センター試験数学を何とかしてくれ

問 △ABCで、AB=3, BC=4, CA=5 のとき、内接円の半径rを求めなさい。

この問に記述答案で答えるなら、
内接円の半径と三角形の辺の長さ、三角形の面積との関係から
r(3+4+5)=3×4
r=1
と、解く。公式を用いて解答したときは、用いた公式の名称を言葉で指摘して、日本語の豊富な表現力のある答案を作りなさい、と指導する。ところがこれがマーク式の問題になると

問 △ABCで、AB=3, BC=4, CA=5 のとき、内接円の半径をrとすれば
r=[ア]である。

と出題されるから、解答は
半径は整数値で、この三角形で半径2の内接円はあり得ないから、ァは1をマークする。問題量が多く時間が足りないとき、正直に計算してはいけない。問題全体をよく見て要領よく解答しなさい、マークしか採点されないのだから無駄な計算を極力避けなさい、と指導する。この例のような極端な場合は少ないかも知れない。それなりの配慮がされていることもわかるが、現行センター形式のマーク試験が持つ、本質的なばかばかしさは変わらない。
高校の数学教員はこういう二重の指導を強いられている。優秀な集団なら、マーク試験特有の技術を修得するためにそれ程時間は要らないのだが、そのような生徒はごく僅かだろう。二次の記述試験は難問が多く平均点合格点共に低く大きな差がつかないから、センター試験の失敗が合否に直結する場合は多い。センター試験をこなすため特殊なトレーニングが必要になる。その一方で記述試験に対応して、数学の問題を解決するための試行錯誤、学習内容の本質的な理解、解決過程の表現力等を生徒に教えていかねばならない。
何故こんなことになるのだろうか。センター試験は高校卒業資格試験であると同時に大学入学の選抜試験でもある、この2つを兼ね備えた数学のマークシート試験がそもそも無理なのだ。
センター試験では出題範囲を教科書にあらわれた問題範囲に限定することを明言している。同時に、効率の良い選抜試験でもなくてはならない。平均点75点、合格ライン85点のテストは選抜試験としては分解能が悪すぎる。受験者の2~3割を合格とする場合、平均点40点合格点50点くらいの方が遥かに信頼性の高い、分解能の高い選抜ができるはずだ。
そもそも、国大協がセンター試験実施に踏み切った理由は、当時地方に増えた小規模大学に、入試の実施そのものが大きな負担となっていた事による。入試の作問および採点は大変な作業だ。問題の質、適切さから、印刷製本から実施までの秘密保持、採点の公平さまで。大規模な総合大学がこなしてきた業務が、小規模大学には大きな負担になる。受験生が五千人でも二百人でも作問の手間は一緒だ。作問できる数学の教授が何人いるか、大学によってずいぶん差があるだろう。国大協は、規模や学生数に比例せず、大学毎に1個の議決権であるから、小規模大学の意見は比較通りやすい。共通試験の実施をかねてから望んでいた文部省(当時)の意向を承認する形で、共通一次が始まり、センター試験につながる。センター試験は選抜試験でなくてはならない。
個別の大学で試験を実施する場合、その大学を受験する生徒の学力に合わせて問題を設計することができる。選抜試験として適切な内容、難易度を調整できる。これを、全国の受験生全体を対象として一括した選抜試験とすることにそもそも無理がある。また、数学の記述試験を公平に採点することは大変難しい。思考力や表現力を問う問題は、作問も難しいが公平な採点は更に難しい。数千人規模の採点をする大学では、予備採点をし採点基準を定めるまでにかなりの時間をかけると聞く。それを数十万人規模で実施し即座に結果を出すために、コンピュータを用いたマーク試験が採用された。
結果として内容的に易しいにもかかわらず差のつく作問が強いられることになる。どういう風に差をつけるか。とられた方針が、問題量を増やすこと、問題を煩雑にすることの2つである。簡単に言うなら、試験時間が3倍ほどあればセンター数学は平易な問題なのだ。ゆっくり落ち着いて考え、正確な計算ができればよい。(うんざりするほど煩雑で問題としての魅力は全くない場合が多いが。)ミスをしたら検算すればよい。それを60分で解答しなければならないから問題が起きる。問題を見て瞬時に解答方針をたてる。煩雑な計算もミスなしに1回で仕上げる。数学の問題を解決するために是非とも必要な試行錯誤の時間がそもそも与えられていない。そのため、計算の訓練と問題パターンの修得に受験生は時間を費やす。
生徒の中には、ゆっくり考える事が好きで、そのために理科系を選ぶものは多い。独創性ある解答を作る者や、綺麗で論理的にしっかりした骨格の答案を作る事ができる者など多様な個性がある。定型パターンの高速処理、これも数学処理の能力の一部ではあろうが、一部に過ぎない。マーク試験の根本の問題として、独自の発想や表現力を問うような作問はできない。作問者の用意した解答過程に自分の思考を沿わせることのみが要求される。そもそも、マーク試験では数学の理解や表現を確かめることは無理だ。と思う。
私は、センター試験の中で特に英語は、ある種の良い結果を与えたと思っている。修飾関係が複雑でパズルのような構文解析が必要な文章、大学のゼミ生ですら頭をひねるような難解な英文を日本語にする作業から、平易な英文の速読と大意の把握に重点が移ったことは大変喜ばしいことで、日本の語学教育は一歩前進したのではないかと考えている。しかし、実施時間に対するその量の多さは数学と同じ。問題の総単語数は4000を越す。分速50語では読むだけで80分かかってしまう計算だ。センターで得点を上げるためまず生徒に教えるのは、時間配分。国語も同じ。制限時間内に読まなくてはならない文章の量は半端でない。評論文と小説は共に四千~五千字、更に古典、漢文。難関大学に合格するにはこのようなテストで全体として9割以上の得点が求められる。速さと要領の良さが受験指導の焦点になる。そのような生徒が難関校の合格切符を手にする。情けない話だ。
高校教員が望む解決策は、だた一つ。選抜試験であることをやめ、資格試験に純化することだ。高校の数学を教科書レベルで一通り学習したら、ほぼ満点取れるテストにする。計算を容易にし、問題量を減らす。優秀な生徒であれば、時間をもてあます程度の内容にする。そのことによって、高校での数学教育は随分改善されると思う。特に、大学に進学し更に勉強しようと思うものへの数学教育をもう少しまともなものにできるはず。ばかばかしいトレーニングの時間を生徒に与えなくて済む。
もう一つの解決策。独自の作問力がある大学はセンター試験から降りる。以前の京都大学理学部のように。文系から理系までの学部を揃え一学年の募集定員が五百人を超す国公立大学では、センター試験を足切り以外には使わないことにする。残りの生徒を対象として問題内容を設計し直す。もしくは、文系学部では理系科目しかセンターを選抜に使わない、理系学部では文系科目しか選抜に使わないようにする。つまり二次試験実施科目と同じ科目のセンター試験は選抜に使わないことにする。
大学入試の選抜試験が何故このように過熱するかはまた別の問題として、少なくとも現行センター試験数学のばかばかしさから早く脱出すべきだと考える。工場の現場から企業や大学の研究室まで、創造力ある人材が豊富に配置されてきたからこそ、戦後日本の復興があった。そういう人材が枯渇することを危惧する。

『機会不平等』 (齋藤貴男) 文春文庫638

 この本が2000年に刊行されたのは驚きだ。規制緩和、ゆとり教育の問題点を的確に指摘している。ブッシュJr政権、小泉政権誕生以前であり、「格差社会」が流行語上位ランクされるのが2006年である。
ゆとり教育を決定づけた、三浦朱門・前教育課程審議会会長を取材しこんな発言を得ている。
「戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、出来る者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」
生きる力、新学力観などの美辞麗句の裏でその骨格を形成していたのはこのような極端な能力主義教育観だった。ゆとり教育が始まる以前に、教員のどれだけがこのような背景が見抜けていただろうか。私自身深く反省する次第だ。
 齋藤貴男はこの本で、新自由主義の本質を「優生思想・社会ダーウィニズム」として批判している。この本に対する物足りなさ、言い換えればこれから私達がかんがえて行かなくてはならないことは、なぜ私たちがこのような社会を許してしまったのか、踏み込むことだ。彼自身が述べている。「私はジャーナリストとして取材し報告する。かんがえ行動するのは読者だ」と。
私たちは、格差と平等について正面からかんがえることをずっと怠ってきた。例えば米国は、白人・黒人・ヒスパニック・・・等、鮮明に人種の区別があり、生物学的にも外見だけでお大きな差異があり、社会的にもかなり鮮明な経済格差がある。そこには深刻な差別も存在する。どうしても教育における平等の理念と正面から正面から立ち向かわざるを得ない。苅谷剛彦は『教育の世紀』で米国の教育政策について次のような報告をしている。人種間に経済資産、文化資産に格差は存在するが、各階層・各人種について能力の分散に差はない。従って教育における平等とは、経済資産・文化的資産の格差を補い教育機会の均等を保障することである。たとえば大学入試における Affirmative action (積極的格差是正)は有名である。
 日本では、部落解放運動の中で取り組まれた格差是正措置がほぼ唯一ではないだろうか。幼児保育から、高校教育まで被差別地域の行政による子供たちへの学習支援策がとられてきた。そしてこれらの施策は高校・大学進学率の一般地域との格差を是正するにあたり一定の成果を上げてきたように思う。しかしこれらの施策は、更に広く社会全体での格差是正策に一般化されることなく、格差の実際の縮小と時限立法である特別措置法の期限切れと共に後退してしまった。
(部落解放運動と教育支援策については、取り組みの歴史と成果についてもっと調べてみる必要がありそうですね。)
なぜ平等について真剣に考えずにここまで来てしまったのか。大きな理由は、例に挙げた米国などと比べ日本が人種的に均質な国だったことによると思う。縄文系・弥生系など人種的にある程度の差はあるが、髪の毛の色、肌の色といった極端な外見上の差異はみあたらない。生まれてくる子がどんな瞳の色をしているか日本人は気にすることがない。遺伝子の差異と平等について向き合わされることがなかった。また集約農業を基本とする農村共同体が日本人の土台を作ってきた。田んぼにはどの株も均質な稲が同じ背丈で同じ穂を付けて広がっている。人間もまた同じように均質な存在と見なしてきた。実際大陸にあり異人種の交流が数千年続けられた国と比べ、日本人の遺伝子上の差異は、少ないのだそうだ。(目を見張るような天才が少ないのはそのせいだと言う人がある。)そこから「能力の平等」の仮定が生まれ、戦後民主教育の土台を作ってきた。ややこしいことをかんがえないですむ、都合の良いたてまえであり続けた。
私たちは「優生思想」に対して無垢だ。大変危険な思想として封印し、遺伝的な多様性と平等について深く考えることを避けてきた。しかし、学校で教えていればすぐわかることだが、資質の差は実際には歴然と存在する。社会が行き詰まり、打開策として競争が煽られる時代が来た。教祖を校訂する根拠として、最初に引用した三浦朱門のように、いい加減で大変荒い「能力差」肯定の論理が出てきたとき、その批判が「優生思想」とレッテルを貼るだけでは、この流れを押し止めることはできないだろう。
「能力」の多様性と向き合った上で、本当の意味で教育の平等についてかんがえる時が来ている。

『みんなで一緒に「貧しく」なろう』齋藤貴夫対談集もおもしろかった。この本のタイトルになっているスローガンを私は全面的に支持する。ネオリベラリズムの発想はちょうどこの逆、「自分一人で豊かになろう」。

自分の子の入学式(2)

7月15日朝日新聞耕論「教師は聖職か」を読んで。ここでは違和感を少しずつ書いておきたい。

増田氏(教育ジャーナリスト、今春まで現役教員)
 いわゆるモンスターペアレントの対応について。苦情の増加によって、トラブルを避ける事なかれ主義が教育で増えているという。そして、保護者との信頼回復が第1であるとおっしゃる。確かに保護者の無節操なクレームは増えた。この論でも触れられている通り、これはどうも新自由主義の浸透とともに世界中に広まりつつある傾向のようだ。英会話を教えていた若い米国人教員が、(彼は南米、豪州での教育経験もある)どこでもそうだと言っていた。その対応を論じた本も数多く出ているくらいだから、全面的に論じるのはここでは手に余る。私の印象だけ述べる。
 保護者の対応も先述の生徒と同じで、教員の団結の隙を突いてくる。教員が互いに信頼し合い、また信頼に耐えうる仕事をしていれば、クレームの処理はそれ程手間なものでは無いはずなのだ。事なかれ主義も教員間で信頼関係があれば、それ程横行するはずがない。特に管理職と強い信頼関係があれば。保護者対応では、責任者=管理職を含めた組織全体の信頼関係が最も大切なのだ。フランスの例が引かれていたが、この例でもよく考えてみると、管理職が学校組織全体を信頼しているからこそ毅然とした対応ができるのであって、保護者を信頼しているからではない。教員は保護者に信頼してもらう前に同僚教員に信頼してもらわなくてはまともな仕事ができない。増田氏は、保護者との信頼関係を築くために夜に保護者会を開くべきとおっしゃる。また仕事を増やすのですか? その余裕があるなら、教員同士の宴会でも開いている方が、事態の改善に役立つと思うのですが。

真金氏(精神科医) 
 教員の精神疾患が増えている。その原因として、生徒の質的変容、処理すべき仕事の増加が指摘されている。これらを教員に任せきるのではなく、社会全体で考えていくべきだ。お説ごもっとも。その通りだと思う。だが、ここでも教員間の横の関係が全く指摘されていない。そして、学校教育が教員個人と生徒との関係で成立しているような書き方がされている。こういうとらえ方こそが、教員の精神疾患を生むのではないだろうか。
 一教員の仕事を最も良く理解できる立場にいるのは、教員室で机をならべ、共通の生徒を相手にしている同僚教員だ。年配の教員には過去の数多くの経験の蓄積が、若手の教員には新しい考え方とエネルギーがある。生徒の気持ちを理解することに長けた教員もいれば、生徒間の情報収集が上手な教員、問題生徒とわたりをつけることのうまい教員もいる。生徒とのトラブルを含め仕事上の問題点が教員室の同僚でうまく共有されていれば、共有できる関係が成立していれば、教員が精神疾患にまで追い詰められる事はそれ程無いはずだ。教員、長く共に仕事をする同僚教員に対する思いやりと暖かみ無くして、生徒に対する思いやりや暖かみが生まれるはずがない。全ての生徒から長所を発見し伸ばすのが教員の仕事であるなら、まず同僚教員の長所を伸ばし短所を補うことから始めなくてはいけない。教員が孤立するような学校で、まともな教育が行われているはずがない。
 
尾木氏(教育評論家、22年現役教員)
引用する。
『教員の仕事は聖職性が色濃い。それは子供の人生や価値観の形成に、深く関与せざるを得ない仕事だからです。』
『仕事を支えたのが同僚や先輩の親身な助言でした。』
『従来の「ナベブタ型」から「ピラミッド型」組織に近づき、大切な同僚意識が失われました。』
 職業は職業であって「聖」なる職業などあるわけがない。学校教員の仕事は、学校という局所的社会組織への参加のしかたとその内部での学習行為を指導し、その組を円滑に運営することである。職業人=プロフェッショナルとして、このことがきちっと遂行できればよい。結果的に人生や価値観形成に深い影響を受ける生徒もいるだろうし、全く何の影響も受けない生徒もいる。これは結果であって目的ではない。それを言うなら、従業員を雇用する経営者は従業員の人生に選り大きな影響を与える。社会に出て仕事に就いたとたんに、素晴らしい人間に成長する生徒はいくらでもいる。人は、成長の過程でそして長い人生でふれ合う他者から影響を受ける。これはあたり前なのであって、いちいち「聖」なる言葉をつける必要はない。
 職業的特殊性で言うなら、教員という職業は精神的な健康が求められることだろうか。肺結核を患ったお医者さんに治療行為が無理であるように。そのために必要なのは、教員が労働者としてまともな権利が保障され、それが行使されることだ。確かに人間との接触が仕事の職業である。精神的負担は大きい。だからこそ、労働者としてのまともな生活が必要なのだ。成長期の子供にとって教員は比較的身近に接することができる大人であり、成長モデルとして採用しやすい。そういう目で教員を見ている。教員は喜びのある明るい未来を感じさせる生活を自分自身がまず営むべきなのだ。民主主義社会での労働者としての権利はしっかり行使し、それを生徒に見せていくべきだ。あえて聖と言うならそれが教員の聖職性であろう。
 更に言うなら、教員は生徒の人生に影響を与えるなどと思うべきでない。快適な学校生活が提供できればそれで十分だ。学校生活を通じて子供が少しでも自己評価を高められるようにする。私の生徒指導の目標である。教員と生徒との出会いは偶然であり、かつ数年に限られる限定的、社会的なものだ。生徒に一生寄り添うことなど決してできない。「心の底から心配している」などたいていの場合欺瞞にすぎない。本当にその子の一生を思うなら、その子の一生に責任を負わなくてはならない。養子にして育てるか、結婚するか冗談抜きにその覚悟が必要である。それができない、これが生徒と教師の出会いの出発点なのだ。長い間教員の仕事をれば数千人の子供たちを教え、数百人の子供の担任をする。誰がその人生に責任を持てるのだ。教員が誠実に仕事をするためにはある種の冷たさ、言葉を換えれば冷静な認識が必要だと思う。子供と一生寄り添える存在、これは家族しかない。教員の仕事は、せいぜい子供と家族の出会いを修復することのお手伝いくらいだ。さらに、このことを専門とする社会組織はカウンセラーから果ては少年院まで、別にある。手に負えぬ問題はプロに委ねるべきで、それが教員としてのプロがすることだ。
 もちろん、学校を離れても未だつきあいの続く生徒はいる。生徒-教員の枠を越えて互いに一個人としてあらためて出会いつきあいを深めた。これは教員として嬉しいことだが、これもまた社会生活を通じてどこでも起きる当たり前のことだ。どんな職業でも、人間としての出会いがある。
尾木氏は教員時代、『時には、「問題児」とされる生徒の家庭を訪ね、深夜まで語り合いました。』と書いているが、教員をやれば多かれ少なかれ必ずしなくてはならないことで、特に誇るべき事でも珍しいことでもない。台風が来たので徹夜で田んぼを見ていました、というのと変わりがない。ここで違和感を感じるとすれば、彼の個人プレーの匂いである。先の引用でも、『助言をもらった』とは書いているが、共に仕事をしたと書いていない。この著名な教育評論家でも、教員の仕事を個人の仕事としか認識していないように思われる。悲壮感を伴った個人プレーはマスコミ受けする。いかにも生徒のためになっているように見える。しかし周囲の教員の立場と仕事が見えない、ヒューマニズム、ヒロイズムは実際の学校では限りなく迷惑な場合が多い。荒れた学校での生徒指導は先述の通り、教員集団全体のきめ細かい連携が欠かせない。その仕事の一つとして、また他の教員の仕事に支えられて「深夜の家庭訪問」が成立する。彼にどれだけ周囲が見えているのだろう。
その点で言うなら、組織がナベブタからピラミッドに変わったことが問題なのではない。縦糸が太くなって、横糸が切れかけていることが問題なのだ。繰り返し書いているように、現場教員の密接な相互関係が学校運営で最も必要とされるものだ。教員の横の関係がしっかりしていれば、必要なだけの縦の関係は自然にできあがる。その関係がナベブタかピラミッドかは対処しなければならない仕事の質から自然に決定され、形を整える。ところが、縦の関係を先に強めれば強めるほど横の関係は希薄になっていく。それは、双方向の縦の関係でなく、上から下の縦の関係だからだ。新自由主義とはそういう時代なのだろう。

『増補 教育の世紀』 苅谷剛彦(ちくま学芸文庫)を読む

 『階層化日本と教育危機』は面白い書物だった。十数年前、生徒達の変容の話題として、成績が正規分布から外れていくことがしきりに言われていた。小学校では地域によって、はっきり2つ山が出来る学校があると言われていた。調査と統計分析によって、そういう噂や憶測に鮮明な根拠を与えてくれたのが、苅谷氏の書物だった。家庭から子供が与えられる教育の格差が、そのまま学校教育での成績や意欲の格差につながっている。教育の機会平等を実現するには、こういう家庭教育の格差を政策的に解消する必要がある。これが苅谷氏の基本的主張である。
 文庫化された「教育の世紀」(ちくま学芸文庫)を期待を持って読んだ。主要には19世紀後半から20世紀前半にかけての米国教育思想のまとめであり、その点では面白かったのだが読後感がすっきりしない。なぜすっきりしないか考えた事をここに書く事にしたい。特に、この本の最終章は日本の教育批判に当てられ、そこでは前述の苅谷氏の主張が繰り返されるのだが、どうも実際学校で働く教師の実感から疎遠なのだ。
まず、興味深かった点から書くと、米国ではちゃんと議論していることがわかった。米国は封建時代を持たず、「人為的」に作られた特殊な近代国家である。国家を形成するにあたり、鮮明な建国理念を持っている。この理念を参照する事によって議論を進める事が出来る国だ。
30年ほど前、米国からのアフリカ系留学生に英会話を習った事がある。彼は米国の人種差別について厳しい批判を持っていたが、同時に建国理念のすばらしさについて誇らしげに熱を込めて語る。これは我々日本人にちょっと想像の付かない事で多いに驚かされた。
教育制度もまたこの国家建設の理念を参照しながら整備されていく。その過程を見せてもらったのは収益だった。
 逆にすっきりしない点で、まず気付くのは、語られている事が、教育学者の学説、政治家の主張、子供を学校に送る保護差の希望、学校で働く教員の主張、実現した教育制度の理念、こういったそれぞれ位相のちがう言説が同一平面で取り扱われている事だ。教育学会で主流となる考え方が、必ずしも制度的に実現するとは限らない。教員労働組合の主張が全教員の主張と重なりはしない。こういう点が峻別されていない事が、彼の本をわかりにくくしている。実際の日本の教育に関して彼の主張が実効性を欠く根本原因であると思う。
20世紀前半までの米国の教育と政治、大衆運動との関係はよく知らない。だからこそ、ひとつの教育理念を制度的に実現するにあたって、学者の思想、行政の政策と国民の運動、教員の取り組み、これらをきちっと区別して述べてほしかった。
さらに、日本の教育との対比で言うと、日本は1500年以上の歴史を持つ国で、特に封建制末期江戸時代には大衆に普及した優れた教育制度を既に持っていた。一方侵略の外圧から形成された明治政府、敗戦後連合国から与えられた民主主義と、近代国家建設に関しての鮮明な理念を欠いたまま成り立っている国である。国民誰でもが承認する基本理念を現実にわれわれはもっているだろうか。一学生が他国に留学しても熱く語れるような理念を。広く言えば国の近代化は一般には歴史的成り行きで、自覚的な国家建設をした米国がその中では極めて特殊なのだろう。
こういう歴史的背景の違いがあって、日本では教育理念、教育思想が深化しない。と言うか共通の了解を形成しづらいのではないか。米国と対比するなら、明治の始め教育制度がどのように整備されたか、どのような議論が、どのレベルでなされたのか知りたいところだ。
特に現行の日本の教育について、苅谷氏の批判が甘いのは、学会の主張と、文科省の主張、教員組合の主張などが単純に並列して論じられているからだ。戦後日本は、保守勢力と、労働組合を中心にした革新勢力のせめぎ合いで建設されてきた。基本は保守勢力の寄り切り。しかし労働運動を沈静化する必要からも、戦後直後は労働組合の主張も随分制度作りに生かされているはずだ。そのダイナミズムの中で教育の歴史を語らないと訳がわからなくなってしまう。1960年代初頭に80パーセントを超えた日教組の組織率は、分裂を経て現在30%を切って減少中である。
今、「学力」が政治の話題となり、学力向上、公立学校から有名国立大学への進学を可能にする教育政策が保護者から支持を得て展開されている。「学力が低いのは労働組合の所為だ」と文部科学省大臣が公然と発言する時代である。「学力向上」が票集めの道具になっている。これに対して、「革新政党」労働組合は国民を納得させられるような批判を全く行えていないままずるずると後退するのみである。苅谷氏の発言は、この状況とかみ合わせて読み取る事がどうしてもできないのだ。
 最後に、「学力」「教員の指導力」の規定が甘い。同じく近年文庫化された「学力と階層」(朝日文庫)の5章で教員の資質について論じた部分がある。教員養成系大学の入試偏差値と東大文Ⅰの入試偏差値を比べて、教員の資質低下を心配している。30年以上多くの教員の資質を見てきたが、出身大学の偏差値と教員としての資質の間に強い相関はない。断言できる。むしろその相関は弱まる傾向にある。教員の持つべき最重要な資質は生徒の心の動きに対する感応力であり、次に臨機応変な創造力であろうと思っている。学習指導の中身は本人に前記2つの資質さえあれば、教員を始めたときからで充分間に合う部分が殆どだ。その点では内田樹氏の「誰でも師たり得る」節に賛同する。教員養成系大学の入試偏差値から考えられる苅谷氏の教師像、学力観に多いに疑問を感ずるのだが。

教育に合理性を

 内田樹先生は、私がその発言を最も注目する評論家だ。多くの事を学んだし、ここに私が書いている事の大半は、彼の文章によっていると言ってもよい。しかし彼が繰り返し述べている教育に関するこの発言だけは納得できない。一言で言うなら、教育を神秘的に語りたくない。教育に関わることの大半は、分析的に合理的に語らなくてはならない。技術として洗練されなければならないと思う。
 まず、一つ目。教育の「効率」は実際計測されている。模擬試験の結果を「学力」というなら、業者が全国規模で実施する模擬試験の結果は細かくデータ化されており様々な加工が可能だ。予備校では受講生をどの講師が担当したかをリンクし、各講師が生徒の偏差値を平均してどれだけあげるかを数値化している。これに生徒からのアンケートの結果などを加味して給与が査定される。これがが年収にして数千万の差を生む場合がある。
 「影の文科省」ベネッセは少なくとも全国30%以上の高校生についてその模擬試験の結果を生徒個別に把握しており、全国の高校がそれぞれどのような学力集団を入学させ、卒業させたかをデータとして握っている。ベネッセは高校毎に生徒氏名を生年月日で分類し識別している。センター試験受験者の大半はベネッセに自己採点結果を送る。その結果とそれまでの模擬試験の結果をつなぎ合わせればよいのだ。彼らは高校の「教育力」を知っている。伸ばしたのか、伸びる生徒を集めただけなのか、詳しく見ればきりはないが。(ベネッセコーポレーションが持つ教育への影響力はあまり表に出てこないが、強烈なものだ。ちょっとした発言で大学一校潰すだけの力がある。が、これは別の話題。)この大学受験用の模擬試験、最終結果であるセンター試験のデータのもと、高等学校は学校間競争を煽られ続けている。
 教員評価制度は既になし崩し的に持ち込まれ、全国一斉学力テストの実施は拡大されつつある。今後、予備校が行っているような査定が、初等教育にまで持ち込まれる可能性は十分にある。有効な批判のないまま事態は文科省の思い通りどんどん進行している。学力テストの結果のもとで、地域間、学校間、教師間で競争が煽られる。これに歯止めをかけるため、何をしたらよいか。全国一斉テストでは、単なる学力以上に応用力問題解決力を問う設問が工夫され、分野別得点傾向まで集計され公表される。巧妙である。「こんなテストほどほどできてればいいじゃないか。大切な事は他にある。」と全国の子を持つ保護者を納得させるのは大変な事だ。
 次に、気にかかること。教育は、人間形成、思想形成に関わるものから純粋に技術的なものまで多様な側面がある。そして教育のある種の分野では、確かな知識や緻密な分析、精巧な教育技術が必要とされる。 内田氏がよく語る「誰でも教師になれる」はかなり特殊な状況でしか成り立たない。猫踏んじゃったしか弾けない人にハンマークラビアソナタを教わろうとは思わない。高尾山しか登った事のない人に冬の北アルプス登山を指導してもらいたくない。音楽の力に気付くきっかけを与えてくれるかも知れない、山の魅力に引き込まれるかも知れない。でも求めているのはたしかな技術の効率のよい伝授だ。
 中学高校時代私は英語が嫌いだったから、露骨に英語の楽しさを伝えようとする教師が大嫌いだった。私が望むのは、できるだけ短時間に効率よく英語を教えてほしい、また短時間に効率よく英語を習得できる技法を伝えてほしい。それだけだった。
 ドイツの芸術大学では、芸術家となるためのコースと芸術教師になるためのコースが完全に分離していると聞いた事がある。そんな当たり前の事が日本では行われていない。全国の数学教員のうち、教育学部数学教育学科出身のものがどれだけいるだろう。
教育を技術として洗練させてきたのは学校教育よりは、その結果で経済的利益を得る学習塾・予備校だ。先のように徹底したデータ管理で効率を追求してきた。その結果は侮れない。本当に効率を求めれば、学習対象の本質的分析と、学習心理学の探究に行き着くからだ。別の場所でも述べた『ドラゴン桜』はその方法論の集大成で、読んで納得できるところは大変多い。また、予備校の中には「SEG」などのように大学数学を見据えた本格的な教育を行いながら抜群の「難関校」合格率を誇るものも現れている。
 予備校で「カリスマ」と呼ばれる講師には国語の講師が多い。言語能力の涵養は学習指導の中で最も難しい。勉強すれば出来るようになる生徒と、いくら勉強しても伸びない生徒に二分解してしまう。方法論について最も光の当たらない分野、もしくは方法論の提示が最も難しい分野だと思う。だからこそこの分野で幾分か技術的洗練を積んだ講師は「カリスマ」と呼ばれる。
 三十余年高等学校で数学を教えてきた。数学は国語にくらべれば遥かに教えやすい。それでも各分野、各項目で教え方の工夫は無限にある。教室で生徒と50分セッションをする。その方法の工夫、技術的洗練もまたつきる事がない。生徒に数学学習方法を教える。方法そのものの検討、学習技法を伝える伝え方も考え出せばきりのない事だ。生徒の自発的学習に向けてエネルギーを集中させ点火する、これも教育技術だ。
 こう言った事を、大学の数学科では教えてくれない。自分自身が受けた授業を思い出しながら手探りで、周囲の教員と議論しながら少しずつ工夫を重ねる以外無かった。幸いそういう環境で過ごす事ができた。できなければ、「教わったようにしか教えられない」。だから教育現場はなかなか変わらない。
 別項で述べたが、英語の初等教育への導入など、教育技術への無反省の典型だ。それに振り回される子供たちは不運としか言いようがない。
日本は格差社会である。ある種の家庭に育った子供は、中等教育で与えられる課題をどう効率的に吸収したらよいか、既に知っている。能力の問題としてではなく、文化として身につけている。その中には学ぶ意欲そのものさえ含まれる(苅谷剛彦)。この格差は、民間教育機関への数百万円の投資と数千時間の消費をもってしても埋める事が難しい。この部分こそ、最も光をあて分析的に語るべき事ではないか。教育技術を洗練していけば、学習時間の単なる量的増大が無駄であり、むしろ逆効果である事、特に教員が生徒を拘束し上から伝授する時間を増やす事のばかばかしさが広く認知されるはずだ。
項をわけて論じなくてはいけないが、我が国には「能力の平等」という強力な建前がある。その中で唯一、努力する能力は評価の対象として公的に認知されている。努力の量で評価したとき皆安心してそれを認める。学習でもスポーツでも芸術でも努力を求める。自己犠牲的努力が美化される。教わる側も教える側も努力の量的拡大に走り出すと止まらない。近年の「お受験」「お稽古」「部活」の過熱。これによって子供たちが失う時間がどれだけ無駄か。
 物事を達成するに必要なものは
 遺伝的に身についている素質
後天的に獲得した資質 (この2つを峻別する事は難しいが、でも両方ある)
方法の合理性
努力量
これらの要素の積として物事の達成がある。こういう当たり前の事が教育の世界ではなかなか認知されない。

 教える事、学ぶ事を偶然にゆだねたり、神秘化したくない。可能な限り分析的に語り続けることが、学問の解放、格差社会の解消につながる。精神主義を排し、教育に合理性を。

努力

 「努力」という言葉が、嫌いだ。いや、努力が嫌いだ。好きなことをするとき、人は努力しない。努力して徹マンする人はいない。無理矢理つきあわされて、煙草の煙と眠気を我慢して努力してつきあう人はいるのかな。ゲームをするとき、熱中する、没入する、浸る、ハマる等とは言うが努力してゲームをやる人はいない。バグ取りのため仕事としてゲームをやり続ける人はいるかも知れないけれど。北岳山頂に到達するのに、苦労はするが、登山を楽しむ人にとって急斜面を登ることはは努力ではない。「努力」は自分では気が進まないことに無理矢理力を注ぐ時に使われるように思われる。学習に於いてもそうだ。自分が得意な科目を学習しているとき、集中はしてもあまり努力している感覚はない。苦手な科目、嫌いな科目の学習を強いられたとき、「努力」が必要になる。
ところが、教育の世界で「努力」はどのような立場からも、肯定的に評価される。君が代賛成派も、君が代反対派も、「努力」は同じように賛美するのではないだろうか。逆に言えば「努力なんてしなくていいよ」とか「のんびり暮らせばいいんだ」とか言う教員にはあまり出会ったことがない。そもそもそういう人は教員にならないのだろう。日本の教育界は「努力」礼賛世界である。
 「努力は人を裏切らない」
 「努力なくして成功なし」
 「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」
とか、努力を巡る標語は教育界に満ちあふれている。
戦後教育の平等思想は、能力の平等を前提としてきた。子供たちが持つ能力の多様性にまっすぐ目を向けることは大変難しい。安易な土台の上で単純に「能力差」を語れば、優性思想に流れる。生々しいナチスドイツの記憶がある。この問題を敢えて回避するために登場したのが、「能力平等」の仮定だ。取り敢えず民主教育を出発させるためにとった措置としては、大変誠実なたいおうだった。しかし、一方で蓋をしたため、子供たちの能力多様性について充分考えることなく約70年過ごしてしまったことは、私たちの怠慢と言う他はない。新自由主義教育の露骨なそして単純な「能力差肯定論」に教育は足をすくわれようとしている。
「能力平等」を仮定するとき、現実に現れる成果の差を表現するために使われるのが「努力」という言葉だ。成績が悪い子供に対して教員がまず言う。
 「努力が足りない」
 「やればできる」(努力すればできる)
要するに、成果が出ないのは努力不足というわけだ。この言葉は子供たちを励まし希望をあたえるだろうか。結構一生懸命やっているのになかなか成果が出ないとき、「やればできる」と言われるのは随分哀しいことだ。嫌いなことや苦手な事について「努力不足」を指摘されるのも辛い。
「ちゃんと努力すれば、あなたも鉄棒で大車輪ができるようになります」確かにそうなんだろう。けど余計なお世話だと言いたくなる。私は器械体操が嫌いだ。不得手だ。時には、「やってご覧」といわれてやるだけで大車輪ができてしまう子供がいる。実際いた。
「努力が足りない」は、実際には多くの言葉に言い換えが可能だ。
 ・訓練(トレーニング)が足りない
・訓練の方法が悪い
 ・訓練を始めるための基礎力に欠陥が含まれているから、学習項目を遡らなくてはいけない。 ・この科目を嫌っている、意欲を欠く
 ・適性を欠く
努力を賞賛し、成果が出ないことを努力不足と切り捨てることで、教員は子供たちの能力多様性に蓋をする他にも、多くの合理的分析の可能性を捨象してしまう。別項で述べたが、日本の教育界が合理性をなかなか導入できない根本原因の一つがこの努力礼賛なのではないかと思う。
その上悪いことに、努力は結果よりも量で評価される傾向がある。膨大な努力を費やすことは、それ自体が美徳なのだ。合理的な学習法をもって短時間で結果を出すことより、闇雲な努力によって目標を達成する方が価値があるように言われるのも教育界一般の風潮だ。みんな「巨人の星」が好きだった。更に、目標が達成できなくても、費やした努力の量は社会で評価されるからそれに満足して諦めなくてはならない。教員自身も努力礼賛にしばられているから、勤勉だ。労働基準法の限界を超えて日本中の教員が働く。子供たちにできる限り手をかける。こうして学校は暗く消耗な場に転落していく。
Always the teachers seemed way overworked.
  It was kind of sad watching, “exhausted” teacher teach “exhausted” students.
外国人教員から見るとこういうことになる。
http://en.rocketnews24.com/2014/02/24/is-japan-overworking-its-teachers-one-exhausted-educator-says-yes/
努力の肯定は、努力競争の肯定であり新自由主義教育の根本を支えることになる。日本の教員が殆ど何の抵抗もできないまま、新自由主義教育政策が推し進められていく根本原因がここにあるのではないかと思う。
 高校広域学区制、義務教育学校自由選択制、学力テスト結果公開、教員評価制度、・・
高等学校は公立、私立問わず熾烈な学校間競争に晒されている。そしてこの場でも、手段の合理性よりも、努力の量がアピールポイントになる。つまり子供たちを努力させるために教員がどれだけ努力しているか、を競い合う。
「努力」の類語に「我慢」「忍耐」と言う言葉がある。「我慢して努力しなさい」「努力とは忍耐のこと」等々。つまり努力は自己否定をともなう。努力の礼賛は自己否定の強要だ。子供たちが暗くなって当然。のびのび育たなくて当然。
 子供たちの成績を伸ばすのに、「苦手科目を克服しろ」と指示するより「得意科目を伸ばせ」と言う方が遥かに効果がある。「努力」は嫌いだが「熱中」「集中」は好きだ。好きなことを探せ。好きなことに熱中せよ。我を忘れて集中せよ。こういう自己肯定的な教育が実現することを願う。「のんびり」「ぼんやり」「ものぐさ」を評価しよう。
 ものぐさ数学の森先生にはもう少し長生きしていただきたかった

教育と学校

 教育とは、共同体存続のために共同体の文化的蓄積を次世代に引き継ぐ行為である。これはある意味で暴力的な押しつけである。しかし、共同体が現在まで存続できたのはその文化的蓄積によるわけだから、これは充分正当な根拠を持った押しつけ行為だ。そして、共同体の文化的蓄積を引き継ぐこと、共同体の存続を担う一員であること、共同体の一構成員として個体が生き延びること、これらはかつて同じことを意味していたはずだ。
別項で書いた「昨日までの世界」(ジャレド・ダイアモンド著)は、ニューギニアの狩猟採集民の文化を現代西洋文明と比較して論じた示唆に富む書物である。狩猟採集民にとって、子供と大人が共に過ごすこと、それが教育だ。成長に応じ子供を生活に巻き込んでいくことで大人は子供を教育する。教育の仕方も教育する。歴史や物語(同じものだと言う方もいるが)、つまり言語による伝承は、夜寝るまで火を囲んで延々と語られる会話の中で伝えられていくそうだ。子供たちにとって、毎日の生活そのものが学習だ。考えてみれば当たり前のこの事実が忘れられかけてはいないだろうか。教育とは、共同体が生活することそのものに組み込まれ実現されてきたことなのだ。
 原始共同体のこのような教育行為は分業が進み国家が形成され変質していく。共同体の構成員全員が全ての知識を均質に共有することは、原始共同体でもあり得ないだろう。呪術師は呪術の伝承を特別な個人に行ってきたはずだ。それが共同体から国家へ社会の質と規模が変容する過程で文化的蓄積の伝承も分業されていった。特に、文字文化の成立が教育の質を転換する契機になったのではないかと思う。文字文化の伝承は日常生活を年長者と共にするだけでは不可能だから。文字文化は、長く共同体の普通の生活を離れた支配階級と特殊技能者集団(宗教者とか)によって伝承されてきた。それが近代大衆化するところで「学校」が生まれた。
 私は、江戸時代の「寺子屋」をイメージしている。歴史を専門にしないから断言はできないが寺子屋はおそらく世界で最初に社会的に広く普及した文字文化の大衆的教育機関だ。しかし、江戸時代の農民(9割が農民だった)にとって、寺子屋で修得するものは、当時の「教育」全体、つまり農村共同体を維持存続するために必要な文化的蓄積の総体、のなかでどれだけの割合を占めていただろう。「寺子屋」で修得できるものは、大人になるために必要な事柄の一部に過ぎなかったはずだ。共同体の構成員となるために身につけるべき社会的おきては当然として、人間が言語を習得し他者と感情を分かち合い共に暮らすための技能の全てを子供たちは大人集団と共に暮らすことで修得してきた。私たちは「寺子屋」という優れた教育機構に目を奪われがちだが、寺子屋では教えられなかったこと、寺子屋以外で教育されてきたことの総量に目を向けるべきではないかと思う。
寺子屋で儒教を習う。それによって子供たちが共同体の倫理を身につけたわけではない。子供たちはまず他の共同体構成員と共に生活することによってまず自己を形成する。寺子屋で伝えられた「儒教」により共同体の倫理は体系化され変質していっただろうが、それは大きな時間の流れの中の話し。文字文化の浸透大衆化により共同体はゆっくり変質していった。個人に対する文字文化の教育による「効果」と、文字文化の教育による長期的な目で見た社会の変容は別の次元の話である。
 その事実は、明治時代「学校」が誕生しても変わりはしない。「学校」は教育の一部を形成するに過ぎない。「学校」は文字文化の伝承を基本目標とする機関である。学校もまた一つの人の集まる場、コミュニティーであるから、共同体のもつ教育力の一部となり得る。しかし、あくまで一部なのであって、学校が我々にとって必要な教育の全てを担うことなどとうていできない。日本語は誰がどこで教えているのかを考えればすぐわかることだ。
 これは、私が34年教員をして実感することでもある。学校は生徒の人間としての教育に全面的な責任を持つことなどできはしない。また、「プロ教師の会」が言うような、「近代的自我」(仮にそのようなものがあるとして)を形成する場などではない。ようやく文字式の処理ができる程度の子供を、近代解析学の入り口に連れて行くことは、できる。そのための制度が整っている。他者の気持ちが読めない子供に、他者に共感する心を育てることは、できることがある。生徒相互、教員と生徒の接触の中で偶然成長する生徒もいる。しかし、そのような制度は学校の中にない。
 そう考えてくると、教育の抱える根本問題が見えてくる。制度としての「学校」はこの100年大して変わっていない。変わったのはその外側の社会の方だ。かつて、文字文化以外の教育を担ってきた、家族・共同体の生活が失われつつある。そのことによる矛盾を学校の教員は無理矢理引き受けさせられている。いじめ、学級崩壊、無気力、これらは学校の責任ではないはずだ。
 私たちの選択肢は基本的に2つ。
1.これまでの社会に代わり、学校が人間教育の広い部分に責任が持てるよう、学校制度を根本的に取り替える。例えば、子供たちは全員寮生活をし、生活の全てを学校が「教える」。農場などを持っていて、擬似的には独立した共同体をつくる。
2.社会が子供の教育力を持ち得るよう社会の改良を試みる。生活に密着した中間共同体の形成を試みる。
 こう考えると、1と2は同じことを希求することになりそうな気もする。

さて、もう一つ教育の根本に立ち返る問題がある。かつては同義であった、共同体の存続を担う一員であることと、共同体の一構成員として個体が生き延びることの間に現在は大きな溝ができあがっている。かつては、共同体を維持存続させるための知識が教育の中に盛り込まれていた。(盛り込まれた共同体だけが生き残った。)現在、100年後の地球がどうなるかそのような配慮を全くしなくても、現代社会で生き延び成功する道はいくらでもある。
厳しい自然条件の中で共同体が存続していくためには、多くの知識と経験の蓄積が必要でありそれに失敗した共同体は崩壊していった。同じくダイアモンド氏の著作「文明崩壊」にはその事例が数多くそれも詳細に分析されている。現在まで存続し得た共同体は、その維持に関して正しい知識の蓄積をなしえたものに限る。滅びた共同体は数知れないのだ。ダイアモンドによれば、森林伐採に関して厳しい禁忌を定めることで、日本は鎖国を維持することができたと言う。
 今、経済の規模が地球全体を覆い、世界全体で資源が分配されているとき、50年後、100年後、人類の存続を前提とした教育はどこの場で行われているだろうか。

子供集団の消滅

 海辺の僻村を旅行した事がある。戦後しばらくして自動車道路ができるまで、物資の輸送は船しか頼るものがなく、それまでは主食として芋を食べる事が多かったと聞いた。民宿の部屋に落ち着くと子供の歓声が聞こえる。窓の外を見ると、すぐ先に小さな漁港がある。晴れ上がった夏の日、堤防の先端に子供が集まり飛び込みながら遊んでいる。子どもたちの甲高い声は暗くなるまで続く。自分の子供時代を思い出した
学校から帰ると、近所の子どもたちが集まって遊ぶ。それ以外にする事がなかった。昭和30年代の地方都市近郊。学習塾はない。テレビはお金持ちの家に入り始めていたくらい。算盤塾や音楽教室に通う者はいたがそれも週一回くらい。暗くなる頃、ご飯ができたと母親が呼びに来る。 集団の構成は偶発的流動的、何をやるかもその日次第。ここで沢山の事を学んだ。様々な遊びのルール、やり方、勝つための戦略。模型飛行機の作り方、コマのまわし方、凧の飛ばし方。「肥後の守」(子どもたちが持つのを許された小型ナイフ)を使った杉の実鉄砲などの細工の仕方。いたずらのしかた。どこまでだったら許されて、何をすると大人が本気で怒るか大体年長者が教えてくれた。
「缶蹴り」は全国に全国で行われていた様だ。様々な地方の出身者に聞いてもたいてい知っている。空き缶が手近にある時代に広まったのだろうけど、一体どうやって。
中学生になるとクラブ活動が忙しくなるので、上は小学六年生から下は幼児まで。小さい子は見ているだけ、次に参加できるけど大目に見てもらって、(「みそっかす」と言う言葉があったな)一人前の能力を認められてはじめて台頭に遊びに参加できる。そういう事を年長者が定める。人間関係についても独自の規範が成立していた。当然、喧嘩もある、仲間はずれもいじめもある。しかし、限られた仲間でずっと遊ぶのだから、どこかで解消され集団は維持されていた。
 昭和を美化してますね。しかし思い返してみると子どもたちの「おきて」は厳しく集団への同化の圧力は強かったように思う。私の両親は都会育ちでその地方への流入者だったし、狭い住宅の一角を文学全集がぎっしりと埋める「インテリ」だったから、その地域の同年代の友人たちから受ける同化圧力を身にしみて感じながら過ごすことになった。言葉遣い一つで排除の対象になる。必死でその地方の子供社会を統制していた「おきて」規範を学ぶ。子供社会にはいる時に感じた抵抗感が日本近代化の始まりなのだろう。この縛りを振り捨てようと日本人はもがいてきた。その後に何が残ったか。何を作れたのか。話は飛ぶが、この点で村上春樹の作品が共感を呼び、人気を博しているのだと思う。
 この子供集団のルールが学校に持ち込まれ、学校での児童生徒集団の基本ルールになっていた。自分たちが既に身につけている、または学びつつある社会ルールを学校という場に拡張していく。学校はより広く、公共性の高い社会集団への参加の仕方を教えてくれる。この子供集団が都会では近年本当になくなりつつある様だ。失われたものを挙げてみたい。
一、社会集団に参加するための基本ルールを学ぶ場が学校外から失われた。
 高校生になっても、自発的な集団形成をなかなかしてくれない。個人が個人のまま集まっている。まるで幼稚な人間関係のトラブルが多発する。いじめや仲間はずれは昔からある。中学生、高校生にもなれば随分ひどい事もしていた。それでも今の様に問題にならなかったのは、その限度と納め方もまたお互い何となく知っていたからだと思う。暴行を加えるにしても、相手がどれくらい苦しむか知ってやっていた。だからこそ、とてつもなく残酷な暴行もあった。有効に痛めつけるのも文化だ。今の子は、それをしたら相手にどれくらいこたえるか、本当に知らずにやっている場合がある。
一、相互に顔を見ながら関係を作る、人間関係の基本を訓練する場が失われた。
 他人の立場、考え、感情を理解する能力がどんどん落ちていく。言語や他人の感情は脳内の特定部位で処理されるらしい。生物学的にその能力を備えていても、言語でもそうである様に訓練しなければ機能しない。生身の顔から見つめられる事、見つめる事は人間にとって特殊な体験で、これを特殊なものにしているのが、人間と他の動物を区別する者ものだと聞いた事がある。
大人でも直接会いづらいから、電話する。電話でも話しづらいからメールする。生身の人間が出会うのは特殊な体験だ。テレビを見つめても、テレビの登場人物がこちらを(テレビカメラを)見つめていても駄目なのだ。そういう対人関係のスキル、人間が人間であるための基本をトレーニングする機会を現代の子は失いつつある。
一、対等な立場で自分を表現し、他者の表現を受け入れる言語トレーニングの場を失った。
 遊び集団の子どもたちの声は大変やかましい。必死で自己表現し、自分を正当化する論陣を組む。相手を非難する。昔の子はこれを毎日延々と繰り返していた。遊んでいる子が一日どれくらい発話するか、誰か統計を取って欲しい。現代の都会の子は、学校帰ってきたら一休みする間にちょっとゲームやって、塾やお稽古事やって、また家帰ってきたらテレビ見て学校と塾の宿題やって。接する言語は大人から子供への一方通行、テレビも一方的な情報の押しつけだ。自発的な発話をどれだけしているだろう。自分の論理を構築する体験をどこでするのだろう。
一、集団の中での自分と他者とを知る機会を失った
 遊んでいればその集団の中で互いの個性がはっきり見えてくる。運動能力の優れた子がもちろん一番尊敬されるのだが、人間関係をおさめるのが上手い子、新しいアイディアをどんどん出してくる子。人間の多様性と、社会での自分の特質を最初に知る場が子供の遊び集団だった様に思う。小さい子も参加してくる。体の弱い子もいる。行動の遅い子もいる。これらの子に集団の中にどう組み込んでいくか年長者(と言っても小学校高学年)は配慮しながら行動していた。こうして集団を組みながら、他者の長所短所を知りそれと協調することを学ぶ。また、自分を知り(というか嫌と言うほど知らされ)社会との折り合いの付け方を学ぶ。
近年アスペルガー症候群と診断される子供は急増している。しかしこれは、「先進」国に特徴的な事で、発展途上国には見られない現象らしい。「変わった子」はいたが、それぞれ子供社会で、学校で程よい位置を得ていた様に思うのだ。幼児期に社会に接する事で個性に応じた社会性の基礎を身につけまた、集団全体がそれぞれの個性を包摂する事を学んでいたと思う。もちろん程度の問題はあるけれど。
若者が「自分探し」をし始めたのも、子供社会の喪失と連動している様な気がする。幼い頃に「身の程」を知る、知らされる体験をしていない世代だ。

一、自分たちでものを作る文化が失われた
 遊びは創造だ。集まってくる子供は日によって違う。手に入るものもちがう。毎日何らかの工夫が必要になる。
一、遊びながら身体の可能性を知り自然に基礎体力を訓練する場を失った
子供がスイミングスクールに親のベンツで通う、ジョークでもなくごく普通の光景になってしまった。
一、自然との接点を失う
 その上、私の場合その遊びの場が里山に隣接する新興住宅地だったから、里山と畑と田んぼが遊び場であり自然とふれ合う場であった。メダカ、ザリガニ、カブトムシ、随分の数とったと思うが、それでもまだいくらでもいた。キノコを採った。ヤマユリ掘って庭に植えた。風呂の焚きつけ用に松ぼっくり拾い小遣い稼いだ。里山に入りそのにおいをかぐ事で季節を感じていた。
 数え上げればきりがない。この体験を子どもたちから奪った代償をどう払おうか。

高校生の男子コーラス

 高校生男子の合唱を聴く機会があった。これがうまい。ハーモニー抜群。日本語の歌詞を踏まえた表現力。声量豊かで迫力がある。こんな経験をしたことがなかった。
 私の高校時代からは想像もつかないことだ。当時だって上手い合唱はあったのだろうけど、時代が変わった気がする。音楽文化の定着だろうか。西洋音楽が日本に入って百年ちょっと。これに対して40年は長い時間だ。世代にして1世代から2世代。クラッシックでも個性的な若手演奏家が登場している。大学ジャズ研の演奏を聴くと、軽くアドリブを続ける学生ピアニストが結構いたりする。日本で西洋がより深く根付いてきた。親子三代かけて初めて趣味人になれるというらしい。明治百年から更に半世紀が過ぎた。
それはさておき、気になるのが、高校生達の素直さ。ロマンティックな曲を心を込めて歌う。明るい笑顔でダンスを踊る。この純情さ。他の稿でも書いたが、この素直さ、純情さは、私が仕事をしながらも特に今世紀に入って気になっていたことだ。生徒達は感動を求めている。学園祭に熱心に取り組む。指導はしやすくなっている。無垢な存在だから簡単に染まる。
 私が若かった頃、こういう大人から与えられたもの、他から与えられたロマンティックなものへの反応は、「破壊」「拒絶」「しらけ」。「しらけ」ていたと思う。そういえば、最近「しらける」って言いませんね。「自由」という言葉も聞かなくなったけれど。
60年代から70年代の若者文化は、既成のものを拒否する。独自性にこだわる。覚醒を求める。理想化して言えば。少なくとも当事者はそれを夢みていた。自由とはそういうことだと思っていた。内部から自己変革を繰り返し破滅に向かって突き進んでいく当時のモダンジャズは理想を実現しているように見えた。むつかしい顔をして、大音量で鳴るアルバートアイラーに聞き入るものが本当にたくさんいた。叙情的なるもの、ロマンティックなものは、現実を美化しその矛盾を隠蔽する体制的の補完物とみなされ、拒絶することになる。既存のもの、上から与えられたものを拒絶するのは、「主体的」行為である。自ら行動しようとする「主体」は自由を望む。既成概念を拒んだけれども、何も新しいものを作り出せないとき、作り出せないことに気がついたとき「しらける」ことになる。自由を求めるけれど、手に入れた自由の中でどう行動すればよいかわからないとき「しらける」。
 こういう全共闘世代の主体意識も、今思えば随分怪しいものだ。あれから半世紀何が生み出されたかを見れば良くわかる。「全共闘」を振り返る書物の大半は、当時を叙情的に美化している。根底から拒否していたはずのロマンティシズムにどっぷりつかっている。痛みをこらえて自らを腑分けし、否定すべきものをとりだし、次世代に伝えるべきものを残す、こういう作業をしたものがどれだけいるか。この文句も、書くときりがない。
 では、今の若者は全共闘世代の主体意識を越えた地点に立っているかというと、これも怪しい。かりに幻想かも知れないけれども芽生えた、「主体意識」が退化したところに、今の若者がいるように思えてならない。社会性の欠如、自我の未成熟。
 全共闘世代の文化は、崩壊の進む地域共同体からの抵抗のアピールだった。ところが、全共闘世代は「自分たちは新しい」と思っていて、自らの出自が地域共同体の倫理意識にあることに無自覚であり、以降の社会の変容に対し抵抗力を持ち得なかった。英国サッチャー政権、米国レーガン政権が先陣を切った世界的なネオリベラリズムの大波に呑まれる。
 今の子供たちに、地域社会がない。自我形成をし社会を疑似体験する子供集団がない。こうして純真無垢な若者が育つ。(正確に言えば、そういう子供たちの割合が年を追って増加している。)資本主義社会の消費者として自立している、という論調を私はあまり信用しない。というか生徒と接した実感として感じ取れない。自我はあくまで他者との実体的な出会いによって、生の言語交換によって形成される。その体験量が絶対的に不足している。仮に消費主体としてもちっぽけな主体だ。本当に若者が経済合理性に貫かれて行動していれば、全く違った社会が形成されていると思うから。
 いじめの問題にしても、こういう視点から入るべきだろう。一つのクラス、一つの学校である一定の倫理観を共有する集団を形成することは、以前よりかなりたやすくなっている。染めやすくなっている。そうだとすれば、いじめは、統率する教師集団が、生徒集団に対しきちっとした倫理体系を構築する能力があるかが第一の問題なのではないかと思われる。優れた指導者がいれば、美しいコーラスができる高校生だ。素直にロマンティックな感動を作る高校生だ。生徒は涙と感動を求めている。40年前の高校生より遥かに強く。
日本の地域共同体が作り上げてきた倫理観は、それ程簡単に失われるものではない。若者は変わったという論調がある一方で、「日本人論」はこの50年あまり変わったことを述べていない。
「出る杭は打たれる」「表現力がない」「個性がない」云々。グローバリズムの時代を迎えても日本人は日本人なのだ。共同体の倫理は無意識のうちに(ユング的な)伏流として必ずある。それを表面に引き出すのはそれ程難しい仕事でない。自分がやって来た仕事の実感としてそう思う。
一方、無垢で染めやすいということは、どうとでも染まるということである。流行に対する抵抗力がない。当然、ファシズムへの抵抗力もない。中間共同体の欠落はファシズムへの第一歩だという。高校生の美しいコーラスはそういう怖さを感じさせる。
 こういう時代だからこそ、、教育の本来の役割である新たな時代を切り開く主体形成が求められている。教員は、染めやすいことを利用して、暫定的に倫理的な空間を確保する一方で、子供たちの社会性を育てる仕事をしなくてはならない。他者の存在を認め、他者をそれなりの形で理解し自覚的な集団を形成する技量を養う。これが、現在の教育に課せられた課題だ。学校は、教育の一部であり、一部に過ぎない。学校で無理だとしたら、誰が何所でやるか。
 見事な合唱を聴きながらこういう事をかんがえた。

緒方洪庵

扶氏医戒之略(緒方洪庵訳)安政丁巳(1857年)春正月
一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

緒方洪庵が医師の理念として、塾生に与えた有名な訓戒。ドイツ人医師の書物をオランダ語訳したものからの抄訳。江戸末期、知識人の倫理的到達地点を示す文章。
 百十年後に日本で起きた学生運動は、ここから先に何歩あゆんだのだろう。更に四十年たって我々はどこに立っているのだろう。民主主義、キリスト教、マルクス主義、明治以降様々な思想・宗教・哲学が輸入されてきた。言葉としてそれらを読み、「理解」したとしても、自我の構造をどれだけ転換できているのか。 ここに述べられている自己犠牲の倫理を支えるのは、キリスト教の神ではなく、江戸時代を支えてきた村落共同体の掟、それに論理的基盤を与えてきた儒教思想なのだろう。以降、日本人はおなじようにして聖書を読み、マルクスを読んだ。
 思想や哲学を「学ぶ」「理解する」とはどういう事なのだろう。またそれによって自我の構造そのものを更新する事ができるのだろうか。聖書が翻訳されたとき、 righteousness(私は英語以外の外国語を知らないので、本来は古代ギリシャ語)は「義」「正義」とされた。儒教の仁、義、礼、智、信の義とどう違うのか。言葉での説明はされるとしても、私たちは西欧のキリスト教徒と同じように「義」を捉える事ができているのだろうか。
この緒方洪庵の文章を最初に読んだとき、全共闘を体験した私より多少上の世代の語り口を思い出した。同じではないか。彼らはその倫理的基盤を求めて彷徨する事になる。実体としての農村共同体は崩壊の過程にあり、規範意識だけが宙に舞う。全共闘運動と同時に流行した「任侠」映画もまた、行き場を失った共同体意識が生み出した物のように思える。実際、当時の「左翼」「新左翼」党派の振舞いは、ヤクザのそれと酷似していた。この「左翼」の政治的な駄目さ加減はその後の教職員労働組合の盛衰とも大いに関係している。
 私たちは、高校、大学で倫理・哲学・社会思想などとして、西洋哲学については多く学ぶ機会を持っている。それに比して、東洋思想、特に江戸時代幕府公認の思想として、武士から庶民まで広く普及した儒教思想について、これを対象化する作業がどれだけできているだろう。性、理、気、義、私たちが平常使っている日本語自体儒教に深く規定されてはいないか。
他でも述べたように、私が教員として勤めた三十余年は、この村落共同体の規範意識が徐々に失われていく過程であったように感じている。私たちは、失おうとしている物が何なのか、儒教思想に代わって日本人の倫理を支えるものはなにか本気で考えてみるべきだ。子供の社会に深刻ないじめが横行し、大人の社会では醜い差別が公然と行われている。真面目に正義についてかんがえなくてはいけないときだと思う。(文科省のいじめに関するパンフレット見ていてもなかなか正義と言う言葉が登場しない。)
当面教員にできる事は、他で述べたように、昭和を美化して語る事<内田樹>しかないのではないかと思う。当面は残存する生徒の儒教意識に訴える。少なくとも私は、この十年そうやって生徒の中に集団の倫理を持ち込もうとしてきた。失われつつあるのは事実だが、全てが失われたわけではない。正義感の強い生徒、義理人情に厚い生徒はいる。どの生徒も、例えば冒頭の緒方洪庵の文章に反応する何かは持っている。そこに働きかける。全く新しい家を建てる材料が無い以上、傷んで細くなった土台や柱を補修していくしか方法がない。とにかく、正義を語るのだ。その実態、根拠は語りながら考え、補填するしかない。
 実際には昭和の時代の人間関係が今よりよかったわけではない。共同体は同化を強く求めた。共同体を外れるものに対するいじめや、差別は厳しかった。上下関係を無条件に承認しそれに従わなくてはならなかった。 そういう束縛から抜け出したくて新しい社会を作ってきたはずだ。
 一方、「力の強い者は弱い者を守らなくてはいけない、勉強のできる者は勉強苦手な者の面倒を見るべきだ、昔の生徒はそうしてきた。」「仲間を大切にせず一人だけいい思いをする奴は、昔はみんなから見下されたものだ。」といった説教は今でも意外に通用する。昭和が過ぎ去ったからかえって嘘が通用するようになったのかも知れない。語る以上教員は自ら古典的正義を実践しなくてはならない。こちらがそれなりの筋を通せば、子供たちは素直に反応する。(それなりの筋、に実際は誠実さと細心の注意が必要なのですが)
 それにくらべて難しいのは大人の社会だ。生徒同志は仲間意識を育てても、保護者は自分の子供しか見ていない。また、教員室で正義は行われているかな。