を私たちは持たずにやってきてしまった。「教育基本法 前文」とか言う人もいるかも知れない。しかし前述のように各家庭を訪問し「・・・・だからお子さんを学校に行かせなくてはいけない」と各家庭を説得してまわるような事を、近代国家建設以来殆どしていない。「現代社会にとって学校とはなにか」改めて問われたとき国民の大半が最低限共通に語れるようなものを持たずに私たちはここまで来てしまった。極端な言い方をすれば、無条件の「学校への尊敬や信頼」が崩壊したとき、後に何が残っているのか。私たちは初めて気付いたのだ。

タブレット普及への懸念

既に、PCの普及で学校には電子メディアが深く浸透している。小学生がインターネットで調べ物をし、プロジェクターを使ってプレゼンするのは当たり前になっている。生徒がPC室に移動して学習するスタイルだ。これまでは、一人一台機器を所有するまでにはならなかった。一部の私立学校でノートPCを全員所有したりしているようだが。タブレットの登場で言われているのは一人一台の所有で、これは、教育に新しい事態を招く。全員の所有を前提にすれば、、宿題の配布、動画配信による予習授業など、電子メディアへの依存を飛躍的に高めることになる。生徒への全員配布は新聞報道にもあるように一部自治体で始まっている。そこで私が感じる懸念について列挙してみる。

◇電子メディアによる教育の壮大な実験
教育の何所までを電子メディアに依存できるか。その目安は未知である。教員が黒板(白板)に手書き文字を書いてみせるのをやめたら、どうなるか。紙の教科書を廃止したら生徒にどういう影響を与えるか。動画配信による授業はどのような結果をもたらすか。子供たちが電子メディアに大きく依存して教育を受けると、結果がどうなるのか、私たちは知らない。やったことがないのだから。
 私自身、仕事でPCを使い始めたのは大学を卒業してからだ。(そのころ「8ビットマイコン」が売り出され、従来大型計算機センターに持ち込むような処理を机上で処理できることに感激した。)従来の媒体で教育を受け体験を積み、その上で電子媒体に移行した。以来35年以上PCを使い、それに深く依存しているけれど、基礎となっているのは、紙・手書き文字・肉声・肉体の世界での体験だ。これが、大きく失われたときどんな結果を招くか想像がつかない。
現時点での我々の文化はそうやって創られてきた。我々の文化は、我々の肉体に規定されて生み出された。その基本である言語がそうであるように。母親の話しかけだけで人間は言語を獲得しうる。それをどこまで電子メディアが代行しうるか。
 我々自身あくまで肉体的な存在であり続ける。食事をし、排泄して生きている。生殖行為により母親の肉体から生まれ、老化して死に至る。ネットワークの中に電子データとして意識が存在するのはSFの世界。テレビ電話では孤独は癒されない。肉体的な他者の直接存在を前にして人間は初めて心を落ち着かせる。
 本来、実験校での様々な試み、研究授業、研究発表を経て、可能性や一般化できる事柄を見極めるべきだろう。これには随分の時間がかかるはずだ。恐らく十年単位の。その猶予があるのだろうか。安易な電子メディアの普及は、日本の教育全体を壮大な実験場にしかねない。失敗し後戻りできなくなったらどうするのだろう。電子メディアでの教育は、同時にそれしか知らない教員を排出し続けるのだから。高校生は4年たつと教員になる。
 急速に電子メディアが浸透したとき、格差の拡大を最も懸念する。文化の本質的肉体性を学校=公教育以外の場で獲得しうる子供とそうでない子供に、現在以上の深刻な格差が生まれるだろう。現状の格差も基本はこのことに由来していると思っている。それが更に拡大するだろう。
そもそも、現在の集団授業を基本とした公教育自身、近代国家の構成員を効率よく生み出すために作り出された歴史の浅いシステムで、その見直しが迫られている時だ。20世紀の教育スタイルを見直し、ゆっくりと21世紀の教育スタイルを模索する。そういう余裕がほしい。

◇インターネット依存
これは、既に議論されている。生徒にタブレットを配布することはインターネットの世界を公認し導き入れる事になる。ネット上のSNS依存が子供たちをどう育てるか。結果の見えない実験は既に始まっている。これについては、多くの発言があるからここでは言わない。
単純に考えても授業中全員タブレットを出してネットワークに接続していたら、全員が授業に集中しているか監視する必要が出てくる。簡単に画面の半分でインターネット見たり、漫画読んだり、メッセージ交換できたりする。監視プログラムを走らせ、余計なアプリ開いていると教員が探知するシステムは可能だろう。でも監視プログラムを誤魔化すアプリだって開発可能なのだ。
 そこで思い出した。大学入試課の先生、中途半端な時間にネット上で合格発表するのやめて下さい。生徒が授業中に奇声を発する事があるのですよ。全国の高校が昼休みをとっている時間、もしくは放課後。理想を言えば、土曜日か日曜日にして下さい。

◇産業界の圧力
これまでもそうだったのだけれど、教育機器の浸透は、教育の内的必然によるものよりも産業界の圧力である場合が多い。教育課程への「情報教育」の組み込みがそうであったように。そして、教育の側からブレーキをかける手段が殆ど無い。誰ができるのだ。

◇ソフトの開発と値段
タブレットは夢のような機械に見える。が、それはその機能を生かすアプリケーションソフトがあってのこと。PCによる教育を行うにあたって私が在職中一番苦労をし挫折を経験したのは、LAN環境でのPCの機能を生かした良質な教育ソフトがないことだった。
そもそもソフトの開発には大変な手間がかかる。よく売れるゲームソフトなどは、優秀なプログラマー数十人が数年かけて作るといわれる。逆にこれくらいの手間暇かけなければ良質のソフトは作れない。開発費用は数十億円にもなる。百万本といった売り上げを期待できるから、この開発費が注入できる。Windwsともなれば、たとえばVistaで開発費用は5年で7500億円というデータが上がっている。一本2万で売っても億単位で世界中で売れるから成り立つことなのだ。(こういう規模でないとOSが開発できないことも、深刻な問題なのだが。)
 需要の少ないソフトはには良質な物が少ない、良質な物は大変高額になる。大量の需要が見込まれなければ良質なソフトは提供されない。コンピュータのソフトは価格の殆ど全てを開発費用が占める大変特殊な工業製品だ。したがって、私たちが良質な教育ソフトを手にするには、高額の費用をきちっと払う覚悟が必要なのだが今の学校にはこの認識がない。
コンピュータには値段がついているから予算化しやすいのだが、これを運用するソフトにはハード以上の値段がかかるのが普通であるという認識は学校社会になかなか育たない。ソフトにどれだけの費用がかかるかについての共通認識がない。問題集1冊千円で生徒に購入させたとき、それによって得られる効果は経験からおよそ想像がつく。しかし、教育ソフト購入して生徒に向かわせたとき何が得られるか、経験が乏しいから想像がつかない。前述のように壮大な実験がこれから始まる所なのだ。費用対効果を何所で誰が算出するのだろう。
 更に、教育の世界は著作権意識が大変乏しい。最近入試問題についてはうるさくなってきたけど、普通教育目的の使用の場合、文学作品に著作権費用は発生しない。(と思われている。私も正確に知らない。)恐らくその発想を勝手に拡大したものだと思うのだけれど、学校には問題集、参考書の違法コピーが溢れている。採用見本として持ってきた問題集を適当にコピーして自分のプリントを作るなどということが、比較的平気で行われている。さらに、ソフトやデータの違法コピーが同じ感覚で行われている。だから、最初から市場が狭い上に、著作権侵害が横行するために教育ソフトは売れない。
教育ソフトの開発には、経験とコンピュータの可能性について洞察力を持った現役の教員とその意向を実現するプログラマーの時間をかけた共同作業が必要なはずだ。小、中、高等学校それぞれ違うだろうし、各教科指導用、一般のシステム構築用、などかなりの種類にのぼるはずだ。これらの提供を一般の企業に委ねたとき、企業の採算が取れてなおかつ各学校や保護者が負担可能な額でソフトが提供される保障はあるだろうか。タブレットは電子書籍+電子辞書以上には使われず、あとはインターネット参照のオモチャを無償提供するに終わるような気もする。

◇教員の仕事
「ソフトは教員が作ればよい。」PCが普及し始めた頃そう思う者は多かったし、自分の興味関心からソフト開発をする教員も多かった。実際、やればかなりのことができる。成績処理システムを自作した学校は結構多かったようだ。(これらの学校では今開発した教員が定年退職を迎え慌てることになる。素人の作るシステムだ。維持管理と更新が本人にしかできない場合が多い。)学校の先生が作られた良質な教育向けフリーソフトも数多く存在する。また、LANが普及すればその維持管理も教員がやろうと思えばやれない仕事ではない。でも、次の例で考えてほしい。
「下駄箱は教員でも作れる」「校舎の雨漏りは教員でも直せる。」実際、私でも技術家庭の実習室にこもれば、結構よい下駄箱を作る自信はある。既成の物より生徒の使いやすい工夫を凝らした下駄箱だって作れるだろう。でも、教員にそんなこと依頼する者はいない。教員の仕事でないからだ。
コンピュータ関連の仕事については、何所までが教員のかかわるべき事で、どこから専門家に委ねるべきなのか、共通認識がない。下駄箱のような。実際の線引きも難しい。思うようにシステムを運用するのに、自分でやった方が早くて安い場合だっていくらもある。このことが、コンピュータに関して知識のある一部の教員に過重な負担をかける。場合によってはかなり極端な負担となっているのだが、周囲からはなかなかそれが見えない。また、困難な生徒指導から逃れるようにして、進んでコンピュータ関連の仕事に打ち込む教員が現れることもある。このことも、ソフトウエアのコストに関する認識を遅らせる要因の一つになっている。
このような現状で、タブレット端末が普及したとき、一部の教員に更にひどい負担をかけることになりはしないか危惧する。
 いくらできると言っても所詮素人。学校教員の作るソフトは、日曜大工で作る犬小屋程度と思った方がよい。(よくできた立派な犬小屋だってあるのだけれど。)長年安心して住める家は、プロにしか建てられない。

私は、教育の一部にコンピュータを用いることに賛成である。プロジェクター使って図表を生徒に示すことは随分してきた。手書きではとても追いつかない、関数の振る舞いを表現できる。また、ある種の学習ソフトが、学習の遅れた生徒の基礎トレーニングに大変有効であることもわかっている。機械の前なら間違えても恥ずかしくない。先述のようにタブレットがこれまでにない可能性を開くこともわかる。いかし、所詮道具だ。教育の、文化の肉体性を再認識し、機械の限界を見極め補助道具として賢く使用できたらと願う。

生徒の変容 共同体意識の喪失

 30年余り教員を続けて感じる生徒の質的変化はまず共同体意識の喪失である。日本人の意識の根底には、農村共同体の規範が強く根付きこれが日本人の人間関係の作り方を根本で支えていると考えられる。明治の初めまで人口の9割は農民で紆余曲折を経ながらも約二千年間定住し共同作業で米を作ってきた。 ここで作られた人間関係の距離感、規範が日本人の意識、文化の根底をなしているはずだ
明治以降村落共同体は徐々に解体していく。農業人口は減少し質的にも変容していく。あくまで緩やかな連続的変化として。今でも山村に都会から移住した人の苦労としてまずあげられるのが、その土地の習慣になじむことであるように、共同体の掟に強く縛られて生きている人は数多くいる。
実体としての共同体が解体しても、意識は生き続ける。時間的なかなりのずれを持って共同体意識も変容、希薄化していく。1960年代の末、盛んであった学生運動はその意識の崩壊過程を象徴する出来事だった。ベトナム反戦運動を基軸とした世界的な現象であったと同時に、日本の学生運動はその中身としては、実体としての共同体が解体し行き場を失った意識の噴出であったと思う。新左翼諸党派の人間関係の作り方はまさに村落共同体のそれとよく似ていて、党派間の争いはヤクザのそれとほとんど変わらなかたった。実際学生運動の興隆とヤクザ映画のそれはほぼ同期していたし、当時の学生はヤクザ映画が大好きだった。学生運動への参加のモチーフ、倫理も共同体の倫理そのもので当時流行の実存哲学などに根拠を求めようとしてもそこに自分を根底から突き動かすものの実体を説明できなかっただろうと思う
あるテレビ番組で福井県のある農村に建っている庄屋さんの石像を紹介していた。農民を代表してある庄屋さんが殿様に年貢の軽減を申し出た。殿様は「おまえの首と引き替えなら認める」と答え、庄屋さんはそれを呑んで打ち首となり、殿様も約束を守った。こういう話しに日本人は弱い。60年代末の学生運動を支えていたのもこういう美学であったと思う。
経済成長が進み日本人の生活スタイルが変化すると共に、日本人の中からこの共同体意識は失われてゆく。時間が進むにつれゆっくりとその世代の若者から共同体意識が希薄化してゆく。私は30余年の教員生活を通じてそれを観察させてもらったように思う。こういう社会現象はダイヤモンド氏が「文明崩壊」で地球温暖化を例にとって述べていたように、平均的変化の量は1年あたりで見たらごく僅かであり、年による偶発的変動の幅の方が遥かに大きいのでなかなか気付かない。HR担任をしていても何人かの人材に恵まれて素晴らしい集団形成が出来る年もあれば逆の場合もある。クラスとして現れる集団の個性も実に多様である。しかし、今30年前を振り返ってみると、生徒が作る集団の質は大きく変化した。先日も私の就職当時の担任生徒と話をする機会があったのだが、彼らと話しながら現在の生徒と比較するとその違いは随分大きい。昔の生徒集団ははそれなりに組織だった共同体を形成していたものがその絆、組織性が緩やかに失われて現在に至っている。それは一斉に消えていくと言うより、壁が剥落していくようにして共同性が失われているように思う。例えば
「自分より弱いものに手を出すのは無様なことである」
「仲間は守るものであり、害を与えるものではない」
と言った説教が昔の生徒には効いた。つまり
「君の行為は、君の属している共同体の掟からも反するものである」
と指摘することが生徒指導の方法として成り立ち得たのだが、最近の生徒にこのようなことを言ってもよく理解してもらえない、何を言われたかわからずぽかんとしていると言った場合が多い。「校内暴力」が沈静化した1990年代から、年配のベテラン教師の中に自分の指導法が通用しなくなったことを訴える教師が増えたと聞く。かれらは、生徒の中にある共同体の倫理意識を教師と生徒の共通の規範とすることで生徒指導をしていた。要するに、義理人情、浪花節。その規範が生徒の側から失われ指導が宙に浮くようになってしまった。
「先生、××君が僕の傘をさして帰ってしまいました」
と教員室に苦情を言いに来た生徒に初めて遭遇した時の衝撃は忘れられない。
私たちが中学高校生だった頃はもちろん、教師として仕事し始めた頃このような生徒に出会ったことはなかったた。もしこのことが他の生徒に知れたらその瞬間からこの生徒は生徒集団の中で生きていけない。強烈な制裁措置を覚悟することになる。これが常識だった。現在この「常識」は失われたと言っていい。言いつけに来た生徒にはそのような懸念はないし、実際に制裁措置が発動することもないのでしょう。残滓が暴走することはあって、これが現在の「いじめ」をひどいものにしていると思うのだが、これは項を改めたい。
かつての生徒集団は、学校から独立した、保護者からも独立した集団として形成されていた。内部で事件があっても、学校や保護者には伝わらない。伝わらないシステムがあり配慮があった。例えば、盗難事故。学校が盗難に頻発に手を焼くようになってきたのは90年代からだろうか。しかし実際は最近になって教師が知るようになったと考えた方がよいのではないかと疑っている。
1)このようなことを被害生徒は親にも学校にも言わなかった
2)大人に知られない限度がある程度わきまえられていた
3)身内に手を出さない、他集団からの盗難には防衛機能が働いていた
良質の集団が形成されたときは確かに3)のようなことが実現していました。でもいつもどこでもそうなるかというと、「美化」し過ぎで大半は1)2)あたりなのですが。
かつての生徒は、学校や保護者からは独立した集団形成をしようとする無意識の動きを必ず持っていて、明確な理由がない限りクラスのすべての生徒はその構成員であり、内部にはそれなりの独自の規範が成立していた。その集団の質、緊密さは多様だったが、長い時間の経過から見ると、先ほど述べた「地球温暖化」のように、ゆっくりと失われていく途上に立っている。もちろん、義理人情のわかる昔気質の子もいるが、それが昔のような生徒集団を形成することはもはや稀になったと感じているが皆さんどうだろう。

停滞の時代に

 世界の人口は七十億人。この人々が平等な暮らしを始めたら、つまり世界中の人々が同じようにエネルギーや資源を消費したらどうなるか。私たちはこの問題を普段忘れている。もしくは意識的に目を背けている。少なくとも今の日本人と同様の生活水準で七十億人が地球上で持続可能な生活を送ることは、今の私たちの科学技術を持ってしては不可能なことは様々に指摘されている。(その代表例がJared Diamond 「文明崩壊」) 中国は急速な経済成長を続けている。今の世の中、技術は模倣可能で発展途上国はどんどん先進国に追いつき、世界の資源消費量はこれから爆発的に増大していくはず。手をこまねいていれば、そう遠くない将来何らかの絶望的な破局が待ちかまえていることは明らかだ。我々の世代は人類を破局に導いた世代として、(もし小規模でも人類が生き延びれば)記録されることになる。
驚くことに、経済成長こそが善であるような政治が未だにまかり通っているが、今の政治家は今の日本の繁栄があと何年可能だと思っているのか。(詳しいことは本稿の目的ではありませんが、莫大な赤字を抱えた国家予算一つ見ても、何年後のこと考えているのか首をかしげたくなります。)あと何年これまでのような規模の成長と繁栄が可能だと考えているのだろう。それを支える資源がこの地球上のどこにあると思っているのか。『最終戦争で人類の大半が滅亡し、残ったごく少数の人間が、持続可能な社会の建設を始める』といった漫画やSFで作られた世界は今や非現実ではなくなりつつある。
 今考えられている解決策は、ざっと考えて次の三つくらいではないだろうか。
1)格差を是認し、平等社会の実現を阻止する
2)これまでも様々な困難を解決してきた科学技術の進歩に期待して栄華を貪る
3)平等社会の実現と持続可能性が両立するポイントを探り、先進国は資源消費量の抑制し経済の後退を本気で検討する。
1)は論外、2)は根拠のない願望だとすれば、3)について本気で考えなくてはならないときを迎えていると思うのですが如何だろうか。
 戦後、学びの課題は復興と豊かさの追求だった。右翼も左翼も冨の分配方法について意見を異にするだけで、求めていたのは基本的に物質的な繁栄だった。マルクスの唱えたことは生産と冨の分配のより合理的方法だったはず。物質的な繁栄、経済活動の成長拡大を前提にした社会建設が日本人全体の目標であり、教育の基本動機でした。経済成長が平等な社会実現の理念と矛盾無く結びついていたし、実感としてそれを確かめることが出来た。この理念について1970年頃から様々な異議申し立ては行われてきたが、教育界は教育の理念を基本から再検討することを怠ってきたと言わざるを得ない。バブル経済の崩壊以降この二十年社会は明らかに停滞局面をむかえ、高度経済成長の時代には意識されなかった多くの問題が表面化してきた。格差社会という言葉は、それまでほとんど聞かれなかった。貧富の差は経済成長と共に解消すると皆が信じてきたし、実際そうでした。日本人のほとんどが車がありエアコンのある生活が出来るようになったのですから。ところが停滞局面にはいると、定量の冨を前にした自由競争の結果格差が生まれ更にそれが再生産される社会が生まれる。その間死者が数千、数万に及ぶ大震災、原子力発電所の「事故」で(公害で)広大な土地を失う経験をした。この停滞の二十年私たち日本人はどう過ごしてきたのか、新しい生き方をどれだけ考えてきたのか深く反省すべだろう。「成長の夢」がばらまかれ、今その何度目かにあたっている。停滞社会、後退経済を肯定しそこにプラスの価値を見いすような生き方を本気で考えたいと思う。
大規模な資本集中無くして生産不可能な機械=パソコンにこんなこと書くのは随分矛盾した話ですね。

高等学校体育連盟とは

文部科学省平成9年の資料だけれども、運動部の参加率は、中学校で74%、高等学校で49%。日本国民の3/4は運動部活動の経験を持つ。運動部の活動は日本の教育に大きな影響力を持っている。体育の部活動には必ず競技大会がある。府県レベル、地方レベル、全国大会。これらを誰が運営しているか、あまり気にとめる方はいないのではないかと思う。運動部の公式競技を運営しているのは、中学校体育連盟、高等学校体育連盟で、文部科学省でも教育委員会でもない。全国高等学校体育連盟は、財団法人であり各都道府県高等学校体育連盟により構成されている。更に、関東、東北、・・といったブロックごとの高体連がある。各都道府県体育連盟は高等学校の参加によって構成されている。切り口を変えると、全国高体連は、各競技毎の専門部に分かれ各都道府県高体連も専門部に分かれる。各専門部は、その部活動を行っている各高校の参加で構成されている。この専門部の役員は、部活動顧問の中から選ばれる。この人達が高体連専門部を運営している。もちろん総会があって、参加校全体の承認の下で動くのだが総会で細かな議論などしていられない。運営は、基本的に役員に委ねられているといってよいだろう。各都道府県単位の専門部の代表が地方ブロックの高体連専門部、全国高体連の専門部役員を構成する。
 役員の仕事は大変だ。年間の競技日程を決め、競技場を確保し、案内を各学校に送り、競技によっては組み合わせ抽選を行い、競技会の当日は、選手が集まる前から競技場の設営をし、競技運営をし、後片付け。その他、競技に関する顧問の勉強会や、選手に対する講習会、非公式強化試合を組んだり。年に一回は総会を開き、総会報告をする。これらの仕事を、基本的にボランティアでこなす。部活動顧問は日本の教育では管理職が命令することができない。教員の自主性に委ねられた活動だから。
 各競技の運営にはその競技に関するかなりの専門的知識が必要である。少なくとも役員の大半は、その競技内容を熟知していなくてはならい。従って高体連の役員は、学校の先生であり、同時に自分自身がその競技の経験者で構成されることになる。時には、何の経験もなく顧問を始めてそこで知識を身につけた人もいるが。そして、役員の仕事は大変だから、その競技に強い関心熱意、責任感を持たなければ役員は務まらない。結果として、その競技に自分自身がかなり強い関心を持つ先生、過去に選手としてかなりの実績を持つ先生が多く役員を受け持ち、運営を主導することになる。
 全部の競技について調べたわけでも、全ての都道府県について調べてみたわけでもない。私の顧問経験、同僚教員の顧問経験からの推定に過ぎないけれど。
これは同時に、強く実績ある学校の顧問が役員に集まる傾向がある事を意味する。部活動に熱意を持って取り組み実績をあげたいと願う顧問にとって、高体連役員はある意味でおいしい仕事だ。高体連の役員会は、強い学校同志の情報交換の場であり、容易にその競技の最新技術や最新コーチング技法に触れることができる。強化試合も組みやすい。こうして部活動にそもそも熱心な顧問が集まって高体連役員を構成し、運営が行われる。
これら役員の関心事が、自分の担当する競技に集中するのは当然のことである。自分の属する学校がよい成績を上げる。自分の属する都道府県がよい成績を上げる。自分の属する競技が優秀な選手を排出し、世界大会でよい成績を上げる。自分の属する競技が競技人口を増やして盛んになり選手層を厚くする。高体連役員はそのために活動する。競技会はたくさんあった方がいいし、研修会、強化合宿もたくさんあった方がいい。学校教育における「健全」な部活動の在り方といった視点を優先することはできない。そのような「甘い」こと考えていては他府県に勝てない。その競技を強くするという目的だけからでは、この流れを止めることはできない。
 新興宗教教団のような雰囲気を持つ、といったら悪口の言い過ぎだろうか。しかし、どの競技でもそうだけれども、日本全体で、それぞれの競技が独特の社会を構成し「教団」のような空気を作り出しているのは確かだ。中、高、大、社会人の競技団体の幹部は互いをよく知っている。その上、用具メーカーなども微妙に絡んで独特の社会を作り上げている。その集団の目的は、世界大会で実績上げること。その競技が盛んになること。これ以外ない。
 これらの先生方は、教員として働きながら、同時に自校の部活動顧問であり恐らく休日返上で生徒の練習を指導し、都道府県高体連役員として競技会他の運営にあたる。たいてい強い学校だから、指導チームは都道府県レベルの試合で結果を出し、地方ブロック大会に出場し、うまく行けば全国大会の引率指導もする。殆ど私生活をなげうって、活動されているはずだ。
 部活動過熱の一要因として、体育部運営システムとしての高体連が深く関与していることを申し上げたかったわけです。ちなみに、全て中体連と読み替えていただいても同じ事が成り立ちます。中学の方が事態は深刻かもしれない。
 高体連は、学校部活動の微妙な位置づけから生み出されたもので、学校部活動を制度の根本から見直さなければ、高体連組織も変わることができない。
 この狭間で、学校教員は自主活動としての顧問を「強制」され、労働基準法限度を遥かに超えた労働を強いられる。

提案
 中学高校部活動の全国大会を禁止する。
  高体連は、インターハイを含む全ての全国大会をやめる
  中体連は、全中をやめる
  国体への高校部活動の参加を認めない。
 中学高校生の放課後体育活動の場(社会体育)を、学校部活動とは別に作る
  一定の基準を満たせば、行政の設置、私立学校の設置、一般企業の設置、いずれも可
  指導者は正式雇用し、参加生徒の行動全てに管理責任を負う
全国大会参加は、社会体育所属者のみ認める

無理だろうなあ。でも中学校の野球にはこの兆しがある。

ベネッセコーポレーション

 2014年7月個人情報の流出でマスコミが騒ぎ立てた。ベネッセコーポレーションの持つ個人情報二千万件が、あるシステムエンジニアによって持ち出され、業者に転売され実際に使われた。世間では「流出」「個人情報の保護」について様々に語られてきたが、一つの企業が日本人の1/6の個人情報を握っていることそのものの恐ろしさを指摘した話をあまり聞かない。法律を犯してはいないから。しかし。
 全人口の1/6だが、若年層だけ見たらどうだろう。20才までの日本人については、一年あたり百十万人前後だから、20才までの人口の総計はおよそ二千二百万人ほどだ。流出した個人情報は主としてベネッセの商売の対象となる若年層のものであろうから、少なく見積もってもベネッセは日本人の若年層大半の、氏名・年令・住所を把握している。
 更に高校教員から見ると。2014年度、全国約5400校の高校のうち4665校がベネッセにセンター試験自己採点データを提供。2013年度9月のベネッセ主催の模擬試験受験者は40.4万人、2013年度大学入学者は61.4万人。また、任意ではあるが、生徒の受験結果の報告が求められ、ベネッセを利用している大半の高等学校がベネッセにデータを提供している。これらの数は全国模試を実施している業者の中で最大、母集団が大きいから相対的にデータは正確さを増し、更に受験者が集まる。予算規模も大きくなるから、問題も事後の解説も質が高くなる。大規模量販店と同じ事。規模が大きくなればなる程強くなり更に規模が大きくなる。
 ベネッセの模擬試験では所属学校と氏名の他に生年月日の登録が必要で、これをもって過去のデータとの結合をする。(同じ学校で同姓同名かつ生年月日が同じ生徒は確率的に大変少ない。)このデータをインターネットを通じ学校に提供する。これは高校教員に大変便利なシステムで、模擬試験を受け続ければ、個人の得点・偏差値の推移が即座に把握できる。大学の合格可能性を示せる。受かる大学を検索できる。インターネットに接続したPCを横に置いて、教員は生徒と進路指導個人面談をする。これらのサービスを電話モデムを使った「パソコン通信」の時代から行っており、模擬試験業者の中で最も早くそのシステムも最も使いやすかった。
高校毎の担当者が定められ、年に何度も学校を訪れ、とりわけ進路指導担当者としっかり人間関係を作る。電話連絡一つで学校に飛んでくる、丁寧なサービスを提供してくれる。
ベネッセはこうして、全国で大学進学指導をする大半の高校生の学力を数十年集め蓄積している。私も40年程前に受験し、電算機を使った結果表を受け取った。そのころ電子データの提供は無かったが、ベネッセ自身のデータベースはこの時代から稼働していたはずだ。
 考えてみれば、これはベネッセが全国の高校の学力とその経年変化を大半把握していることを示す。この学校は入学生の学力は低いが3年間でよく生徒を伸ばす、この学校は実績はあるが高校時代に生徒の学力をあまり伸ばしていない、10年前には底辺校だったが最近卒業生の学力が急激に上がった、とか簡単に分析できるだけのデータを持っている。同時に、全国大学入学者の学力とその推移を詳細に把握している。当該の大学の先生以上に正確に。
 毎年大学受験シーズンを前にベネッセ主催高校進路指導担当者対象の進路説明会が、地域別に何度か開催され、高校進路指導担当者はどの学校もほぼ確実に参加する。そこで各大学学部入試種別毎の詳細なデーター冊子が手渡され説明が加えられる。勿論ネット上でも公開され、前述のように生徒の偏差値とドッキングして検索可能である。この(同一の)情報をもとに各高等学校では大学進学指導をする。
 全国どこでもイオンモールがある。ベネッセの大学進学競争に対する影響力は、小売業におけるイオンモールどころの騒ぎではない。殆ど一元支配。
 ベネッセが大学を潰すのは簡単だ。「××大学はお勧めできません」と説明会で発言するだけで受験生は激減する。「○○大学△学部はねらい目」といえば受験生が集まりレベルアップする。大学の先生が、より評価される大学教育目指して日々重ねている営みも、ベネッセのひとことで消し飛んでしまうのだ。
 高校入試への影響力は、現在大学入試程強力ではないが、同じ事は必ず起こるだろう。小中学校の事はあまり詳しくないが、ベネッセのホームページでは、「全国小学一年生の3.1人に1人が進研ゼミを受講」とある。これだけの受講者がいれば、潤沢な予算を使って優れた教材開発もできよう。そしてますます受講者を増やす。

 ベネッセは日本の学校教育を支配する。私の職場では、ベネッセを「影の文科省」と呼んでいた。

仕事の評価

 教員を始めて数年はもう無我夢中だった。周囲の年配教員並みに仕事ができるようになるために吸収しなければならない知識や技能はそれはたくさんある。見習い期間はないし徒弟制度もない。教員室を出て教室に入れば新任一年目でもベテランと同じ質の仕事が求められる。これは考えてみればかなり特殊な仕事だろう。逆に、教員を始めて数年は実は見習い程度の仕事しかできない。その何年かの夢中な時間が過ぎ、一通りの事を身につけられたかなと思う頃考え込んでしまうことになる。
「自分はどちらの方向に向かって進んだらよいのだ」
「今自分はどれくらいの仕事ができているのだ」
自分の仕事をどうやって評価しようか、立ち止まってしまう。この感覚は教員になるまでわからなかった。対極にあると思われる仕事の例として上げれば、新車のセールスマン。年間何台車を売ったか数字が出る。それを見て自分も満足したり落胆したりするし、周囲も上司も仕事を数字で見る。ここまで極端ではなくても世の多くの仕事には、それを評価する比較的客観的な基準がある。では学校教員は自分の仕事をどうやって評価したらいいのだろう。《周囲と同じ事ができる》という一応の目的が達成されたとき、次の一歩を踏み出すのは教員にとって結構大変な事なのだ。
 教員を志望した動機はもちろんあって自分の理想とする教育を実現したいと心の底では誰でも思っている。逆に、そういう理想をたやすく多様な可能性をもって描くことのできる恵まれた仕事でもある。しかしその理想に対して、今自分のやっていることを評価するのは大変難しい。教員の行動が、他の社会から見て理解しがたい面があるのはこの所為だ。
 スキューバーダイビングで事故が起こったとき、冬山登山で雪崩に巻き込まれたとき、パニックになると人間は上下の感覚を失うらしい。雪崩に埋まった人が懸命に下に向かって穴を掘っていた、という話を聞いたことがある。教員の仕事をしていると、そういう感覚に襲われることが少なからずある。先述の仕事のスキルを一応身につけたとき、困難な局面に遭遇したとき、逆にあまりに平穏無事なとき。自分の位置と進むべき方向を見定める「座標軸」が欲しい。教員共通の心情だろうと思う。教員は評価を求める。
 教育の国家統制を廃しファシズムの危険を取り除くため、教員の仕事に対し「客観的」評価基準を設けることは戦後教育の中で長く禁忌とされてきた。勤評闘争での日教組の主張はその後長く教育の世界で規範として存在してきたと思う。それがなし崩し的な今崩壊過程にあり、「教員評価」が全国で進行している。これにどう対抗していけばよいのだろう。
 「教員評価」がこれまで浮上してこなかったのは、労働組合のためだと思っている。日教組が政治勢力として、勤務評定を抑えてきたという面もあるだろう。さらに学校の現場では、組合がそれなりの強い理念を提供し続けてきたことが大きい。理念の是非は別に論ずるとして、行政と管理職が提示する理念とは別の方向を向いたもう一つの価値基準が学校に持ち込まれていたことが大切なのだ。その基準に全面的に身を寄せる者もいたが、それだけではない。多元的な価値基準があり、それぞれの基準からの距離を測定することで、自分の位置を見定めやすかった事が教員集団の健全さや活気に貢献していたと思う。その組合の持ち込む理念が弱体化し、並行して「教員評価」を巡る様々な問題が浮上し同時に、上からの「教員評価」強化が進み始めた。
 教育を巡る多くの問題が、この「教員評価」を自ら求める教員の心情と関連している。いわゆる「成果主義」。教員は評価が欲しい、目先の結果が欲しい、誰でも思っている。
 目先の結果で恐らく最も簡単に手に入るのが、部活動だ。(クラブのことを今《部》と呼ぶ)学校外の方には意外に感じられるかも知れないが。スポーツ系はもちろん吹奏楽など一部の文化系ん活動には大会があって、そこで成績が出される。これは教員にとって大変わかりやすい評価となる。部活動はその意志のある生徒が任意で集まってくる、去るのも自由だし教員の側から止めさせるのも比較的簡単だ。つまり、生徒の意志をまとめるのが簡単だ。部活動の指導は個人もしくは少人数の教員に任されていて、多人数の共同作業でないから思った通りに運営できる。どうすれば成果が出るか多少の情報収集をし、労力を惜しまずそれを実践すれば、必ず短期間で答が出る。学力を向上させたり学校全体の空気を変えるために必要な労力と時間に比べればずっと少なくて済む。生徒は結果を得て喜ぶ。保護者から感謝される。学校の宣伝になるから管理職から認められる。同僚から褒められる。それも集団としての成果でなく、手柄が個人に還元される。だから教員は部活動に力を注ぎ、過熱する。生徒の自主的な集団形成を通じた主体性や社会性の涵養といった本来の目的が忘れられる。
 学習指導でわかりやすいのが受験結果。進学先の学校は偏差値で数値化されているから、結果は簡単に数値化される。保護者、行政、管理職の要請という側面も勿論あるのだが、教員自ら成果を求めて受験指導に走るから、これだけ広く行きわたる。部活動より大きく生徒の人生を左右するから教員に達成感がある。生徒が感謝する。保護者が喜んでくれる。学校や行政は宣伝になるから高く評価する。教員はなるべく自分個人の手柄にしたいから、生徒を縛り付ける。授業、課題、補習、個人指導。
 こういった目先の成果から距離を置いたところから、教員は本来何をすべきなのか考えていくことになる。組合が代表していた戦後民主教育の理念が弱体化し、目先の成果主義が横行しそれ自身が上からの「教員評価」になり始めている現在、どんな道があるだろう。

自分の子の入学式

 学校の入学式を欠席して自分の子供の入学式に出席した教員、授業参観を欠席してのど自慢に出場した教員が、マスコミで取り上げられた。この事件についての意見が2014年7月15日朝日新聞に掲載されている。なぜこのような事がマスコミに取り上げられるのだろう。数十年前ならあり得なかったことだ。
 自分が新入生を迎える日に子供の入学式に出たいとする。我々のこれまでの常識からすれば、およそ次のような経過をたどるはずだ。まず親しい同僚集団に相談する。事なきを得るようなうまい方法があるか検討する。「無理だからやめておけ」と忠告されるかも知れない。うまく行きそうだったら更に学年、学校に議論の輪を拡げ検討する。教員集団全体の了解のもと、対策を実行する。ちょっと考えても、この先生の行動を新入生の保護者に納得してもらえるようなやり方は、教員集団全体が納得しているならいくらでもある。理屈と膏薬はどこにでもつく。これが不可能だったら、子供の入学式への出席を諦める。
 「事件」そのものの詳しい報道を目にしていないのだが、こういう処置がとられていれば、全国紙に取り上げられるような騒ぎにはならなかったはずだ。この先生が教員集団全体に守ってもらうような行動ができなかった、そして教員集団がこの先生を守ろうとしていない。「ああ、こんな学校では仕事をしたくない。」それが私の感想だ。

学校は、少人数の教員が15倍から20倍にあたる数の生徒を年間を通じ管理しなければならない特殊な仕事だ。生徒が毎日朝から学校に来て、ちゃんと座席に座り、教員の話を聞く。これを実現するためには、膨大な努力と細心の注意が必要だ。「自由」「自主性」も教員のコントロール=管理が有効な範囲で初めて意味をなす。少なくとも現在の学校制度はそうできている。生徒から見て気に入らない教員の授業があったら、生徒が学校から出て遊びに行ってしまうようになったら、学校は成り立たない。家畜であればどんな手荒なことも可能だ。一頭ずつ檻に入れても紐でつないでも良い。しかし相手は人間だ。また、同じ人間でも劇場の観客は1日ごとに入れ替わる。前日の失敗が翌日に持ち越されることはない。人間の集団を、年間を通して管理し続けるのは易しい事ではない。
この生徒管理で最も大切な要件は、教員集団の団結力だ。全教員が共通の行動規範を生徒に求め、共通の処置をするからこそ生徒は納得し指示に従う。逆に生徒が管理を逸脱しようとする第一歩は教員集団の団結の裂け目を探し出すこと、もしくは作り出すこと事から始まる。
「××先生は違うこと言ってる」
「こういうとき○○先生ならそんなことしない」
こういう発言は生徒の常套手段だ。これに対し
「嘘を言ってはいけない。決してそんなことはない。我々は共通の規範を要求している。」
と各教員が自信を持って言い返すこと、これが生徒管理の第一歩だ。1980年代、生徒が荒れた時代を乗り切るとき、我々教員はこのことを実感してきた。

別項で、生徒集団の質的変容について書いた。そこで、かつて存在した農村共同体を起点とする共同体の倫理規範が徐々に薄れつつある事を指摘した。教員集団とて同じ事だ。新任教員は5~6年前の高校生だ。現在の30代教員は1990年代の高校生だ。つまり、現在の学校教員の若手半数は、我々の世代が生徒が変わってきたと感じはじめた時代以降にに教育を受けた世代なのだ。すべて同年代の人間で構成される生徒集団と異なり、教員集団は20代から60代までの広がりを持ち、その質的変容は生徒より更に緩やかなものだろう。しかし、教員集団が生徒集団と同様にその質を変えつつあることは、確かだ。
 教員の上からの管理が強まり、かつてのような教員集団の形成がより難しくなりつつある。教員管理を勧める側からすれば、教員集団の機能不全を補うための必要な措置と指摘されるかも知れない。教員集団の質の変化、機能不全、管理強化。いずれにせよ、これらのことが同時に進行している。
 共同体の倫理規範が後退したことにより、教員集団の質に起きた変化を感じるままに述べてみたい。私が、自分の職場で感じて来たことだが、他の学校教員の話、様々な書物やマスコミ報道の内容から、ほぼ同様のことが全国で程度の差こそあれ同時に進行していると思っている。
教員の仕事の内容は、教科指導、生活指導、企画運営、事務処理等多岐にわたる。当然、各教員得手不得手がある。難関大学の受験指導に長けた教員、心の荒れた生徒のケアに優れる教員、・・・教員とて普通の人間、スーパーマンではない。良い教員集団は個々の教員の長所を生かし短所を補う緻密な関係の中で学校を運営する。学級運営にしても担任に任せきりにせず、担任をたてながらも、助言し足りないところを補いあう。生徒の側から見たとき、担任に指導されているより、教師集団全体に指導されているように感じ取れる。こういう関係が年を追って作りづらくなってきた。私の仕事に口を出してくれる同僚が減った。(こちらが年令を重ね口を出しづらくなったことはあるにしろ。)また、他人の意見や介入を忌避する教員が増えた。
 言い換えると個々の教員の垣根が高くなってきた。みんなで広い畑を耕していたのが、垣根をたてて自分の畑を確保し、自分だけで自分の畑だけを育てようとしている。自分の収穫高で自分を評価しようとしている。自分の収穫高が教員の力量として管理職に評価される。水やるの忘れたら、誰かがやっておいてくれる。雑草が伸びてきたら誰かが抜いてくれている。こういう事がなくなった。他の畑を世話してあげると逆に嫌な顔されたりする。かつて我々は、皆で田植えし水源を管理し稲刈りして生き延びてきたはずなのに。
 ごく最近まで我々日本人の間には、手柄を個人的栄誉として誇示するのは醜い事であると感じる、ある意味で屈折した美学が存在した。かつて流行った「任侠映画」の美学である。これも考えてみれば、稲作のような集団作業で栄誉を求める個人的な振る舞いは妨害要因になることが多かった事によるのではないかと思うのだが。常に集団全体が利益を生むように行動し、集団全体の喜びをもって個人の喜びとする。こういう行動原理は、国家のための自己犠牲のような負の側面を生むが、ある機能集団が優れた仕事をするために是非とも必要な原理でもある。個人的栄誉が他者を押し退けて自分を差別化する行為であるのに対し、他者と喜びを共有する方が我々の充足感は大きい。
 具体的に述べるなら、優れた教材や生徒指導法を持つ教員が、自分の評価を高めるためその方法論を秘匿するのか、集団全体の機能を高めるため積極的に公開し共有しようとするのか、その成果の差は明らかだろう。教員が「管理」されるとはこういう事なのだ。また、「校内暴力」と言われた時代、しっかり生徒を指導している学校には、嫌われ役を担う教員が居た。「暴力」を匂わせ生徒を威圧する教員の存在によってかろうじて秩序が保たれている場合はいくらでもあった。これとて目的遂行集団として教員集団が機能していればこそできること。

教師集団の解体は、学級崩壊、モンスターペアレントの出現などの問題と同時並行で進んでいるのだが、実はこれらの問題について少なくとも原因の一部をなしていると私は考えている。

学校教員は「孤立」に向けて追いやられようとしている。そして、先述の朝日新聞でこのことに言及しているのは「ママ」の意見の一部だけだった。

教え合う授業1

 生徒同士が教え合う時間を授業に取り入れること。これを就職当時から30年以上にわたって試みてきた。きっかけは先輩教員の示唆によるものだ。この先輩は大学院でヴィゴツキーの心理学を学び、その知識をもとに生徒同士が相談する授業を私よりも更に何年も前から実践していた。
 その先輩の示唆を私が理解したところをまとめると次のようなものだ。(私自身ヴィゴツキーを勉強しようとして果たしていない。)教師が用いる言語やテキストで用いられている言語と、子供たち同士が用いている言語には水準の違いがある。子供たちの理解は、教師の水準で語られた言葉を子供たちの言語水準に翻訳することで成り立つ。数学が得意な子は(私の教科についての話だ)翻訳が上手だ。また、その時たまたまうまく翻訳できた子もいるだろう。そういう生徒がいれば、生徒同士の会話を促すことによって、理解は集団の中に広がっていく。
 およそこういう観点から、生徒同士の教え合いを授業の中に取り組む工夫を始めた。確かに、うまく行ったときの効果は抜群だった。生徒が数学の時間を楽しむようになり、活力が生まれる。今まで授業で取り残されていた生徒が、積極的に学習を始める。更にそのクラスの人間関係が親密になる。クラスの平均点があがり、特に平均以下の散らばりが小さくなる。
なぜ効果が上がるか。先の「理論」をもとに私なりに経験し考えたことをまとめてみる。
 ・生徒同士なら質問しやすい。これは当たり前です。そのため、座席の移動も自由とし、聞きやすい生徒の所に行って良いことにする。
・教えるにしても質問するにしても、生徒は、学んでいる内容を言語化しなくてはならない。自分の言葉で語らなくてはならない。このことが学習内容の定着にとって大変重要なポイントになる。そして生徒同士の会話の中で、自分の言語として学習内容を取り込むことが可能になる。特に、教えることを通じ生徒は自分の理解を一度対象化することになる。クラスの中で教え役にまわる生徒が実は一番学力が伸びる。わからない生徒には「教えることで学力が伸びるのだから、遠慮なくできる子のところに教わりに行きなさい。教える子の成績アップも助けられる」と促し、できる子には「教えることを押し売りしなさい。むりやり教わり役をつくりなさい」と勧める。
 ・能動的に授業に取り組める。静かに問題を解いていたり授業を聞いているのは、何もしないまたは全く違うことを夢想しているのと外見上見分けが付かない。板書をノートしていても単にコピーしているだけの子は随分いる。しかし、みんなが話し合っていると能動的に取り組んでいることがお互いに確認できる。お互いの能動性を引き出すことにつながる。
・数学の理解の仕方には様々なタイプがあり、そのタイプを生徒自身が意図的に選択できるようになる。たとえば、分数の割り算は逆数のかけ算になることを教えるとする。(これは小学校の話ですけれど)これを理解するにもきちっと順番に論を進めないと納得しない生徒がいる一方で、考えるとややこしいから操作としてそのまま受け入れる子がいる。教え合いを続けていくと生徒自身が、自分にあった理解のスタイルでグループができあがっていく。あの子の所に行くとごちゃごちゃうるさいから、すっきりやり方だけ教えてくれるあの子と勉強しよう。あの子の教え方はいい加減で理由を説明してくれないから、考え深いあの子に教わろう。こうしてグループができあがっていく。私自身は、解説の段階でどこまでの水準で理論的な理解をしたら最も得策か必ず明示する。それが数学の授業で最も大切な教員の仕事の一つだ。三角関数で倍角公式が一般の加法定理の特殊例にすぎないことは充分強調する。それでも、倍角公式をまず丸覚えする生徒もいて、それはそれで許容していく。
 ・誰でも他人から感謝されれば嬉しい。他人を喜ばすことで幸福を感じられる。こういう道徳観を我々は少なくとも深層心理にしっかり確保している。人類の歴史数万年の共同生活の記憶だと思う。本能と呼んでもいいのかも知れない。この感覚を教え合うことで呼び覚まし、育てることができる。
 私が二十年以上かけて、たどり着いた授業の形について書いておこうと思う。私の場合、授業の殆ど全てを教え合いに当てることはしていない。『学び合い』と称し生徒に委ねる方法が提唱されているが、それについての感想は、後で述べる。授業の前半は導入と解説に当てる。授業の中盤を問題演習の時間とし、生徒同士の話し合い教え合いをゆるす。その間に生徒に黒板でやらせたりする。最後にまた教師がまとめる。こういうオーソドックスなものだ。
 生徒同士の教え合いにあたり、ルールを定める。
  ・私が黒板の前を離れたら、(教壇を降りたら)生徒同士で話し合いを認める。
  ・その時間は、座席を離れ立ち歩いてもよい。
  ・但し、数学以外の世間話を始める生徒がいたら、話し合いは即刻中止する。
  ・私が教壇に戻ったら、生徒も自分の座席に戻り、話し合いを打ち切る。
 そして、年度の初めには生徒同士が教え合うことの意義について繰り返し述べる。
 実施にあたっては、年度の始めに少しずつ導入を試み、うまく進行するようであれば徐々に話し合いの時間を増やしていき、二ヶ月後には五十分授業の三十分から三十五分をこの時間にあてていく。もちろん内容によっては、全部、私が教壇の上という授業もあるし、殆ど全部話し合いによる問題演習の時間とすることもある。一年間をかけてこのスタイルを育てる。うまくできたときはクラスを褒めちぎる。うまく行かないときは早々に切り上げる。
 この種の授業の導入は、薪で火をおこすようなものだ。燃えやすい木を選び点火する。一端薪に火が移ればそれが自然に燃え移り徐々に広がっていく。薪一本ずつに火をつけるより、自然に燃え移らせる方が遥かに効率的だ。うまく薪を組み火が自然に広がっていくようにする。全体が程よく燃えるように、周囲に延焼したりしないように火を管理する。逆に薪が極端に湿っていたりするといくらやっても火は付かない。そういうときはたき火を諦めなくてはならない。しかし、たき火の達人はいるもので、これは無理と思われるような木を集めて上手に火をおこす人がいる。これと同様、こちらが技術的に上達していくと教え合いがだんだんうまく導入できるようになる。
 実施が可能となる 要因を挙げてみよう。
・生徒が、指導教員の管理下に置かれていること。これは、学校全体の生徒管理力、生徒の質、教員の力量など様々な要因によるが、教え合いの授業は教員の管理のもとに行う。どんなに素晴らしい話しでも、まず生徒がその教員の話を聞こうとしなかったら伝えられない。また、教え合いは、クラス全体が極度に騒がしくなり隣接クラスに迷惑をかける、生徒の一部が遊び始めるなど、常に暴走の危険をはらんでいる。これらを管理できる条件下で初めて教え合いが成立する。私自身、経験を積み生徒の把握力を上げるに従って教え合いもうまく行くケースが増えていった。また、教え合いが学校全体全ての授業で実施されているのでないとき、同じクラスの他の授業で問題を起こすことが教え合いを難しくする。特に経験の浅い生徒把握力の無い教科担当にそのしわ寄せが行く。「**先生は授業中立ち歩いても良いと言っている」と担当者を困らせる。教え合う授業のルールが私の授業のみに許されるローカルな規則であることを生徒にわからせ、実際に同じクラスの他の授業に与える影響を最小限度に止めるのはなかなか難しいし、経験が最も必要な部分だろう。
 ・学校生活に意欲的で将来に希望を持ち好奇心旺盛である、こういう生徒が集団の中に少なくとも何人か存在すること。逆に、そのクラス自身、もしくは学校生活に否定的な感覚を持つ生徒が大半を占める集団では実施が大変難しい。要するに授業そのものと一緒だが、単なる一斉授業なら、厳しく管理することで姿勢を正してノートをとらせたりはできる。つまり一応の体裁は整えられる。しかし活発な教え合いを実現するのが大変困難な場合がある。そういうとき、無理はせず管理型授業をしながら少しずつ様子をうかがうようにしてきた。この意味で学校生活に期待を持ち、幻滅や挫折を味わっていない新入生は導入が楽だ。一年生のうち何クラスかで導入して訓練を重ねておいて学年持ち上がれば最終学年までうまく継続できる。また教え合いの良いところで、新入生当時の意欲を比較的維持することができる。
 ・コミュニケーション能力の高い生徒が集団の中に一定数存在すること。子供たちは同年代の子供をモデルにして学ぶことは非常に早い。一端薪に火が付けば薪から薪へは容易に火が移っていくように。学習姿勢やコミュニケーション能力はモデルさえ存在すれば比較的容易に集団の中に広がっていく。
 ・学力が適当に分散していること。不均等だから教え合いのダイナミズムが生まれる。学力が極端に均質だとある点から先は全員がわからないということになる。教える側は、その集団の質を見計らって、教材、解説内容、要求水準を選択しおよそクラスの上位4割程度には充分それが伝わるようにする。それを全体化するために教え合いの時間を設ける。指揮者とオーケストラの間にはコンサートマスターがいる。指揮者の意図をまず理解し音にし、他の団員にそれを伝える役の存在である。授業をするときはこのクラスの「コンサートマスター」を探す。教え合いの様子から、そのクラスでの教え合い関係が見えてくる。その核になる子がまず充分納得するように全体授業をする。極端に均質な集団にはこの「コンサートマスター」がいない。これが教え合いを難しくする。もっと言えば授業自身を難しくする。誰かが「わかった」ことで、その理解のスタイルを残りの生徒が共有すればよい。これが生徒を思わぬ高さまで引き上げてくれる。均質な集団にはこのような飛躍の可能性がない。特に、学力別授業と教え合いは親和性がない。学力別授業については別項で述べたいが、学力別編成は、底辺層対策のようで実際には最上位層にしか効果がない。

 生徒が個別に分断され競争が煽られているとき、知識・知見は占有するものでなく共有するものであることを次世代に伝える必要がある。教え合うことは単に学習の効率を高める他に、知識の在り方教える意味でも大切なことだろうと思っている。

教え合う授業2

『学び合い』学習という教育運動がある。NHKで取り上げられたり(ETV特集 2012年2月5日放送)新聞で取り上げられたりしている。例えば朝日新聞2014年5月。これは一つの教育運動で明確な指針がある。その一つが、上越教育大学の西川純氏の提唱するもので、インターネット上に手引き書が公開されている。
『学び合い』の手引き書(平成 25 年7月 26 日版)
これは160頁に及ぶ結構大きな資料で、ここに『学び合い』の到達水準の殆ど全てが投入されているのだろうと思われる。私はこの運動についてその詳細を知らない。インターネット上で公開されている種々の実践、またこれに寄せられている批判について近年知った程度だ。ここでは、先の手引き書を読んだ感想、私の考えとの差を少し述べてみたい。
基本的に賛成です。私も同じようなことを考えて授業をしてきたから。それについては前項で述べた。引っかかるのはどこか。
全体を読んでまず気になるのは、その極端な理想主義だ。理想主義は理念としては理解できるが、理想主義の実践は、硬直化し権威化する。スターリン、毛沢東・・・。例えば、「学び合いの時間が授業全体で占める割合は多ければ多い程よい、学び合いの時間を増やせないのは生徒の可能性を信じていないからだ。」と手引き書では繰り返し述べられている。こういう言葉で他人を縛るのは宗教と同じである。「あなたの信仰が浅いのはイエスの復活を本当に信じていないからだ。」と言われるのと同等ではないか。これが「手引き書」であるだけに余計たちがわるい。そして、『学び合い』を実践する教員は、この手引き書で何と「同志」と呼ばれる。20世紀の共産主義運動のように。
教師の役割について。教師はガイドであって内容を教えるものでないと繰り返される。
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教師が教えると、子どもは常に教師を頼ります。それゆえ、教師はあえて教えません。仮に、数十人の子どもに対して、最適の説明で個別対応が出来ると豪語出来るような人がいるなら(単純計算から言って不可能だとは思いますが・・・)教えてもいいでしょう。しかし、そう出来ないならば、教えるべきでありません。教えないとき、心の中で「君らなら出来る、私より凄いことが絶対出来る」と信じられるか否かがポイントとなります。ただし、教師にとってはつらい。なぜなら、教えたいから教師になったので、それを我慢するのは容易ではありません。しかし、ある段階に達すれば、教えられます。その目安は、教師が教えても、子どもが「先生のつまらない」、「先生、邪魔」といわれるぐらいの段階まで、子どもたちの自主性が育ち、教師の意見を取捨選択出来るようになったら介入することができます。(手引き書P50)
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これは間違いだ。この論でいくなら、野球を強くするには、子供たちが手引き書をみて議論を重ねるのが一番効果的なことになる。集団に適切な課題を計画的に与えておけばそのうちベートーベンのピアノソナタが弾けるようになるか。そしてこれが最も効率的な方法か。スポーツや音楽のような例を引くのはずるいだろうか。私は、人間の作り出した全ての文化は肉体的なものであり、生身の肉体が向き合うことで伝えられるものが、全ての分野について必ずあると思っている。そしてそれは、前世代から後継世代に対して与えられていくものだ。確かにテキストから読み取れるものはある。が、生身の肉体の存在は、テキストから読み取る百の苦労を一瞬に解消してくれる。この肉体的に与えられるべきものを判別し意識化するのが教員の仕事だ。言葉を換えれば、テキストとのつきあい方、テキストに対する姿勢、このメタテキスト的部分こそ教員の役割であり、これは生徒の中に自然発生的に生まれるものでは決してない。
次に、生徒の能力についての記述。
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我々はこのコミュニケーション能力は教えなければならないとは考えていません。我々
の DNA に組み込まれていると考えています。(手引き書P12)
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これは、ウソだ。言語について考えてみればすぐわかる。言語を獲得する能力を人間は遺伝的に有している。しかし、しかるべき時にしかるべきトレーニングをしなければ、言語を獲得することはできない。狼に育てられた子供の話は有名だし、テレビの前に放置されて育った子どもの言語的欠損も報告されている。日本語環境の中で育てば日本語を獲得する。人種によって獲得する言語が遺伝的に異なるのではなく、獲得言語は生育環境だ。当たり前ですよね。さらに、育った家庭の言語環境で、同じ日本語を話していても運用能力に大きな差が生まれることを、我々教員は強く意識させられている。言語とは遺伝的に基礎を支えられているとはいえ、その達成は一つの文化だ。もっと幅広い意味でのコミュニケーション能力についても同様であろう。私たちは学校の現場で、生徒のコミュニケーション能力の低下に悩まされ続けている。家庭、地域共同体の緩やかの崩壊、子供集団の喪失などにより、子供たちのコミュニケーション能力は確実に低下している。これをどのように補うか育てるかが、学校教育の緊急な課題だ。生徒の能力を信ずることが問題なのではない。生徒の能力を分析的に把握し柔軟で適切な処置をとることが求められている。

《『学び合い』の手引き書》は私にとって刺激的な書物であった。逐一批判を加えれば同じくらいの長さのテキストができあがってしまうかも知れない。しかし、「刺激的」という意味で同書は優れたテキストである。教条的に読まれるのではなく、教育とは何かを考える格好の材料として、若い教員の方々にとっては一つの極端な参考意見として、広く読まれ批判されることを願う。